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思考実験劇場  作者: 坂本小見山
究極のもの
30/32

エグゼムの刃(一)

『パパ、見て!パパの絵だよ!』

『お、良く描けてるなあ』

 父はそう言ってカイトの頭を撫でた。

『でしょう!兄さんよりも上手く描けたよ』

 カイトがそう言うと、父の笑顔が消えた。

 父は無言で、息子の描いた絵をびりびりと破った。


『パパ、何するの!』

 父は破った絵を即座にデリートすると、振り向いた。その顔には笑みが戻っていた。父はふたたび息子の頭を撫でた。

『誰かに勝つことには、何の意味も無いんだ。人間(かみ)様は、弱きを助け、強きをくじかれる。いいね?』


 ・・・。


「おい、カイト」

 声をかけられ、カイトは再起動した。

 夢は、起動シークエンスの開始から完了までの、わずか数ミリ秒に構築される。たとえその夢が、何日間分、何年間分の長さをもっていようとも、その情報は一瞬のうちに構築されて記憶モジュールに保存されるのだ。そう学校で教わったデータが、不意にロードされた。


 見ると、前にはクラスメイトのチーズの顔があった。

「どうしたい、貴様が午睡を貪るなんて、らしくないじゃないか」

 伸びをすると、手が椎の木型のオブジェクトに当たった。

「生徒会の仕事で疲れちゃって」

 チーズはカイトに飲み物の紙パックを渡しながら、

「ご苦労様。頭の悪い俺などには永久に縁のない話さね」

 と言って笑った。

 カイトは黙って受け取ると、パックにストローを突き刺した。

 この紙パックに入っているスクリプトは、生命プログラムの実行に必要不可欠ではない。だが、様々な味覚情報が舌モジュールを愉しませてくれた。


「夢を見たよ」

 カイトはおもむろに話しはじめた。

「小さい頃の夢だ。兄よりも上手く絵を描いて、父さんに叱られたときの夢だ」

「その親ありてこの子あり、だな」

 そう言ってチーズは笑った。


 チーズの言うように、カイトの父は真面目を絵に描いたような仮想生命体(ひつじびと)だ。娯楽として教皇庁に認可されている合法スポーツもやらないし、他者に妬みの感情を持ちすらしない。ましてや、社会的地位を勝ち取ったり、増収のために努力したりするような違法行為には抵触もしない。その最も優秀な息子であるカイトもまた、真面目さを教師に買われ、生徒会役員を依頼されたほどであった。

(もっとも、カイトが他の兄弟より秀でていることが父にばれれば、兄弟の中で最も蔑まれる子となることは目に見えていたので、ひた隠しにしていたが。)


「ときどき思うんだ。ボクは人間(かみ)さまの存在を信じているけど、人間(かみ)さまは、何だって仮想生命体(ひつじびと)に、勝利への欲求なんて邪悪な心を植え付けたのか、ってね」

「さあ、試煉のひとつじゃないのかね?」

「試煉の一つ、か・・・」

 チーズは興味なさげに答えたが、カイトはその言葉を真面目に反芻しはじめた様子だった。


 カイトの考えがまとまらぬうちに、チーズはいたずらっぽく言った。

「貴様はどうも、真面目に考えすぎるからいけない。どうだ、たまには羽根を伸ばして、スポーツの観戦にでも一緒に行かんか」

 見ると、スポーツのチケットの奥でにやけたチーズの顔がのぞいていた。

「ボクたちは未成年だよ。大体、そんなチケット、どこで手に入れたんだい?」

「何、兄貴からもらったのだ。寝台の下のやましいものの口止めにね」

 耐性のないカイトはその童顔を赤らめ、照れ隠しとばかりに

「君たち兄弟は相変わらずだね」

 とぶっきらぼうに言った。


 そんなカイトのうぶな反応を見ると、チーズはますます彼を堕落させたい欲望にかられた。

「勿体ないなア。貴様がつとに見たがっていた格闘技の勝負だというに」


 勝負。

 その背徳的な語感に撫でられたカイトの心に、ぞくりと期待感が走った。そして、それを見逃さぬ悪友ではなかった。



 つづく

2021/05/08 起筆

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