第51話 地獄から来た神父
男は、鷹揚にゆっくりと歩いて船を離れ、桟橋を通り過ぎると町の通りへ進んで行く。
なにをする気だ? とジョナサンが訝しんでいるうちに、男は宿屋の店先にかかっているランプを叩き割り、そこに入っている火を葉巻に移し、大きく煙を吸い込んだ。
「仕事の前には一服することにしてるんだ。気分が落ち着くからな」
「仕事?」
「この人殺しの町の奴ら全員、ふんじばって連れて行く。邪魔しないでおとなしくしてるなら、お前らには手出ししない。見た所関係ないようだしな」
ランプが壊れる音に、誰も気がつかない。耳をすますと、店の中からは賑やかな声が聞こえる。
「ハイそうですかって引き下がると思うのか?」
語気を強くしてジョナサンが睨み付けるが、男はそれを鼻でせせら笑った。
「ふん。血の気が多いなボウズ。海賊ごっこか?」
カチンときたジョナサンが言い返す前に、二人の間に割って入ってくるものがあった。エルモだ。
「やめて! あなたはそんなことする人じゃない!」
「誰だてめえ。随分馴れ馴れしいが、俺は修道女と遊んだ覚えはねえぞ」
「私だよ! エルモ! 忘れたとは言わせないから!」
エルモが服の袖をまくって、二の腕に入った青い花の刺青を見せた。すると途端に、男の顔色が変わる。大きく目を見開いて、ポロリと葉巻を落としてしまった。
「……ハハッ、こいつは驚いた。あのチンチクリンがえらくいい女になったじゃねえか。そうか。修道女になったんだな」
気分を落ち着けようとしたのだろうか。もう一度煙を吸おうと手を口元に持って行ったが、そこに葉巻がないことに気づいて男は軽くため息をつく。
「なにしに来やがった」
「あなたに会いに来たに決まってるでしょ?」
「そういうことなら話が早いな」
男はエルモの手首を掴んで、自分の方へ勢いよく引き寄せた。不意を突かれたエルモは、されるがままに男の胸元に収まってしまう。
「俺と来い」
「えっ、あっ、ちょっ、急になに?」
エルモは軽く顔を赤らめて、どぎまぎしている。
本人はのんきに乙女のような顔をしているが、ジョナサンは内心で冷や汗をかいていた。
間違いなくあの神父は危険な男であり、今からこの町の住人をまとめて誘拐していこうと言っている。そんな奴の手中に、エルモはすっぽり入ってしまった。
周囲を見る。武器になりそうなものはないか。ジョナサンは、打ち捨てられていた古いオールを拾い上げた。風化した木は脆く、途中でポッキリ折れているが、ないよりはマシだろう。
エルモは、一度目を閉じて深呼吸するとなんとか冷静さを取り戻し、キッと男を見上げて問いただす。
「あなたがひどいことしてるって、新聞で読んだけど。ほんとなの? なんで? 私を助けてくれたかっこいいギベッドはどこへ行っちゃったの?」
「話は後だ。ひとまず、ここの奴ら全員をふん縛って、俺のアジトに着いたらゆっくり聞かせてやる」
「おいおい、そっちこそ海賊初心者か? 一人で町中の人間を誘拐? できるわけないだろ? 一軒一軒回ってたら朝になっちまうぜ?」
ジョナサンは、できる限りの嫌味ったらしい声色で男を煽る。怒らせて、隙を作る作戦だ。しかし、男は余裕を崩さない。
「できるとも。町の奴らは、夜は定期的にこの宿屋で宴会してるんだよ。秘密を共有すると、人は親密になるからな」
「ふ、ふーん。でも一箇所に集まってるからって、いっぺんに捕まえられるとは限らねえだろ」
「そのために、わざわざ回りくどいことをして、町の奴らの信頼を勝ち取ったんだ。だが、邪魔されると面倒だな」
バッと身を翻し、男はジョナサンの方へ向かって来た。応戦しようとオールを振り上げてみるが、あっという間に軽く捻られて腹に強い打撃をくらい、その場に倒れこんでしまった。
「ジョナサン!」
クラフトが加勢しようと突進して来たが、こちらもジョナサンの隣に転がされてしまった。
パァン、と乾いた音が聞こえて、ジョナサンはやばい! と肝を冷やした。間違いなくメアリーだが、いくら武器があるとはいえ大の男に勝てるとは思えない。
できれば逃げて欲しかったのだが、顔を上げればやっぱりメアリーが男に銃口を向けている。
命中している。黒い神父服のせいで分かりづらいが、太ももから血が流れている。
しかし男は顔色を変えず、つかつかとメアリーの方へ歩み寄っていく。
「足を狙うとは、悪くねえ判断だ。だが甘い。撃つなら一撃で殺せる場所を狙え」
「メアリー! 逃げろ!」
ジョナサンが叫ぶが、メアリーは逃げ切れずに捕まえられてしまった。
男は大きな手でメアリーの顎を掴んで、口を開けさせ、ポケットから瓶を取り出してその中身を一口飲ませた。
するとメアリーは、ぐったりと脱力して動かなくなってしまう。
「ちょっとギベッド! その子になにを飲ませたの!?」
「ただの眠り薬だ。黙ってろ」
エルモが大慌てで詰め寄ると、男は鬱陶しそうにエルモの方を見て、瓶の中身を自分の口に含む。そして、エルモを引き寄せて口移しで強引に飲ませた。
「んっ!?」
突然のことに驚いたエルモは一瞬目を見開いたが、すぐに意識を失い動かなくなってしまう。
「このやろう……」
ジョナサンは、ダメージに震える体を叱咤して、無理やり立ち上がる。しかし、まともに動けるはずもなく、すぐに縛り上げられて転がされてしまった。
「このっ! ほどけっ!」
抵抗むなしくクラフトも同じように縛られて、仕上げに猿轡を噛まされる。こうなるともうなにもできない。
最後に男は、ジョナサンとクラフトの猿轡に瓶の中身を染み込ませた。
甘ったるい液体が布を伝って口に入って来る。その嫌な甘さを防ぐ手立てはない。だんだんと頭がぼうっとしてくる。必死で瞼をあげるが、もうそれくらいの抵抗しかできない。
男は、ジョナサンたちをそのまま放っておいて、宿屋の扉を開いた。中から、歓迎の声が聞こえてくる。男の体で隠れてしまって、宿の中からジョナサンたちは見えていない。
「神父様! いらっしゃるなんて珍しい! 上がって行ってください」
初老の女性が顔を出し、嬉しそうに男を迎え入れた。
「うまい酒が手に入ってな。差し入れに持って来たんだ。みんなで飲んでくれ」
ギベッドは、眠り薬の瓶を女性に手渡した。
「おーいみんな! 神父様が差し入れを下さった! 乾杯しよう!」
ジョナサンは、内心で歯噛みした。なるほど。そうやってみんなを眠らせてから運び出す算段なのか。
かんぱーい! と陽気な音頭が聞こえたのを最後に、ジョナサンはとうとう眠気をこらえ切れずに意識を手放した。
起きて、起きて、と体が揺すられるのを感じて、ジョナサンは目を覚ました。
目を開けると、メアリーとクラフトがこちらを見下ろしている。
バッ、と体を起こしてから、自分の体が縛られていないことに気がつく。
朝だ。一晩を路上で過ごしてしまったらしい。爽やかな朝日と潮風が心地いいのだが、人の気配がごっそり消えた港町は、なんだか不気味だ。
いつまでたっても商店も食事処も酒場も開く気配がなく、旅の船乗りたちが不思議そうにガランとした町を眺めている。
昨日のことは夢ではなかったのだ、とジョナサンはギベッドの船があった場所を見る。船が消えていた。
それから、エルモの姿もない。
「くそっ!」
連れて行かれた。町の人たちも、エルモも。
全く太刀打ちすることができなかった。
「なあ船長。提案があるんだが」
クラフトが言った。いつになく真剣な声だ。
「奇遇だな航海士殿。俺もだよ」
このままでは終われない。放っておくことはできない。
二人は声を揃えて言った。
「あの船を襲おう」
その言葉に、メアリーも頷く。
そうと決まれば、と言わんばかりに、三人は自分たちの船に向けて走り出した。
「緊張するなぁ。略奪デビューだぜ?」
冗談めかしてジョナサンが言うと、クラフトは顔をしかめた。
「そんな言い方するんじゃない。僕たちは捕らえられた人たちと、エルモを助けに行くんだ。救出と言え、救出と」
「似たようなもんだろ。だいたいなんなんだあのおっさん。昔面倒見てたんだかなんだか知らねえけどコイツは俺の、みてーな態度取りやがって。「俺と来い」だってよ。そんなんでエルモもちょっと嬉しそうにしちゃってさー。女心ってわかんねーよな。しかもあいつ薬飲ませるためとはいえチューしやがったぞ。ああやって強引にされるのが嬉しいのか? なあメアリー、どうなんだ? 女子の意見を聞かせてくれ」
ジョナサンの問いかけに、メアリーは顔をしかめる。
「ジョナサン、うるさい」
「どうしたんだジョナサン。様子がおかしいぞ」
不思議そうな顔のクラフトに問いかけられて、ジョナサンは慌てて咳払いをした。
「こほん。大丈夫。俺はいつものクールなキャプテン・ジョナサンだ。ともあれ、今からやるのは間違いなく略奪だぜ。もしかしたらエルモはまだあのおっさんに未練があるかもしれねーのに、そんなのおかまいなしで引き離すんだからな」
自分たちの船が見えて来た。
ジョナサンは、どうやってあの船とドンパチやれば勝てるだろうかと、頭の中で作戦を練りながら船に飛び乗った。




