クリとユキ
1.出会いⅠ
あいつと会ったのはいつ頃だろう。
ぼんやりとする頭で考える。
出会わなければ、こんな歪んだ関係になることも無かった。
あいつはきっとまともな人を見つけて、その人を好きになったほうがいい。
なんで、あいつは俺なんかの事が好きなんだろう。
俺はあいつが好きだ。だけど、それを伝えてはいけない。
あいつが俺を忘れるように、俺は身を引かないといけない。
それが、たぶん一番いい選択肢なのだろうと思う。
あいつと俺が出会ったのは、おそらく10年より前の話だ。
あいつは、五歳くらいの女の子で、公園でひとり砂場で遊んでいた。ちょうど、俺も一人で公園にいて、タバコをふかしていた。仕事が休みで、特に何かすることはなく、暇していた。あいつには、近くに親は居なかったのを覚えている。たった一人だった。公園には、俺とあいつの二人しか居なかった。
俺は普段、知らない人に気楽に声をかけるような人間ではないが、暇だったのと、あいつが可愛かったのもあって、ふと声をかけていた。
「何してるの?」
「山作ってるの。」
あいつは山を指した。
「手伝おうか?」
「うん、おじさん、手伝って。」
そして、二人で一緒に山を作った。砂を泥にして、山を作る。泥団子を作って渡したら、あいつは笑顔になって「ありがとう、おじさん」と言った。
「名前はなんていうの?」俺は尋ねた。
「ユキっていうの」
「ママはどこにいるの?」
「ママが、言うこと聞けない子はお家から出て行きなさいって言ったの」
その話を聞いたとき、俺は女の子に対して親近感を覚えた。俺もかつて母親からそのように言われ、家の外で立たされたことがあった。
「ママは料理作ってくれる?」
「ううん。ママは忙しいから」
俺の親は、ネグレクト気味で、俺は食事もまともに与えられることがなかった。家にもほとんど帰って来なくて、生きるか死ぬかの瀕死の状態のときに児童相談所に発見され、養護施設に送られた。自分と同じような境遇にある女の子のことが気になり、可哀想で不憫に思えた。
自然と俺はこう言っていた。
「家に来る?」
「おじさんの家?」
「うん。ママがね、おじさんの家に泊めてもらうように、言ったんだ。だから泊まろう」
「いいよ。行きたい」
そして、俺は女の子を家に連れてくることに成功した。
2.出会いⅡ
あいつをつれてくることに成功はしたが、その後のことはどうすればいいかなにも考えていなかった。あいつは家に入ると、周りをきょろきょろと見渡し、
「ママのうちに似てる」と言った。
その後、外に出かける用の新しい洋服を買ってくると、あいつは「可愛い」と喜んだ。
子供がいるってこんな感じの生活なんだな。楽しいなと思った。食事をつくって、テーブルに並べると、「おいしそう」と喜んだ。誰かがいるってこんな生活なのか。自分の事を頼ってくれる相手がいて、喜んでもらえる生活。こんな生活に俺が依存しないわけがなかった。
お風呂に入るときは、まじまじとあいつの身体を見ることになった。洋服を着ているときには見えない箇所に、いくつか青あざが見つかって、虐待されていたのかなと感じた。
「ママは言うこと聞かないとき、何するの?」
「ママは悪くないもん!ユキがいけないんだよ。いつもね、言うこと聞かないと家から追い出すぞっていうの。あとはね、言うこと聞かないと押入れに閉じ込められたりするの。暗くて怖いところに独りぼっちにされるのやだよ。いやああ」
感情が極まったのか、急に泣き出したあいつに俺は戸惑い、ただ背中をなでて、「大丈夫だよ」としか言えなかった。子供が泣いたとき、どうなだめたらよいのか、俺は知らなかった。
しばらくして泣きが落ち着いてくると、「パパみたい」と笑顔を見せた。
「パパもね、ユキが泣いてるとね、背中をなでてね、「大丈夫だよ。パパが守ってあげるからね」って言ってくれるの」
「パパは優しいんだね」と俺は言った。
「パパは世界で一番優しいんだよ。パパのこと大好きなの」
あいつにこれだけ思われているパパに少し嫉妬しそうになった。俺は言った。
「実はね、本当のパパは俺なの」
「えー?パパはそんなこと言ってなかったよー?」
「これからは俺のことはおじさんじゃなくてパパって呼んで」
「うん。分かった。パパね」
こうして、俺はパパになった。
3.変化
俺とあいつの関係が変わったのは、あいつが高校生くらいの年齢になったときだった。
あいつのことは誘拐してきたので、当然あいつは高校には通っていない。
あいつが俺の事を好きだと言うようになったのだ。俺はあいつに「大人になったら親に会わせる」と嘘だけれど話していた。あいつは俺の事を育ての親として、好きになったみたいだった。
「俺に育ててもらった恩返しがしたい」と言うようになった。
俺はずっと自分が生きている意味を見出せなかった。生きていることに意味はなく、早く死にたいと思っていた。
誰かのぬくもりを欲していた。誰かに必要とされたかった。そうすれば、俺はもう少し生きられる。この価値のない自分に価値があると少しでも信じられたなら。
そんななか、あいつと出会い、共に暮らしてきた。その関係性が俺にとっては、生きがいだった。俺にとってあいつは絶対に欠かせない存在だった。
だから、あいつから「好きだ」と言われたとき、とても嬉しかった。俺が思うように、あいつにとっても俺は大切な存在である、と知れたことはとても嬉しくて仕方なかった。
しかし、あいつはある日の食卓で、突然こんなことを言った。「彼氏ができたの」
突然の報告に、俺は固まった。あいつに彼氏ができたことを喜ばなければという気持ちがあった。ところが、俺の心は冷え切っていて、あいつに彼氏ができたことが許せなかった。
「お前みたいなブスに彼氏なんかできるか」と俺は冷たく言い放った。
「お前はただ俺のことだけ好きでいればいいんだよ。彼氏なんかつくりやがって。俺のことが嫌いなのか、お前」言っているうちにヒートアップしてきた。イライラしてたまらなくなった。
「ごめんなさい、お父さん」
あいつがしょんぼりと謝る。申し訳なさそうに、目を伏せて。その可哀想な哀れな姿が余計に気に障った。
「謝って許されると思うのか!」
気がついたら、俺はあいつに手を挙げていた。ふと我に返った頃には、あいつは俺の下で顔を覆い、泣いていた。顔は青黒く腫れ、痛みを帯びていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・」とずっと呟いていた。俺は今更ながらに罪悪感が襲ってきていた。とても大切な存在であるあいつを泣かせてしまったことが、自分でも許せなかった。それと同時にもっとあいつが俺によって苦しめばいいという気持ちも少なからずあった。もっと泣いて苦しめ、そしたら俺を忘れずにいてくれる。快の記憶より、苦の記憶の方がはるかに記憶に残るから。
あいつに手を上げたとき、気持ちよかったのも事実だった。手を上げるということは、圧倒的な上下関係をつくりだすものであり、あいつより上の立場として力を振りかざすという事は楽しくて仕方なかった。
暴力は確かにいけないことで罪悪感もあったが、気持ちよいことのほうが圧倒的に強くて、俺はしばし余韻に浸った。
そして、悪魔の言葉をささやいた。あいつのすべてを支配したかった。
「俺のことが好きなら、俺のことはクリ様と呼べ。」
「はい」
あいつはうつむいたまま、頷いた。どんな気持ちで俺の言うことにはいと言ったのか、それは分からない。
「俺のことが好きなら、俺の召し使いになれよ」
俺はあざ笑いながら、言った。
あいつはうつむいたまま、何も言わない。
「顔を上げろよ」
あいつが不意に顔を上げる。美しい顔の半分に青あざができている。その傷を見たとき、思わずニヤニヤしてしまった。
もっと傷つけたい。もっと醜い姿に変えたい。俺に服従してほしい。
「俺の召使になるか?」
あいつは目を伏せた。そしてゆっくりと頷いた。
「はい」
それからことあるごとに、俺はあいつに対して暴力を振るうようになった。
現在
それから二年くらいがたった今・・・
今まで、お姫様だったあいつは一転して、灰かぶりの召使いへと転落した。俺は王様になった。俺は何でもあいつに命令して、あいつはその命令に素直に聞いて実行する。あいつが何を考えているかはわからなくて、それがすごく怖かった。本当は、俺に対して「死ね」と思っているのではないか。俺の事なんか嫌いになってしまったのではないか。最初は気持ちよさからあいつを殴っていたけれど、いつしか俺は不安からあいつを殴るようになっていった。
「どうせ俺の事なんか嫌いなんだろう。いつも素直にはいと言っているけれど、心の奥底では俺のことを嫌っているんだろう。嫌いなら嫌いって言えよ」
「違います。好きです。本当に好きなんです」
「嘘だ!」
「違うんです、本当に・・・」
あいつはうつむいて首を振る。また、嘘をついているのか。本当は俺に対して復讐したいと考えているのではないか。本当は俺のことなんてもう好きではなくなってしまったのか。
不安だった。不安から俺は手を上げた。
あいつの考えているところはよくわからなかった。いつも俺の命令に素直にうなずいて、はいと言い実行するだけのロボットと化していたから。
あいつの本当の気持ちを知りたかった。でも怖かった。俺はあいつのことが好きだ。信じてもらえないと思うが、あいつのことが好きだった。
好きだからこそ知りたい、知りたくないジレンマがあった。
あいつは可愛くて美しい。それは俺が認めるところだった。もし、俺より好きな人ができたらと思うと、嫉妬で狂いそうなほどだった。
俺にはあいつしかいない。そのあいつに嫌われたらと考えると、怖くて仕方がなかった。
そんな矢先だった。あいつが家に帰ってこなくなったのは。
「買い物に行ってくる」と言ったきり、帰ってこないのだ。
俺はしばらく待っていた。最初は少し寄り道したのではないかと考えていた。
夜になり、いつもならあいつがご飯の支度をする時間になっても帰ってこなかった。
家出したのか。とぼんやり思った。
今まで家出しなかったほうが珍しい。こんな家庭環境で今までずっと我慢していた方がすごいのだろう。
それと同時に、今まではぜんぜん感じなかったことが思い浮かんできた。
今まであいつは俺のことをどう思っているのかばかりが気になっていたけれど、あいつ自身のことについてぜんぜん知らなかったことに気づいた。
あいつってどういう人間なんだろう?
あいつは何をすることが好きで、何をすることが嫌いなのだろう。
すると疑問が浮かんできた。
今まで俺はあいつのことが好きだったけれど、それは本当に好きといえるのか?
ずっと俺は受け入れてほしいと感じていた。
あいつを傷つけ、殴る、こんな最低な自分を受け入れてほしいと感じていた。
でも、もうそれをしてはいけないのだ。
今までずっと受け入れてもらっていた。でも受け入れられたからといって、不安がぬぐえるわけではなく、さらに不安になっただけだった。
もうこんな関係は終わりにしなければならない。
そのとき、「ただいま」という声がした。
あいつが帰ってきたのだ。
俺はあいつを迎えに行き、こう言った。
「もう帰ってこないから」
「え・・・」
あいつがびっくりしている脇をすり抜け、俺は家を出た。
死のうと思った。
あいつの幸せを願うなら、俺は居ないほうがいい。
「ま、待ってください・・・!」
ふと見ると、あいつが俺の腕をぎゅっとつかんでいた。
「こんな遅い時間にどこに行く気ですか? あの遅くなってすみません。怒っていますよね」
「何してたんだよ?」
「ちょっと公園に行って、女の子と遊んできたんです」
あいつはにやっと笑った。しかし、すぐ申し訳なさそうな顔になり、「ごめんなさい」と言った。
あいつはびくびくした様子で、小さく言った。
「殴らないでください・・・」
「もうやめようと思うんだ。こんな関係は」
俺はきっぱりと言った。
「やめるって、え?」
あいつは理解できていない様子でそう言った。
「俺はいなくなる。お前は一人で暮らせばいい」
「嫌です」
あいつは首を振った。
「お前の顔見ると、イライラするから。俺はもう殴りたくない。これ以上最低なやつになりたくないよ」
「・・・」
あいつの顔から表情が消えて、握っていた手が離れる。
俺はあいつを置いて、離れる。
どんどん遠ざかっていくあいつ。
俺はあいつと初めて出会った公園へと向かった。
あの頃と何も変わらない公園だった。
そこのベンチに腰を下ろし、これからについて考える。
これからといっても、これから生きていくことは考えられなかった。
あいつがいない生活はこんなにも味気ないもので、つまらないものだったか。
あいつと一緒にいる喜びを知ってしまった今、今更一人では生きられなかった。
死ぬしかない。
その方がいい。
俺みたいなクズは死んだほうがいい。
「死なないで」
あいつの顔がふと思い浮かんだ。
「あなたが死ぬのはいやなんです」
俺は頭を振って、その妄想をかき消した。
あいつに許してもらってはだめなのだ。
これなら、まだ許さないと言われたほうがましだ。
俺は許されてはいけない。
死ぬことが俺に出来る最後の罪滅ぼしだ。
だから死ぬ。
そして、その翌日俺は首をつって死んだ。