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海賊のひまつぶし  作者: 櫂矢 真衣
海の悪魔と盗まれた真珠
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第19話 声だけの少女

 デビーは、ふふっと肩をすくめて笑ってから答えた。

「ええ、来たわよ。その頃にはもう真珠も盗まれた後で、目印なんてなかっただろうに。泥棒の手がかりを探し回って、一休みしようと帰ったら、あの絵描きが待っていたの」

 空は灰色の雲に覆われ、パラパラと小雨が降り始めた。ジョナサンはこれ幸いと空いている木の樽を持ち出して、真水の確保に務める。

 ポツポツと、白いマストに水の粒が落ちて、丸いシミをいくつも作る。

 うっすらとしか見えないが、おそらく太陽はそろそろ中天に差し掛かるくらいだろう。

「私を見つけると大慌てで画材を出して、気がすむまで描いてたわ。布を貼ったキャンバスに油絵の具を使ってた。それなら、海の底でもまあ使えなくはなかったわ」

「なんて言ってた?」

 エルモの問いに、デビーは呆れ笑いを浮かべながら答える。

「「願望を押し付けて美化してしまったかと思ったが、なんのことはない。わしの記憶や妄想より、実物の方がずっと綺麗じゃ」って言って、描くだけ描いたら満足して消えたわ」

「よかったー! 心配だったのよねー! いつか私も死んだらデビー・ジョーンズ・ロッカーに行くよ。その油絵、見たいもん」

 デビーはクスクス笑って尋ねる。

「神の御許に行かなくてもいいの?」

「そのうち行くよ。寄り道くらいはしてもいいと思うんだよね。……ところでさ」

 エルモは恐る恐る話題を変えた。

「盗まれたって……、アトラの真珠が?」

「そうよ。今は、その泥棒を探しているところなの」

 デビーの答えを聞いて、エルモは血相を変えた。

「大変じゃない! どこの誰よそんなことをしたのは!」

「俺のおふくろなんだな、これが」

 ジョナサンが答えると、エルモは「えぇーっ!」と声をあげる。

「あっ、なるほど。だからお母さんを止めようと追いかけてる感じ? 悪いことはやめなさい! 的な?」

 そう言われて、ジョナサンは答えに詰まった。

「えーと、そうなのか?」

「イヤ、ボクニキカレテモ」

 ジョナサンが望んだことは、海に出たいということ。それから、エドワードみたいなやつらが海を独占するのはイヤだな、ということ。

 正直なところ、顔も覚えていない母親をどうこうしようという気は、あまりない。

「一応母親らしいけど、ほぼ知らない人だからなあ」

 それを聞くと、エルモは押し黙り、少しの間百面相をしてから、ガシッとジョナサンの肩を掴んだ。

「私のことをお母さんだと思っていいからね!」

「いや、別にいい」

 今聞いた話から、ジョナサンの身の上を想像したらしい。目を潤ませて慈愛に満ちた顔をしている。

「遠慮しないで! 甘えていいのよ!」

「いいってば」

「ほら、ママって言ってごらん?」

「酔ってんのか?」

 途中で止めたとはいえ、酒瓶の中身はもう相当量減っている。

 雨が強くなって来た。

 ジョナサンは、若干呂律の怪しいエルモを引きずって船室へ向かう。

「クラフト、こいつの面倒任せた。俺は甲板を確認してくる」

 近くにいると絡まれそうだったので、ジョナサンはエルモをクラフトに押し付けることにした。

「ワカッタ」

 クラフトは快くエルモの面倒を引き受け、船室へ向かう。

 ジョナサンが甲板のロープやマストを確認し、異常がないことを確かめてから自分も船室に戻ろうとすると、舳先にデビーが座っているのを見つけた。雨に濡れ、髪や服が水を吸っている。

「おーい、一緒に船室行こうぜ。濡れたら風邪引くぞ」

「冗談でしょ? 私は海の底に住んでるのよ?」

 デビーは舳先に座り、海面を覗き込んでいる。つま先が時折、波に触れる。つるりとした脛が雨粒を弾き、雫が滴って海に落ちる。

 ジョナサンは、デビーの隣に立った。

「あなたはさっさと船室に戻りなさい」

「なあ」

 聞いておかないといけない気がして、ジョナサンは半ば遮るようにして問いかけた。

「アトラは、お前のところに顔出したのか?」

「いいえ。来てないわ。真珠が完成する前に海に溶けたか、まだどこかでさまよってるか」

「悪いな、うちのおふくろが。そんな大事なものだったなんて」

「知っていたところで、あの女は平気な顔で盗んで行ったでしょうよ。海賊ってそういう奴らだもの」

 足をぶらぶらさせて波を蹴り上げながら、デビーは軽く笑った。

「責任を感じる必要はないわ。親の因果を子に持ち越すつもりはないの。あなたはただ、私の手足になってくれればそれでいい」

「ああ。わかった。それと、もう一個聞きたいんだけど」

「なにかしら」

 雨が海面を叩く音が、ますます大きくなってくる。

 ひんやりした湿気のおかげで、ずっと潮風に触れていた喉が少々楽になったような気がする。

「まだ陸に上がりたいか?」

「さあ、どうかしら。上がったところで用事もないし。海での生活は、結構満ち足りてるし」

 ジョナサンは、デビーの脇の下に手を入れて、ひょいとその体を抱え上げた。

「なにをするの」

「いや、やっぱ雨の中に幼女を放置して自分だけあったかい部屋に行くのは、ちょっとな」

「わかったわよ。私も行くから、下ろしなさい」

 間抜けな格好が不服なのだろう。デビーは不満げにジョナサンを見上げている。

「よし、約束しよう。俺はいつか、お前を連れて陸へ行く。用事がないっていうなら、そうだな。うさぎさんでも見に行くか」

「物好きな奴ね」

「俺はデビーのおかげで行きたい場所に行けたんだ。お前が行きたい場所があるなら、どこでも連れてってやる」

「どうやってやるつもりなの? 私は海から離れられないって言うのに」

「うーん、そうだな。海水を入れた樽にお前を入れて、それを背負って行くとか?」

「楽しみにしてるわ」

 デビーは楽しげにクスクス笑った。

 しかしすぐに表情を消し、きょろきょろと辺りを見回す。

「どうかしたのか?」

「近くに大きな船がいるわ。ぶつかるといけないから、舵を取りなさい。私の方で調整するけど、一応ね」

「オーケー、わかった」

 ジョナサンは言われた通り、舵を握って辺りを見る。

 雨粒の向こう側に、確かに大きな影が見えた。

 見上げるほどに大きなガレオン船だ。こんなに大きな船を見るのは、エドワードの船以来だ。

 しかし、ジョナサンは違和感を覚えた。

 あまりにも帆がボロボロなのだ。あれでは風を受けることはできないだろう。帆だけでなく船体もボロボロで、沈んでいないのが不思議なくらいだ。

 なのに、その船はぐんぐんと雨の中を難なく進む。人力で動かしているのかと思ったが、オールが出ている様子もない。

 船は、ジョナサンたちの少し前をゆっくりと進んでいる。どうやら同じ方角を目指しているらしい。

「えいっ!」

 デビーが大きく手を振り上げて、勢いよく振り下ろす。大きな波が一つ立って、ジョナサンたちの船を一気に押し流した。これだけ離れれば、衝突の心配はないだろう。

「ついでだし、もう少し押し出そうかしら」

 デビーは続けざまに腕を振り回す。大きな波が次々と現れて、船を先へ先へと運んで行く。

「おー! すげーな! こんなに早く進む船、他にはないんじゃないか?」

「ふふふ。そうでしょうとも! 思う存分褒め称えなさい!」

 船は勢いよく海面を進み、最後にツーっと滑ると通常の速度に戻った。

「デビーちゃんすげーな! あの船、あっという間に見えなくなっちまった!」

 後方に目をやるが、先ほど見たボロボロの船は影も形も見えない。

 雲の下から抜けたせいだろう。雨も先ほどよりも弱い。

「これ、疲れるからあんまりやりたくないのよね……。ジョナサン、おやつをちょうだい」

「あんまり食べるとお昼ご飯入らなくなるぞ」

「いいじゃない。疲れたんだもの。りんごが食べたいわ」

「おっ、あれ気に入ったのか。しょうがねーな」

 りんごを用意しようと船倉へ向かうと、船室から出て来たエルモと鉢合わせた。ひどく顔色が悪い。

「なに今の……、すごい揺れだったけど……。うぷ」

 酒の酔いも手伝って、ひどい船酔いをしたらしい。慌てて道を開けると、エルモは船べりまでよろよろと歩いて、海に向かって勢いよく嘔吐した。

 少し遅れて、クラフトも後を追って来る。

「ナンダッタンダ?」

「デビーちゃんの活躍により、衝突事故を回避したところだ」

「ソレハスゴイナ」

 船べりで、吐くものを吐ききったエルモが呻き声をあげる。

「うー……、気持ち悪いよー。神よ、お助けください……」

「そんな些細なことまで助けてたら、神様は過労で倒れるだろうよ」

「正しき者は七度倒れても再び起き上がるっていうし、神様ともなれば何回倒れても大丈夫でしょ」

「やめろやめろ。丈夫だからってこき使うな」

 ジョナサンは、りんごを四つ持ち出して甲板に戻る。

「デビーちゃんのリクエストにより、おやつの時間だ。一人一つだぞ」

 ナイフを取り出して、一つずつ剥いていく。

 フラフラしながら戻って来たエルモが、不思議そうに言った。

「あれ? 一つ足りないんじゃない?」

「え? 人数分出したはずだぞ? えー、俺、デビー、クラフト、エルモで四人……、ああ、ラヴのぶんってことか? ラヴは丸々一個なんて食べきれねーし、俺のを少しやるつもりだったけど」

「五人でしょ? あの子だけまだ紹介してくれないけど、人見知りなの?」

 あまりにもはっきりとエルモが言うので、ジョナサンは不安になった。

 もしかして密航者でも乗っているのだろうか。

「えー、じゃあ数えるぞ。一、二、三、四……」

「五」

 耳慣れぬ声だった。

 ゾワっと背筋が泡立つ。知らない誰かがこの船に乗っている。

 気配を感じ取ったのか、ラヴがクラフトの肩から飛び立って、けたたましい声で船の上を旋回し始めた。

「誰だ!」

 ジョナサンが叫んで周囲を警戒し始めると、エルモは事態を察したのか、青い顔をさらに青くする。

「もしかして、見えてないの? そこにいるのに」

 エルモが指差す先を見る。ジョナサンにはなにも見えない。

「俺にはなにも見えてない。なにがいる?」

「小さな女の子。デビーちゃんよりちょっと大きいくらいかな」

 ジョナサンは、デビーとクラフトの方を見た。

「確かにいるわね」

 デビーはそう断言したが、クラフトは首を横に振っている。見えていないらしい。

「つまり、そこにいるのって……」

 ジョナサンが恐る恐る聞くと、エルモはこともなげに言った。

「幽霊だね」

 即座に、クラフトがジョナサンの後ろに隠れた。

「聖水だか十字架だかで祓えねえのか?」

「ちょっと待って。敵意はないみたい。なにか、伝えようとしてる」

 エルモはその場にしゃがみこんで、なにもない空間に向かって語りかけた。

「ごめんね、ちょっとびっくりしちゃった。無理やり追い払ったりしないから、大丈夫だよ。どうしたの?」

「私、メアリー。幽霊船から来たの」

 確かにはっきりと、そう聞こえた。

 ジョナサンとデビーは顔を見合わせ、頷きあった。

 メアリー。ジョナサンの母であるアンの、死んだ相棒と同じ名前。なにか関係があるかもしれない。

「よし。そんな隅っこじゃなくて、こっちに来いよ。もう一個りんごを持ってくるから、食べながら聞かせてくれ。お供えすれば、一緒に食べられるよな?」

 急いで船倉に戻り、もう一つりんごを持ち出す。

 ジョナサンが一同のところに戻ると、声だけの少女は話を始めた。


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