第30話 メアリーの話
ママと一緒に、港の酒場に行った時の話だよ。
私の頭の上で、大人の海賊たちが大きい声でお話ししてた。
怒鳴り声と、ビンが割れる音と、陽気な酔っ払いの歌う声でいっぱいなの。だから、みんな大声を出さなきゃお話ができない。
店の中は散らかってて、あっちこっちでお酒や料理が溢れてた。殴り合って喧嘩してる人もたくさんいたよ。
私、お酒飲めないから、ママがお酒飲んでる間、ライムのジュースを飲みながらぼーっとしてたの。
「お嬢ちゃん」
知らないおじさんが話しかけてきたの。
服がボロボロで、ちょっと臭かった。海から上がってきたばっかりみたいに、ずぶ濡れだった。
今思うと、不思議。
それほど大きい声を出してたわけじゃないのに、はっきり聞こえたの。
「旅の人かい?」
「うん」
「どこへ向かってるんだい?」
「ママの行くところ」
「君の行きたい場所は?」
「ないよ」
「それはいけない!」
ガシッと私の肩を掴んだ手は、水を吸ってふやけてた。
変な人だなあと思った。
「どうしていけないの?」
「行きたい場所がないのに船に乗るなんて! それじゃあ、渦潮に自分から飛び込むようなものだ!」
「そんなこと言われても困る」
「それなら、いいものをあげよう!」
おじさんは、ポケットから羊皮紙の地図を出して、見せてくれた。
くしゃくしゃで、濡れてて、薄くなってたけど、だいたいなにが書いてあるのかは見えた。
三つの島と、その周りの海の様子が書いてある。
「これを君にあげよう。呪われた海の海図だ!」
「いらない」
おじさんはびっくりして、目を見開いた。
「なんてこった! なんでだい?」
「呪われてるんでしょ? そんなところ行かない」
「この世界に呪われていない場所なんて、果たしてあるんだろうか?」
おじさんは無理やり押し付けてこようとしてたけど、私はもう一回断った。
「いらない。私は自分一人じゃ、船を動かせない。ママはそういうの、興味ないと思う」
「いずれ必要になるよ。誰もがいつかは、自分のための船出を迎えるんだ。その時にこの海図を必要としない人なんて、いないんじゃないかな? ここには、誰もが求めるものがあるんだ」
「求めるもの?」
「そうとも! 手に入れた人は誰もいないけどね! なにしろあの海へ行った船は一隻残らず沈んでしまうのだから!」
私は怖くなって、おじさんから逃げようとしたけど、足が動かなかった。
「いらないもん! 私、欲しいものなんてない!」
「なんてことだ! 求めるものがなにもないなんて、人生最大の不幸だよ!」
あっはっは、と笑いながらおじさんは三つの島を指差した。
「見えるかな。これと、これと、これ。この三つの島に囲まれた三角の海域。ここが魔の海域なんだ。断言しよう。君はいずれ必ず、ここに足を踏み入れる」
おじさんはニッと笑って、地図を私の手に押し付けた。
「メアリー? どうしたの? ……あら? それはなに?」
ママが、私が持っている海図に気がついた。
「このおじさんがくれたの」
私が答えると、ママは不思議そうな顔をした。
「おじさん? 誰もいないじゃない」
おじさんのいた場所を見ると、確かに誰もいなくなってたの。
「もう、ダメよ。知らない人から物をもらっちゃ」
ママは、おじさんがくれた海図を私の手から取り上げると、くしゃっと丸めてその辺に捨てちゃった。
話を聞き終えると、ジョナサンは歓声をあげた。
「そうだよ! そういうの! 俺はそういう冒険に行ってみたくて海に出たんだよ!」
蛸に捕まえられて強制マッサージを受けているジョナサンの頭に、ラヴが舞い降りた。
「バカナノカキミハ」
ジョナサンはクラフトの方を見た。
クラフトもジョナサンと同じように、隣で蛸に絡まれて吸盤に吸い付かれている。最初は少々抵抗していたが、今はもうすっかり諦めて体を蛸に任せている。
「バカとはなんだバカとは」
「ワザワザアブナイトコロヘイクヤツガアルカ」
「なんだよ、ロマンがわかんねーやつだな。お前とは話が合うと思ってたのに」
「ソンナノシルモノカ」
言い争う二人を見上げて、メアリーが悲しそうな顔で首をかしげた。
「ケンカするの?」
目をウルウルさせるメアリーを見て、エルモが眉を吊り上げる。
「こらっ、仲良くしなさい! メアリーが泣いちゃうでしょ!」
ジョナサンは大慌てで、隣のクラフトと肩を組んだ。
「しないしない! 俺たち大親友だもんな! な!?」
クラフトも慌ててジョナサンに話を合わせた。子供を泣かせるのは嫌らしい。
「ソウダトモ! コンナノササイナイイアラソイダ!」
その様子を見て、デビーがクスクスと笑う。
「あなたが誠心誠意お願いするのなら、行ってあげてもいいのよ? 呪われた海だろうと、私の加護があればなんとかなるわ。ここにいる魂たちをロッカーまで案内した後になるけれど」
ジョナサンは目を輝かせた。
「本当か!? 行きたい!」
「ならば私を讃えなさい。崇めなさい。供物を捧げなさい。従順な下僕には、それ相応のご褒美をあげてもいいわ。気が向いた時だけだけどね」
ジョナサンは、船倉の中にデビーが気に入りそうなものがないか、記憶を探った。
「そうだなー。かわいいかわいいデビーちゃん、飴玉は食べたことあるか?」
「あめだま? なあに、それは」
よし、いける。とジョナサンは心の中でガッツポーズをした。
「すっごく甘くておいしいお菓子だ。ただの菓子じゃない。あまりにもおいしくてやめられなくなるっていうんで、ご家庭によっては禁じられてる場合もある」
デビーがコクンと唾を飲んだ。
クラフトが「それでいいのか?」と言いたげな顔でジョナサンを見ている。
「でもまあ、いくら禁じられてようが、大悪魔デビー様には関係ねーよな?」
「当然よ」
デビーは得意げに胸をそらした。
「人のことわりでこの私をしばれるだなんて、思わないことね。いいでしょう。あめだまとやらを献上するのであれば、呪われた海域に連れて行ってあげる」
「よっしゃー! あっ、でも場所わかるのか? 海図はおふくろが捨てちまったみてーだけど」
「ええ。だいたいの見当はついてるわ。あの辺、確かに難破船が多いのよね」
「おー、マジっぽいなー。デビー・ジョーンズのお墨付きまで出ちまった。俄然ワクワクしてきたぜ」
「キケンダトイワレテナゼウレシインダ。ヤハリキガシレナイ」
ワクワクした気持ちに水を差されて、ジョナサンはムッとした。
「はー? これだから坊ちゃん育ちはよう」
「ナンダト? キミノホウコソヤバンスギルンダ」
メアリーが二人を見上げた。
「ケンカするの?」
エルモが眉を吊り上げる。
「こらっ!」
ジョナサンは大慌てでクラフトと抱き合った。
「しないしない! なー? 俺たち仲良しだもんなー?」
「ソウダトモ! ケンカスルホドナカガイイトイウヤツダ!」
エルモはじーっと二人を見ている。
「本当に〜? 後腐れのないように決闘でもして決着つけた方がいいんじゃない?」
「さては仲裁する気がないな?」
「そんなことないもん。神も「殴り合えば分かり合える」って言ってたような気がするもん」
「お前んとこの宗派、やっぱおかしいって。改宗した方がいいぞ、割とマジで」
デビーがパチンと指を鳴らすと、蛸が二人の拘束を解いた。スルスルと蛸足が離れて、二人は甲板にゆっくり降ろされる。
「もうしばらくしたら、デビー・ジョーンズ・ロッカーへの入り口へ着くわ。その前にご飯食べましょう。お腹が空いたわ。ジョナサン、用意して」
港へ向かう時は、デビーがお疲れだったせいか思ったより時間がかかったが、今は元気いっぱいのようだ。波も風もぐんぐん船を進めて、陸地はもう望遠鏡を使わなければ見えないような場所にある。
「仰せのままに」
「あめだまも忘れないでね」
「わかってるよ」
ジョナサンは、船倉から食料を持って甲板へ戻る。
街で仕入れた堅焼きパンと、水と酒と、干し肉とライム、デビー用に飴玉を用意する。
食料をみんなに配りながら、ジョナサンはデビーに聞いた。
「そんでさ、そろそろ着くって言ったが、デビー・ジョーンズ・ロッカーへはどうやって行くんだ? それっぽいものは見えねーけど」
「海の底へ行く方法なんて、一つしかないでしょう?」
デビーは酷薄な笑顔を浮かべた。




