第40話 岩礁での会話②
ジョナサンは、話を終えるとクラフトの方へ手を差し出した。
クラフトは、その手のひらとジョナサンの顔を交互に見比べる。おずおずとその手をつかもうと腕を伸ばしかけたが、体を強張らせて動きを止めてしまった。
「僕だって、行きたい気持ちがないわけじゃないんだ。でも……」
「なんだよ、このヘタレ野郎。あー! 楽しいのになー! クラフトは行きたくないのかー! 一緒に行けなくて残念だなー!」
わざとらしく大声で言うジョナサンを、メアリーがじっと見ている。
「楽しいの?」
「おう! 楽しかったけど、みんなも来てくれたらもっと楽しいだろうなー!」
「じゃあ、次の島は私も行く」
「おっ! マジで!? そりゃ嬉しいぜ!」
ジョナサンは、メアリーの頭をわしわしとかき回す。
そして、ちらっ、ちらっ、とクラフトの方を見ながら言葉を続ける。
「メアリーはクラフトより度胸があるんだなー! ちっちゃいのに偉いなー! クラフトは行けないって言ってるのになー!」
「そんな安い挑発に乗ると思ってるのか?」
「あ、やっぱダメ? デビーならこれでいけるんだけど」
「そんなこと言うと、またカモメが飛んでくるぞ」
大きく深呼吸をしてから、クラフトは沈んだ声で言った。
「君にできて僕にできない道理はないと言ったな。僕はそうは思わない」
「なんでだよ。俺がなんでもできるスーパーハイスペック船長だって言うんならそんな風に気後れすることもあるだろうが、正直そんなことねえじゃん」
「君はすごいやつだよ。僕にとっては大きな一歩を、軽々と当たり前のように踏み出して行くんだから」
「そんなことねーよ。お前はちゃんと家族を納得させて海へ出たけど、俺はどうせわかってくれないって決めつけて、逃げてきた。お前のの方がすごい」
「そんなことはない。自分一人で歩み出す決断力がないだけだ。君は、デビーと出会って迷わず契約して海へ出たのだろう? 仮にデビーと出会ったのが僕だったとしたら、同じ決断ができたとは思えない。もっと尻込みしたはずだ」
「はあ? 人がせっかくすごいって言ってんだから素直に聞いとけばいいだろ?」
「わからないやつだな! なにが気に入らないんだ!?」
「お前がヘタレてるのがだよ! お前はやればできる子だろ! おもて出やがれコラァ!」
「出られないから悩んでいるんだ!」
メアリーは揉める二人を見て、首を傾げてエルモを見上げる。
「……。ケンカ?」
一応ピストルを用意はしてみたが、使う場面か否か判断しかねているようだ。
エルモは困って首を傾げた。
「さあ……?」
船の方では、デビーがくすくす笑っている。
「ジョナサン? いつまで待たせるのかしら?」
「ああ、悪い。じゃあ、次の島は俺、デビー、メアリーで行くってことで」
船に飛び乗り、メアリーを乗せると、ジョナサンは最後に一度だけ振り返って、クラフトに向かって怒鳴った。
「いつまでもそうしてるんだったら、俺が試練全部やっちまうからな! そうやってうじうじしたままじっとしてればいいさ!」
クラフトは、わずかに足を動かした。しかし、そこで止まってしまう。
それが視界の端に見えて、ジョナサンはもっとマシな励まし方があったんじゃないかとため息をついた。
船を進め始めると、舳先の前にセイレーンが現れて、先行きを示してくれる。
「次の島は未来の島だ」
「ん? 現在の島じゃないのか? 時系列順に行くんだと思ってたよ」
「過去も未来も、頭の中にしかないものだ。ゆえに現在の試練が一番難しい」
「なるほど。大物は最後に控えてるわけか。最後はみんなで行けるといいなあ……」
ぽろっと漏らした独り言を、デビーが拾う。
「賭けでもする? 最後の島へ行くまでに、クラフトが立ち直るかどうか」
「いいぜ。俺は立ち直る方に賭ける」
「あら、根拠でもあるの?」
ジョナサンは帆をいじりながら答える。
「俺が休憩してる間は、クラフトに見張りとか操作とか頼んでるんだけどさ、あいつ、めちゃめちゃ海のこと詳しいんだ。俺は沖に出るまではわからなかったようなことでも、あいつは知識として知ってる。家で本とか読んでたんだろうよ」
おそらく、海へ行くのを禁じられていようとも、興味を封じ込めることはできずに、ついついあれこれ調べてしまっていたのだろう。
「あいつは必ず、もう一度この船に乗る。間違いない。そう簡単に諦められるものじゃねえんだ」
デビーはフフッと軽く笑った。
岩礁に残ったクラフトは、しばらく船を見送って、ため息をついて座り込んだ。
「くそう……」
「まあまあ。一杯やって落ち着こうよ。いやー、置いてってくれて助かったー!」
エルモに酒を勧められるが、クラフトはそれを拒んだ。
「悪いが、酒を嗜む習慣はないんだ。家ではまだ子供だからってあまり飲ませてもらえなかったし。それに、酔いに逃げるわけにはいかない」
「どうでもいいけど、クラフトって酔ったら泣上戸っぽいよね」
「本当にどうでもいいな」
二人きりになると、途端に静かになったような気がしてしまう。
クラフトは、岸辺まで歩いて行って、海を覗き込んだ。
深い。底が見えない。暗い。この下には、たくさんのセイレーンが巣食っている。そのほかにも未知の怪物が暮らしているかもしれない。
ありとあらゆる工夫を凝らさなければ、人が海で生きて行くのは困難だ。
なにもかもを平等に、海は全て飲み込んでしまう。
「そんなに難しく考えなくてもいいと思うよ。ジョナサンはジョナサン、クラフトはクラフト。お兄さんはお兄さんでしょ」
「僕は僕。本当にそうか?」
瓶を一つ開けると、エルモは次の瓶に手を伸ばす。
「ん? どういうこと?」
「僕の持ってるものは、全て家族や島の人たちにもらったものだ。僕だけのなにかなんて、ないんだよ」
「そうなの?」
「そうだとも。この命や体は、みんなが育んでくれたものだ」
一気に酒を喉へ流し込んでから、エルモはウンウン頷いた。
「なるほどねー。そりゃあ怖がりにもなるわけだよ。死んだら泣く人がたくさんいるんだもんね」
「幼い日の自分が恨めしい。よく考えもせずにわがままを言ったせいで、こんなことになっている」
「まあまあ。子供の希望を無下に扱うものじゃないよ。なんでちっちゃい頃のクラフトは海に出たかったの?」
「あんまり覚えてないんだ。ぼんやり、楽しそうだと思ったような気はする」
しかし、少し黙ってから「うーん、違うな」とクラフトはぽつりと独り言のように呟いた。
「一人になってみたかった。これだけみんなに世話になっておきながら、なにを言うかと思うかもしれないけどね。周りに誰もいない大海原でたった一人になった時、初めて自分が何者なのか知れるような気がしていたんだ」
三本目の瓶を空にしたエルモが、軽く微笑んだ。
「よーし、乾杯!」
「なぜだ。めでたいことなんてなにもないじゃないか」
「細かいことはいいんだよ。酒が飲みたいことに理由は必要ないの! 強いて言うなら、クラフト坊っちゃまの思春期に乾杯、ってとこ?」
「やめてくれ恥ずかしい」
「なに? おねーさんの酒が飲めないって言うの?」
「それはジョナサンが港で買ってきた酒だろう」
クラフトが呆れ顔で言うと、エルモはキッパリと答える。
「神は言いました。惜しみなく与えなさい。もらう側はありがたく、しかし遠慮なく受け取りなさい、と。つまりこのお酒は私のものよ」
「ふむ、そういうものなのか」
エルモから酒の瓶を投げ渡され、クラフトは思わず受け取ってしまう。飲む気などなかったのに。
もう一度、海の底を覗き込む。相変わらず暗い。あそこへ行けば、容赦無く飲み込まれてしまうだろう。
兄は運良く家に帰れたが、そう何度も奇跡が起こるはずがない。
「今度こそ……、今度こそ一緒に行かなければ。自分のやるべきことを人に任せっきりなんて」
大丈夫、なんてことはない。ここに来るまではなんともなかったじゃないか。
クラフトは自分に言い聞かせながら、海とにらめっこする。
水面には、自分の怯えた顔が映っている。
一回入ってみよう。一回入って大丈夫だったら、克服できるんじゃないか。
大丈夫。自分は泳げるし、今日の海は穏やかだ。
そう思って、服を脱いで、そっと足を伸ばしてみる。
つま先が水に触れた。その途端、頭の中が嫌な想像でいっぱいになってしまって、体がこわばって思うように動かなくなってしまう。
「くそう……」
小さく吐き捨てた声は、潮騒に紛れて消えた。




