生け捕りにされた幽霊
西暦一九八〇年夏のその日は、歴史的に記念すべき日であった。
それなのに、歴史の教科書や百科事典はもちろん、当時の新聞にすら載らなかった。
というのも、当事者が発表したはいいが、どの報道機関も、莫迦々々しすぎてまるで取り合わなかったのだ。
その日は、人類の歴史上で、初めて、幽霊が「生け捕り」にされた日であった。
・・・読者よ。もしあなたが今お笑いになったのなら、その笑いこそ、この事件が歴史に残らなかった理由である。
もっとも、オカルトがらみの雑誌の記者たちは、喜々として取材に来た。しかし、一目見て、それが読者の興味を引くものではないと判り、取材もせずに帰ってしまった。
なぜかと訊くなら、それは愚問のたぐいである。昼のひなかに、電子機器がごてごてと付いた、世にも近代的な檻の中で、縄で縛られた「活きの良い」幽霊が、「人権蹂躙だ、早くほどけこの野郎」などと悪態を吐いている様子を見て、人知の及ばぬ心霊への、かすかで奥ゆかしい、背筋の凍るような恐怖を感じることができる人がいるなら、その器用な神経の持ち主に、筆者は心から敬意を表しよう。
さても哀れなるは幽霊であった。彼を捕まえたのは、研究のためなら倫理など顧みない冷酷非情な科学者であった。
幽霊を構成する「U粒子」を発見した彼は、丑三つ時に百物語をするという古典的な方法で幽霊を呼び出し、U粒子を捉える縄で縛り上げ、研究室に拉致し、特殊な檻に監禁してしまったのだ。
科学者は、幽霊の「生体」実験をはじめた。それは筆舌に尽くしがたい残酷さをもって行われ、幽霊の苦しみは一通りのものではなかった。
このことが行政の知るところとなり、幽霊の人権を巡る議論が俄かに起こった。そして、この科学者の論文をもとに、幽霊が存在することを行政は認めた。しかし、それを人間として扱うかどうかとなると、問題は複雑になった。蘇生と見なして戸籍を復元すれば、供養して成仏させた坊主に、殺人や自殺教唆といった罪名が付くことになりかねない。「生者」でも「死者」でもない「幽霊」という新たな枠を新たに設けねば、その人権を保障しえないのだ。
ここへきて、行政は得意技「議決先延ばし」を発動し、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでしまった。
幽霊は特殊なメスで全身を切り苛まれ、ついに解剖されてしまった。そして、幽霊の死体は、特殊な液体に漬けられて標本にされた。
それから程なくして、科学者の勤める大学で、奇妙な噂が立ち始めた。夜な夜な、死んだはずの幽霊の呻き声が聞こえてきたり、科学者の研究室のあたりに、さも恨めしそうな顔の幽霊が立っていたりするというのだ。
そして、科学者自身も、日に日に健康を損ねていった。学生たちは、それを祟りと噂したが、調べてもU粒子は検知されなかったので、科学者はそれを否定した。
そんなある日、かつて取材せずに帰ってしまった雑誌の記者が再び科学者を訪ねた。
「こんちゃーっす!『週間たたりじゃ』の者でーす!」
「ああ、いつぞやはどうも。今日はどうされまして?」
「実は、こちらに幽霊がいると伺って、取材に参じましてねえ」
「あの幽霊は記事にならんとおっしゃったじゃないですか。それに、あの幽霊はもう解剖して殺してしまいましたよ」
「だからこそじゃないですか!その幽霊の幽霊の取材に来たんですよ!」
2018/02/09起筆