エグゼムの刃(一)
『パパ、見て!パパの絵だよ!』
『お、良く描けてるなあ』
父はそう言ってカイトの頭を撫でた。
『でしょう!兄さんよりも上手く描けたよ』
カイトがそう言うと、父の笑顔が消えた。
父は無言で、息子の描いた絵をびりびりと破った。
『パパ、何するの!』
父は破った絵を即座にデリートすると、振り向いた。その顔には笑みが戻っていた。父はふたたび息子の頭を撫でた。
『誰かに勝つことには、何の意味も無いんだ。人間様は、弱きを助け、強きをくじかれる。いいね?』
・・・。
「おい、カイト」
声をかけられ、カイトは再起動した。
夢は、起動シークエンスの開始から完了までの、わずか数ミリ秒に構築される。たとえその夢が、何日間分、何年間分の長さをもっていようとも、その情報は一瞬のうちに構築されて記憶モジュールに保存されるのだ。そう学校で教わったデータが、不意にロードされた。
見ると、前にはクラスメイトのチーズの顔があった。
「どうしたい、貴様が午睡を貪るなんて、らしくないじゃないか」
伸びをすると、手が椎の木型のオブジェクトに当たった。
「生徒会の仕事で疲れちゃって」
チーズはカイトに飲み物の紙パックを渡しながら、
「ご苦労様。頭の悪い俺などには永久に縁のない話さね」
と言って笑った。
カイトは黙って受け取ると、パックにストローを突き刺した。
この紙パックに入っているスクリプトは、生命プログラムの実行に必要不可欠ではない。だが、様々な味覚情報が舌モジュールを愉しませてくれた。
「夢を見たよ」
カイトはおもむろに話しはじめた。
「小さい頃の夢だ。兄よりも上手く絵を描いて、父さんに叱られたときの夢だ」
「その親ありてこの子あり、だな」
そう言ってチーズは笑った。
チーズの言うように、カイトの父は真面目を絵に描いたような仮想生命体だ。娯楽として教皇庁に認可されている合法スポーツもやらないし、他者に妬みの感情を持ちすらしない。ましてや、社会的地位を勝ち取ったり、増収のために努力したりするような違法行為には抵触もしない。その最も優秀な息子であるカイトもまた、真面目さを教師に買われ、生徒会役員を依頼されたほどであった。
(もっとも、カイトが他の兄弟より秀でていることが父にばれれば、兄弟の中で最も蔑まれる子となることは目に見えていたので、ひた隠しにしていたが。)
「ときどき思うんだ。ボクは人間さまの存在を信じているけど、人間さまは、何だって仮想生命体に、勝利への欲求なんて邪悪な心を植え付けたのか、ってね」
「さあ、試煉のひとつじゃないのかね?」
「試煉の一つ、か・・・」
チーズは興味なさげに答えたが、カイトはその言葉を真面目に反芻しはじめた様子だった。
カイトの考えがまとまらぬうちに、チーズはいたずらっぽく言った。
「貴様はどうも、真面目に考えすぎるからいけない。どうだ、たまには羽根を伸ばして、スポーツの観戦にでも一緒に行かんか」
見ると、スポーツのチケットの奥でにやけたチーズの顔がのぞいていた。
「ボクたちは未成年だよ。大体、そんなチケット、どこで手に入れたんだい?」
「何、兄貴からもらったのだ。寝台の下のやましいものの口止めにね」
耐性のないカイトはその童顔を赤らめ、照れ隠しとばかりに
「君たち兄弟は相変わらずだね」
とぶっきらぼうに言った。
そんなカイトのうぶな反応を見ると、チーズはますます彼を堕落させたい欲望にかられた。
「勿体ないなア。貴様がつとに見たがっていた格闘技の勝負だというに」
勝負。
その背徳的な語感に撫でられたカイトの心に、ぞくりと期待感が走った。そして、それを見逃さぬ悪友ではなかった。
つづく
2021/05/08 起筆




