第54話 出張懺悔室
船に戻って水を飲み、少し休んで正気を取り戻すと、エルモはデビーを膝の上に抱えて撫で回しながらやけ酒を飲み始めた。
「ありえなくない!? なんでまたいなくなるわけ? ねえ! デビーちゃんもそう思うでしょ!?」
デビーは「なんとかしなさい」という目でジョナサンを見つめ、助けを求めている。
「まあまあ、落ち着けって。ほらおかわりだ」
そう言ってジョナサンは、中身を水に変えた酒瓶を手渡す。エルモは中身が水なことには全く気づかずに一気飲みすると、瓶をドンと床に叩きつけた。
「結局、どうしてこんなことするのか教えてくれなかったわ! もう! 昔はあんなに人さらいはダメって言ってたのに! 人の思い出に泥を塗りやがってー! 私のヒーローを返せー! ファッキュー!」
「え、えーと、なんだっけ? 許してやるのが大事なんじゃないのか?」
「おお、よく知ってるね。「もし、あなた方が罪を犯した人々の過ちを許すのならば、あなた方も赦されるだろう」……。いや、ダメ。絶対許さん。神よ! 激おこの私を赦したまえ! 地獄の果てまで追い詰めてやるんだからー!」
「よしその意気だ。ほら、もう一本飲めよ」
ジョナサンは何食わぬ顔でどんどん水を手渡していく。
その様子を見て、デビーは呆れ顔でため息をついた。
「もうこの辺でやめときなさい」
「やだー! もっと飲むのー!」
「違うわよ。あの男を追いかけるのをやめなさいって言ってるの。向こうの船でなにがあったか言ってみなさい」
「私が「なんで悪いことするの?」って聞いたら「飲み比べに勝ったら答えてやる」って言うから、その勝負に乗ったところまで覚えてる」
「最初からあなたを酔い潰すつもりだったんじゃないかしら。まともに対話する気がないんだわ。そんなやつ、追いかけるだけ無駄だと思わない?」
「くそう……この私が飲み過ぎで記憶を飛ばすなんて……。不覚……。勝てると思ったのに……。神よ! 私にもっとアルコール耐性を与えたまえ!」
ジョナサンは呆れ笑いを浮かべた。
「多分くれないと思うぞ」
「なによー! 全知全能って触れ込みなんだから、それくらいしてくれてもいいでしょー!」
そして再び、エルモはデビーの頭を撫でくりまわす。
「うえーん……。なんなのよー。見つけたと思ったのに〜。またいなくなるし〜。あの頃の彼はもういないわけ?」
泣いていたかと思えば、今度は目を釣り上げて怒りをあらわに宣言する。
「上等よ! 待ってるって言うなら行ってやるわよ! 絶対に懺悔させてやるんだからー!」
決意表明を済ませると、エルモは瓶の中身をいっぺんに全部煽った。ジョナサンは中身を水にしておいてよかったと心の底から思った。
「やれやれだわ……。そろそろ離して欲しいのだけど」
「お願い! もうちょっとだけ抱っこさせて!」
「なにがそんなにいいの? 私に心酔するのは当然だけど、辛い時は悪魔にすがるものじゃないわ」
「ちっちゃい子の笑顔は心の傷に効くの。ほら、かわいいお顔をもっと見せて?」
エルモは人差し指でデビーの唇の両端をクイッと持ち上げ、「へへへ」と嬉しそうに笑った。
「ジョナサン。急いでメアリーを呼んできなさい。身代わりにするから」
「おお、身代わりの人身御供を用意するとは、さすが悪魔。鬼畜の所業」
「いいじゃない。メアリーはエルモに構われるの、好きそうだし」
デビーはそろそろお疲れのようだが、あいにくメアリーはクラフトにくっついてギベッドの船の方へ行っている。クラフトの声に当てられてしまった人たちを介抱しているのだ。
「そろそろ帰ってくると思うんだけどなあ」
そこへ、計ったようにタイミングよく、向こうの船の船べりからメアリーが顔を出した。こっちを見下ろして手を振っている。
「こっちの人たち、もうみんな大丈夫」
「オッケーだ。ありがとう。様子はどうだ?」
「しばらくはぼーっとしてたけど、ちょっとペチペチしたら気がついたみたい。鎖も外した。でも……」
「どうかしたのか?」
「元気がない」
ジョナサンは、うーんと唸ってしまった。
そりゃあそうだろう。ついさっきまで捕まって拘束されて奴隷扱いされていたのだ。解放されたからもう大丈夫、元気百倍! とはさすがにならない。
クラフトもメアリーの隣に顔を出した。クラフトが手で合図を送ると、ラヴがジョナサンの目の前まで飛んでくる。
「トコロデ、カレラノショグウハドウスル?」
「処遇?」
「ココニイルノハザイニンタチダ。ショウジキ、ボクラノテニハアマルゾ」
確かに。ジョナサンはまた唸った。
彼らは罪人だ。ギベッドが独断で捕まえたとはいえ、なにかしらの罪を犯していることに間違いはないのだろう。どこかの自警団か軍隊に引き渡すべきかもしれない。
「縄ばしごをおろすから、こっちに来て」
メアリーが用意した足場を登り、ジョナサンとエルモも奴隷船に足を踏み入れた。ロープの上り下りに慣れているジョナサンはともかく、エルモは不安定な足場にかなり苦戦したが、それでもなんとか高い位置にある甲板までたどり着く。
鎖から解き放たれた囚人たちは、誰も彼も疲れ切っていた。解放されたことに安堵こそしているようだが、気力というものがまるで感じられない。
「解放しよう」
エルモがきっぱりと言った。
「いいのか? 悪い奴らを解放しちまっても」
「いいの。悔い改めれば大丈夫。ジョナサン、港に着くまで、船をちょっと借りてもいい? 場所を使わせて」
「まあ、好きにすればいいけど、なにに使うんだ?」
エルモは、どんと胸を叩いて答えた。
「私の本職に使う。「悪いことしちゃった!」って悔やんでる人の懺悔を聞き届けて、陸に着く頃には新たな気持ちで降りてもらう。いいよね? 港に戻るまで、結構時間あるし」
ジョナサンは大きく頷いた。
「いい考えだ。大賛成」
「彼が変わっちゃったっていうのなら、私がその代わりをするわ。みんな私が解放するの。出張懺悔室、スタートよ! 悔やんでる罪を告白したい人は、私のところに来て! 神に代わって許します!」
エルモの声に、罪人たちが顔を上げた。
懺悔したい、と申し出たのは全部で三人。順番に話を聞いていくことになった。
まずは一人目が縄ばしごを降りてジョナサンたちの漁船にやって来た。
防音なんか当然できていないが、よほどの大声を出さなければ大丈夫だろう。波の音が、声をかき消してくれるはずだ。
やって来た罪人は女だ。やつれて顔色が悪く、やせ細っている。髪の毛もパサついていて、目に生気がない。
「こんにちは。急ごしらえの場でごめんなさい。本当なら、互いに顔が見えないようにしたいんだけど。もし聞かれるのが嫌だったら、私以外は席を外します」
エルモが挨拶をすると、女は控えめに諦念の浮かんだ笑みを浮かべた。
「いいえ、結構です。こうして告解の場を設けてくださったこと、感謝します。これ以上気遣いをしていただくのは申し訳ない」
それに、と女は言葉を続けた。
「教会の懺悔室と違い、ここには仕切りがありません。聖女様と二人きりになった途端に悪人が本性を表さないとも限りませんから、護衛は必要でしょう」
ジョナサンは不思議に思った。このひ弱そうな女が、一体どんな罪を犯したというのか。ギベッドに言いがかりをつけられてさらわれたのかと思ったが、だったら懺悔になど来るはずがない。
「では、護衛として残らせてもらいますが、僕たちはここでの話をどこにも漏らさないと誓います。僕たちのことは、この聖女の弟子、くらいに考えてください」
クラフトがきっぱりとした口調で言った。ジョナサンは内心で「お前が一番心配なんだけどなあ」と苦笑いしたが、それを口に出すのはやめた。
「では……、私の罪を告白します」
女は目を伏せて、小さな声で語り始めた。




