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海賊のひまつぶし  作者: 櫂矢 真衣
呪われし海にセイレーンの歌
32/86

第31話 デビー・ジョーンズ・ロッカー

 食事が終わり、船が進み、ついに四方八方どこを見ても陸地が見えなくなった。

 クラフトが青い顔で船から飛び降りて逃げようとするのを、ジョナサンはまあまあとなだめている。

 食事をしている間からクラフトは、終始そわそわして顔色が悪かった。

 そして、デビーが「そろそろいいわね」と立ち上がった瞬間に恐怖心の限界がきたのだった。

「シズメラレル! コノフネハシズム!」

「落ち着け落ち着け。大丈夫だって。俺たちには我らがデビー様がついてんだから、危ないことなんかねーよ」

「ワスレタノカ! カノジョハアクマダゾ!」

「おう、そうだな。まごうことなき大悪魔様だ」

「ボクタチヲロッカーニヒキズリコムツモリナンダ!」

「そりゃあ、招待してくれるって言ってんだからそうなんだろうよ」

「シヌツモリカ!?」

「うーん。確かに死ぬのは怖いが、俺ってば下僕だし、デビーちゃんに「死ね」って言われたら死ななきゃいけないかも」

「オシマイダーッ!」

 やれやれと溜息をついて、デビーはジョナサンとクラフトの前に立った。

「クラフト、そこに座ってじっとしてなさい」

 途端に、暴れていたクラフトの体がこわばって、その場でおとなしくなってしまった。

「説明したわよね? あなたのお兄さんは、真珠の光によってアンの幽霊船にいた可能性が高い。つまり、今はこの船にいるんじゃないかしら。一度ここにいる亡霊たちをみんなロッカーまで案内して、そこでお兄さんを探しましょう?」

「ナラ、イマココデサガシテクレレバイイダロウ?」

「人数が多すぎるのよ。見えてないあなたたちにはわからないでしょうけど、今この船は結構大変なことになってるのよ? こんなぎゅうぎゅう詰めの船から一人を探すなんて、すごーくめんどくさいわ」

「ジカンヲカケレバデキルンジャナイノカ? ボクハニドト、ノッテルフネガシズムノナンテゴメンダ!」

「もう、聞き分けのない子ね。沈没なんてよくあることじゃない」

「そうだぞクラフト。いいじゃねえか。デビー・ジョーンズ・ロッカーへ観光なんて、滅多に行けるもんじゃねえぞ?」

「ナンダ? ボクガオカシイノカ?」

 クスクス笑って、デビーは座らされているクラフトの頬に手を添えた。

「いいから、おとなしくしてなさい。悪いようにはしないから。ね?」

 高圧的な笑みを浮かべるデビーに、クラフトはなにも言い返せずに黙り込んでしまった。

「なんだよー、デビーちゃんのいうことなら聞くのかよー」

 不平を漏らすジョナサンに、負けず劣らずの不平に満ちた顔でクラフトは答える。

「スキデシタガッテイルワケジャナイ……」

 クラフトのげんなりした顔を見てジョナサンは、そういえばコイツは海の生き物であるセイレーンの血を引いているんだったな、と思い出した。

「そういえば、お前もデビーちゃんには絶対服従なんだっけ?」

「ジョナサンにも絶対服従よ。真珠が手元にあるんだから、命令すれば海の生き物は従ってくれる。クラフトも例外ではないわ」

 デビーに言われて、ジョナサンは自分の目にはまっている真珠に意識が向いた。

「ナンテコトダ。コノボクガ、コンナニモヒトノイイナリダナンテ」

「ともかく、おとなしくしてなさい。エルモとメアリーを見習いなさいよ。さっきからどっしり構えすぎて、今にも昼寝しそうよ」

 デビーは甲板で仰向けに寝っ転がっている二人を指し示した。

 二人は横になっていて、メアリーはエルモのお腹を枕にしている。

 クラフトは目を丸くした。

「ナンデ! キミタチハ! ヘイキナンダ!」

「そっちこそ、なんでそんなにカリカリしてるの? これも神のお導きだよ」

「ソンナワケアルカ! コノフネハアクマノフネダゾ!」

 エルモが首だけあげて、ひらひらと手を振った。メアリーはすうすうと穏やかな寝息を立てている。

「まあまあ、落ち着けって。デビーちゃんが大丈夫って言ったら大丈夫なんだよ。な? 別に俺たちを殺すとか、そういうつもりはないもんな?」

「もちろん。でもまあ、気がついたらあなたたちが波にさらわれてる、なんてことがないとは言い切れないのだけど」

 デビーは高く手を挙げて、思い切り指を鳴らした。

 風の穏やかな海原に、乾いた音が響く。

 ごう、と波の音が変わった。

「どこかに掴まってなさい」

 大きく船が揺れた。水しぶきがジョナサンたちの体を濡らす。

 ごうごうと波が渦巻き、船を中心にすり鉢状の渦潮が発生した。あっという間に船は海の底へと引き摺り込まれていく。

 ジョナサンはぎゅっと目を閉じ、大きく息を吸って、止めた。

「ジョナサン、あなたは目を閉じちゃダメよ。あなたの目にはまった真珠の光が、みんなの道しるべなのだから」

 渦潮の音の中で、デビーの声が嫌にはっきり聞こえた。

 慌てて目を開くと、驚いたことに船は無事だった。

 渦潮が、見たこともない形状になっている。螺旋階段のようなトンネルがぐるぐると渦を巻き、船はそのトンネルを下へ向かって滑り降りている。

「わー! すげー! これデビーがやってるのか?」

「もちろん。私の手にかかればこれくらい朝飯前よ」

 みんなの方を見る。エルモは片腕でメアリーをぎゅっと抱きしめ、もう片方の手でマストに巻いてあるロープを掴んでいた。メアリーはわずかに目を見張って、驚いた顔で硬直している。

 クラフトとラヴは見当たらない。まさか海に落ちたか? と思ったが、エルモが船倉の方へ声をかけた。

「ねえ、クラフトも見においでよ! すごいよ!」

「イヤダ! ボクハゼッタイココヲウゴカナイゾ!」

 どうやら、驚いて反射的に室内へこもったらしい。

 船はグングン進み、最後には海底にたどり着いた。岩盤にふわっと着地して、船はようやく動きを止める。

 フッ、と泡が立ち上り、ジョナサンたちをここまで運んできた渦潮は消えた。

「おーい、クラフト。もう大丈夫だぜ。出てこいよ」

「ホントウカ?」

 暗い場所だ。太陽の光も届かない深海で、ジョナサンの目にある真珠だけが光を放っている。

「ふしぎー!」

 エルモがあっちこっち見渡して、感嘆の声を漏らしている。ジョナサンも同じ気持ちだ。

 海の底にいるはずなのに、息もできるし、体が濡れる感触もない。

「なあ、なんで息ができるんだ?」

「ここは概念的な場所だから、って言えばわかるかしら?」

「わからん」

「だと思ったわ。まあ、細かいことは気にしなくても大丈夫よ。あなたはただ、私がもたらす恩恵を享受していればいいの」

 見て。とデビーが前方を指差した。

 聞いていた通り、古い街が見える。長いこと誰も住んでいないのが一目でわかる、生活の気配がない町だ。

 小さな燐光がいくつか、ゆらゆらとデビー・ジョーンズ・ロッカーを漂っている。まるで、初めてやってきた町の散策をしているようだ。

「あなたにも見えるはずよ。あれが、あなたがここまで導いてきた魂たち。海に溶けるまでは、ここに滞在することになるわ。ジョナサン、眼帯をつけなさい」

「ん? でも、これ隠しちまったら、ここは真っ暗だろ?」

「あなたはずっとここに住み着くつもりなのかしら? そのままにしておいたら、海に上がる時にまたみんなついてきてしまうわよ? 早くあなたのトレードマークを付け直しなさい」

 ジョナサンは、言われた通りに眼帯をつけて真珠を隠した。途端に、海底は暗闇に包まれる。怯えたクラフトが息を飲んだのがかすかに聞こえた。

 パチン、と暗闇に指を鳴らす音が聞こえた。すると、ぼうっと足元がかすかに明るくなる。見ると、無数のアンコウが頭に生えている触覚を光らせて、足元を照らし出してくれていた。

 小さな粒状の光がポツポツと点在している様は星空のようだ。しかし、この光は動く。アンコウたちの気まぐれで、すい、すい、と時折不規則に動く光を眺めるのは、なんだか心地いい。

「わー! 綺麗!」

 エルモが歓声をあげた。

「しばらくはこの子たちに頑張ってもらいましょう。さて、それじゃあ、クラフトのお兄さんを探しましょうか」

 一行はデビーを先頭に海底の街を歩く。

 寂れた、誰もいない静かな街。昔は他にも色々なものがあったのだろうが、今は石造りの部分しか残っていない。

 かつてデビーの怒りに触れて、沈められた街。

 今は、ついてない船乗りたちの、最後の安息の地。

 ジョナサンは、アンコウたちの淡い光にぼんやりと浮かぶ街を散策しながら、誰にも聞こえないように軽くため息をついた。

 決して狭くはない街をぐるっと一周すると、デビーは顔をしかめた。

「困ったわね」

「どうしたんだ?」

「ここにクラフトのお兄さんはいない。海上に戻って探さなければいけないわ」

 ジョナサンは、クラフトの方を見た。

 これ以上ないくらい落胆した顔で、クラフトはその場に膝をついた。


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