第39話 ジョナサンの話⑧
カモメの襲撃が終わって群れが去っていくと、後には羽根まみれのジョナサンが残った。
「ゲホッ。とまあ、そういうわけで三つの質問じゃ答えを絞りきれなかったわけよ」
なんでもないような顔で話を続けるジョナサンを見て、クラフトは呆れ顔を浮かべる。
「無事でよかったよ本当に。どうやって答えを出したんだ? まさか当てずっぽうで答えたわけじゃないだろうな?」
「まさか。ちゃんと真面目に考えたよ。なっ、デビー」
デビーは、船の上からこちらを見やり、くすくす笑う。
「ええ。それはもう、頭を抱えてのたうちまわっていたのよ。おもしろかったから、今後は定期的にジョナサンに無理難題を出して遊ぼうかしら」
「えぇ……、マジでか」
「できないとは言わせないわよ? 私の奴隷なら、私の望みを叶えて当然よね?」
「しょうがねえなあ。お手柔らかに頼むぜ」
ジョナサンは一つ咳払いをしてから、佇まいを直した。
「それはさておき、続きを話そう。俺は船に戻って、デビーと話をしながら考えたんだ」
波の音が近い。風が心地いい岩礁で、くつろいだ気持ちで海を見る。
ここに住んでいたというセイレーンと恋をした男は、どうやって日々を過ごしていたのだろうか。さすがに当時は屋根くらいあったんじゃないだろうか。ぼんやりとした想像を浮かべながら、ジョナサンは事の顛末を話し始める。
俺はまず、デビーに「海ってなんだ?」って聞いた。
デビー・ジョーンズ以上に海について知ってるやつはいないだろう。
「海は私よ」
「うーん、でもデビーはここにいる。箱の中身がデビーのはずはない」
俺は自分の眼帯に手を当てた。
「例の真珠の一つがここに流れ着いてるとか?」
かつて沈んだ古代大陸で、デビーの髪を芯にして作られた真珠。それならば箱に入るし、海の一部と言っていいんじゃないかって思った。
「可能性がなくはないわね。あの真珠が入っているのであれば、それは海が入った箱と言ってもいいでしょう。でも、それが一家の思い出の品である、って言うのを忘れちゃダメよ?」
「確かに。そう言われると違うような気がしてきたな」
便利なものだし、綺麗だけど、一家団欒に使うようなアイテムじゃねえもんな、あれ。
「ではジョナサン。あなたは海とはなんだと思う? 例えば、ガラス瓶に海水が詰まっていたらそれは海だと言えるかしら?」
俺は即座に答えた。
「言えねえよ」
「じゃあ、貝殻とか海藻とか、海のものが入っていたら?」
「それも違うな。貝のことを海とは言わないし、海藻のことを海とは言わない」
俺は頭を抱えた。
「話が抽象的すぎてよくわかんねえ! こういう哲学的な話はさあ! 俺の担当じゃねえと思うんだけど!」
「じゃあ、あなたの担当ってどこよ」
「そういう思春期の悩みを増やすようなこと言わないでくれ。ただでさえ考え事の最中なんだから」
デビーは、心底愉快そうに俺の困った顔を見て笑う。
「難しく考えすぎなんじゃないかしら。これは過去の試練。過去を見つめれば、案外ヒントはあるんじゃない?」
「おっ、そうやって助言をくれるってことは、デビーは答えがわかったのか?」
「さて、どうかしら? 単にあなたを惑わすために言ってるだけかもしれないわよ? 悪魔の助言には裏があるって相場が決まってるの。素直に聞いたら地獄を見ることになるかもね」
「そうかあ? お前結構正直だと思うけど」
「私の話はいいのよ。今は試練に集中しなさい」
ヒントは三つ。
だが、三つ目は考えればドツボにハマるからひとまず除外した。
それは、セイレーンと人間が一緒に過ごした時の、思い出の品である。
それは、帰ってきた末っ子を歓迎するためのものである。
「好きなものを用意して歓迎する、ってのがベタだと思ったんだがなあ。好きな食べ物とかさ」
「その考えがそもそも外れかもしれないわね。一旦忘れて一から考えてみなさい」
そこで、思い出したのがお前のことだよ、クラフト。
長旅から帰ってきた息子を家族が歓迎する場面を、俺は見たことがある。
そう、お前と一緒にお前の地元へ行った時だ。あの時、島の人たちはお前の帰りを喜んだ。
試練だなんだと言っちゃいるが、この海域に呪いをかけたっていうセイレーンも、ああやって息子を迎えたかったはずだ。
「デビー、俺わかったかも」
「あら、残念。もうちょっとあなたが苦しむ様を見ていたかったのだけれど」
「よっしゃ。じゃあ、明日の朝一で行ってくる」
俺は、夕食を食べて早々に寝た。
考える時間はまだあったけど、これ以上の答えは見つけられそうになかった。
次の朝は、いい目覚めだったよ。俺は意気揚々と剥製の前に立った。
「答えは出たか」
「おうよ」
「チャンスは三度。全て外せばお前は海の底だ」
俺は、小さく息を吸った。
違ってたらどうしよう、ってことも、ちょっとは思ったけどさ。
「箱の中身は、紙とペンだ」
ほう、と剥製が声を漏らした。
「その心は?」
「父親に自分たちの声を聞かせないように、母と子供達は父との会話は筆談でしてたはず。人間である一家の父親がここで暮らすには、それが必要だった。で、きっと紙にはこう書いてある「おかえりなさい」ってな」
俺は内心、心臓がバックバクだった。じっと剥製の方を見て、「どうか正解でありますように」って祈ってたよ。
「よかろう」
剥製が鷹揚にそういうと、カチリと小さな音がした。箱の鍵が開いたんだ。
開けて見ると、中には古くなって虫食いだらけのノートと、中身が干からびて使い物にならないインクの壺、それからあちこちが劣化してボロボロの万年筆が出てきたわけよ。
ノートを開いてみると、そこには文字が書いてあった。セイレーンの文字らしくて俺には読めねえけど、デビーに聞いたら「おかえりなさい」であってるって言ってた。
ほら、これだよ。
剥製が言うには、これが試練を達成した証らしいんだ。
要は、持ってこいって言われてたお守りだな。
と、言うわけで俺は第一の試練をクリアしたわけだ。
どうだ、クラフト。次の島は一緒に行かねえか?
過去、現在、未来の試練があるって話だし、次の島は現在の島かな?
兄貴にできないならお前も無理って話だけどさあ。俺にできてお前にできない、ってことはないと思うんだよ。年も背もたいして違わねーし。
お前は、あんなにかわいがってくれる家族と揉めてまで、こんなとこに来たんだぜ? 閉じこもってちゃもったいねーよ。




