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海賊のひまつぶし  作者: 櫂矢 真衣
海の悪魔と盗まれた真珠
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第21話 女海賊アン

 ジョナサンは頭を抱えた。

「えぇ……。俺のおふくろ、やば。なにその人……。全力で他人のフリしたい……」

 穏やかな午後の日差しは暖かく、目の前に幽霊がいるだなんて、信じ難い。

 しかし、少女の声はしっかりと話をしたし、声のするあたりに置いたりんごが、器の上でみるみるうちにしおれていった。これが幽霊流の食事らしい。

「おふくろ……? お母さんってこと? あなたもメアリー?」

「いいや、俺はジョナサン。一応確認するんだけどさ、ママってのは、女海賊アンで間違い無いよな?」

「うん。ママは私に「アンって呼んで」って言ってた」

 デビーは険しい顔をしている。

「つまり、この子はあなたの妹ってわけね、ジョナサン。おそらく父親は違うんでしょうけど」

 なにもない虚空とジョナサンを見比べて、エルモはウンウンと頷いている。

「あー、言われてみれば似てる似てる。目元とかそっくりだよ」

「ヒドイハハオヤダナ」

 クラフトは険しい顔をしている。じっと、虚空を見つめて、強く胸を叩いた。

「アンシンシテホシイ。キミノハハオヤハカナラズトメル」

 キリッと決意を固めた顔をしているクラフトに、デビーが言う。

「クラフト、そっちじゃないわ。もうちょっと左」

 クラフトはすっと体の向きを変えた。

「おいおい、勝手に話を進めるなよ」

「ホウッテオクワケニハイカナイダロウ」

「そうだけどさあ……。正直めちゃめちゃ関わり合いになりたくない」

「ダメよジョナサン。あの女が持ってる真珠を取り返さなければいけないんだから、いずれは会わなきゃいけないのよ。私の命令が聞けないの?」

 デビーはメアリーのいるあたりをじっと見て尋ねた。

「あの女、大きな真珠を持っていなかったかしら。私のところから盗んだものなのだけど」

「真珠? ママは真珠の首飾りをいつもつけてたけど、それ?」

「間違いないわ!」

 デビーは、船尾の方へ走って行った。

「その船、さっき出くわした大きい船よね? よーし、引き返してとっちめてやりましょう」

「向こうの船には大砲がある。勝ち目はあるのか?」

「この私を誰だと思ってるの? 海で私に勝てるものなんていないのよ。ジョナサン、あなたはあの船に乗り込んで、私を招待してくれる?」

「オーケー。エドワードの時と同じ感じでいけばいいんだな」

「ええ、波の動きは私の方でコントロールするから、銃が来ようが大砲が来ようが、なんとかなるはずよ」

 ジョナサンは舵を回して、船をぐるりと回す。さっきの船は、こちらに向かって進んでいるのだから、元来た航路を引き返せばすぐに出くわすはずだ。

「こんなことなら、あんなに船を進めるんじゃなかったわ。くたびれて損した」

「ううん、すぐ離れてよかった。もう少し遅かったら、ママはあなたたちで試し撃ちをするところだった」

 メアリーの言葉を聞いて、クラフトとエルモがヒュッと息を飲んだ。

「アブナカッタンダナ」

「そんなのが乗ってる船に近づくの、ちょっとやだなあ」

「安心しなさい。この私が乗ってる以上、海戦での負けはありえないわ」

 絶え間無く、さざ波の音が聞こえる。ここは海の真ん中、デビー・ジョーンズの庭だ。

 遠くに、先ほどの船が見えた。

 ボロボロの船体を引きずるように、だが危なげない動きで海上を滑っている。

「船を寄せるわ。ジョナサン、行けるわね?」

「おうよ」

 ジョナサンたちを乗せた船は、波の後押しを受けて幽霊船へ向かっていく。

「うわ」

 エルモが声をあげた。

「どうかしたのか」

「さっきは気づかなかったけど、あの船の上、すっごく死霊が集まってる」

「真珠のせいでしょうね。海で死んだ者は、みんなあれを目指してやってくる。デビー・ジョーンズ・ロッカーに行くはずの魂たちが、あそこに集まってしまうんだわ」

 それを聞いたクラフトが、ハッと顔を強張らせた。

「モシヤ、アニウエモアソコニ?」

「可能性は高いわね」

 幽霊船は、どんどん近づいてくる。

 こちらに気がついたようだ。マストのてっぺんに、海賊旗が掲げられる。

 ジョナサンは、身震いした。

 実物を見るのはこれで二度目だ。

 これから貴様らを殺して略奪するぞ、という宣戦布告の旗。

 その旗をたなびかせた船が、まっすぐにこちらへ向かってくる。

「よし、ここまで近づけば十分でしょう。ジョナサン、この子に乗って行きなさい」

 デビーが指を鳴らすと、巨大なタコが現れた。太い触手がジョナサンの前に差し出される。

 大きな吸盤の真ん中に足を乗せ、恐る恐る立つ。

 蛸はゆっくりと泳いで船から離れ、ジョナサンを幽霊船の上へと運んだ。

 幽霊船の甲板は、人っ子一人いなかった。

 だというのに、一人でにロープが引かれ、樽が動き、鉄の弾が転がって行って、ひとりでに大砲に収まる。

「うわ、本当に幽霊船なんだな」

 きっとジョナサンには見えていないだけで、たくさんの死霊が船の上で働いているのだろう。

 船の上に飛び移ろうとした時、パチンと指を鳴らしたような音がしたかと思うと、タコの触手がしゅるりと伸びて、ジョナサンの胴体に巻き付いた。

「あら、変わったお客さんね。なんのご用? 休戦の申し出なら聞かないわよ」

 声のした方を見ると、ゆったりとした足取りでこちらに歩いてくる女がいる。

 覚えていないと思ったが、一目でわかった。

 昔、一瞬だけうちに来た母親だ。

「やっぱ、薄情な母親だな、あんたは。俺がわからないか?」

 女はしげしげとジョナサンの顔を見ると、あっ、と顔をほころばせた。

「もしかしてジョナサンかしら? ああ、そうだわ! 大きくなったわね。どうかした? 今更私が恋しくなったのかしら」

「いいや? 用があるのはあんたが盗んだ真珠だ。貢ぎたい女がいてね。悪いけど、渡してもらう」

 アンは首にある真珠の首飾りに手をかけた。

 小粒の真珠が連なった、品のいいネックレスだ。デビーが話していた大きい真珠はそこにはない。別の場所に隠しているようだ。

 アンは、愉快そうにクスクス笑う。

「あら、もうそんな年頃なの。早いわね」

 ぐっ、と胴に巻き付いた蛸足の締め付けが強くなった気がする。

 船に飛び移りたいのだが、蛸のせいでうまくいかない。

「もしかして、デビー・ジョーンズかしら。あの子、私を探してるでしょうし。そのお手伝いってとこ?」

「そうだ。デビーはあんたを海の藻屑にする気らしいぜ? 相当怒ってる」

 振りほどこうとするが、蛸は離してくれる気配がない。

 おかしい。デビーがこんなことをするはずがないし、蛸が自分の意思でこんなことをするのはなおさらありえない。

 さっ、と背筋に悪寒が走った。

 デビーの友人アトラは、真珠を胸に埋め込んだことによって、デビーに似た力を得た。

 真珠の所有者であるアンにも、同じことができてしまうのではないだろうか。

 この蛸は、今アンの支配下にあるのでは?

 そう思い至って、ジョナサンは身をよじらせて蛸から逃げようともがく。しかし、がっちりと掴まれてしまっていて、どうにもならない。

「あら、やっと気づいた? よくわからないけど、真珠を手に入れてから海の生き物たちが私の言うこと聞いてくれるのよね」

 すっ、とアンの手が伸びて、ジョナサンの頬に触れる。皮が厚く硬くなってはいるが、細く繊細な手だ。

「このままあなたの胴体を締め上げてもいいのだけど、どうしようかしら」

「ジョナサン! 息を吸って止めなさい!」

 デビーの鋭い声が耳に届いた。

 ジョナサンは言われた通り、大きく息を吸う。

 蛸は唐突に体をくねらせ、ジョナサンを高く持ち上げた。

「うわわっ!?」

 腰に巻き付いていた触手も不安定に揺れ、ジョナサンはポーン、と海に投げ出される。

 海面に叩きつけられて、浮上しようともがいていると、即座にそこへイルカがやって来て、ジョナサンを背に乗せて泳ぎ始めた。

「イソゲ! サメガイル!」

 ラヴの声に顔を上げると、クラフトがこっちへ飛び込もうとして、エルモに止められている。

 隣になにかの気配を感じて横を見ると、クラフトの言う通り、大きな魚影が見えた。波間に三角の背びれが見える。サメだ。

「ぎゃー!」

「飛ぶわよ!」

 なんのことかと思ったら、イルカが力強く水を蹴り、大きくジャンプした。

 さっきまでイルカの尾びれがあった場所に、大きく開いたサメの口が食らいついたのが見えた。

 イルカはジョナサンを乗せたまま力一杯飛んで、甲板に落ちる。

 木の床に叩きつけられて、ジョナサンは咳き込んだ。

「全員どこかに捕まりなさい!」

 デビーの号令ととともに、ぐんっと船が勢いよく進み始めた。

 船体が大きく揺れ、一同はあたふたと拠り所を探す。

「わー!? なんだ!?」

「シャチに押してもらってるの! 逃げ切れるまでじっとしてて!」

 あり得ないスピードで進む船の上、向かい風を身体中で受ける。

 潮風が目に入ってしみる。船体に弾かれて飛ぶ水しぶきが、ビシビシと身体中に当たる。

 ようやく幽霊船が見えないところまで逃げ延びると、デビーはイルカを海に返しつつ、悔しそうに地団駄を踏んだ。

「もー! ようやく捕まえたと思ったのにー! なによあの女! 絶対に許さないんだから!」

 ジョナサンは、歯噛みするデビーの前にしゃがみ込む。

「ありがとな。助かった」

 服が水を吸って、ずっしりと重い。ポタポタと雫が体から落ちる。

 濡れた体に風を浴びて、すっかり冷えた体に太陽の光がありがたかった。

 クラフトは怯えているラヴをなだめ、エルモは早すぎる航行に耐えきれなかったのか船べりで吐いている。

「あれが、ママが目指してた街?」

 メアリーの声に顔を上げると、水平線にうっすらと陸地が見えた。

 栄えている港のようだ。たくさんの船が停泊しているのが遠目にもわかる。


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