背広を着た二人の侍
西暦二〇〇八年冬。都内某所。
鬼塚重工の幹部である岩本という若い女の自宅に、悪徳企業として名高い吉田グループの男がスカウトにきた。
彼は、敏腕かつ冷酷なヘッド・ハンターとして名のしれた神埼という男だった。
背広姿の二人が挟むテーブルいっぱいに、彼女の業績について調べ上げた資料が広げられた。神崎は、吉田グループが彼女を高く評価していることを主張した。
彼は、資料を一切彼女に手渡すこと無く、弁舌が済むやいなや鞄にしまいこんでしまった。
また、彼は固有名詞を一切口に出さず、「あなた」や「そちらの会社」と指示語をつかって喋った。録音されている場合に備えてのことと思われた。
岩本は、神埼の申し出を、鄭重に、かつ毅然と断った。
すると、神崎はこう言った。
「失礼ですが、そちらの会社はあなたの才能を本当に活かしてくれていますか」
「どういう意味です」
「聡明なあなたなら分かっておられるでしょう。そちらの社長が部下の才能を潰す方だということが」
「中傷には抗議申し上げます」
「これは失敬。しかし、そこですよ。あなたは、あなたの社長に忠義を誓っておられる。
ねえ。我々は、言わば現代の侍なんです。主君のために戦い、才能を存分に発揮することが、我々の幸せでしょう。私も、この業界では冷血漢だとか悪魔だとか言われていますが、結局は同じです。私もあなたも、良い主君に仕えようじゃありませんか」
獲物を狙う蛇のような神埼の目を、岩本はじっと見据えたまま話を聞いた。
聞き終えると、彼女は微笑んで言った。
「おっしゃることはよく解りましたわ。あなたの主君に仕えた方が、私は刀を振るえるかもしれませんね」
「分かっていただけましたか」
岩本は掌を見せて神埼を制して話の続きをした。
「そして、その刀の許には、無辜の町人のしかばねが積み重なることになるのです。
私の主君は、天下こそとれないかもしれません。しかし、その領民のかまどは、つねに賑わっています。あなたの主君の領民はどうです。重い年貢に喘ぎ、一揆を企てては、見せしめとしてむごたらしいやり方で殺される。
私は、自分の十の才能を、十ぜんぶ主君の野望のために活かすより、たとえ十のうち一しか活かせなかったとしても、その一が民草のために活かされるなら、そちらを選びます」
その言葉を聞き終えたとき、神崎は苦笑して言った。
「勿体ないなあ。実に勿体ない。そんな考え方をして、むなしくなりませんか?」
「それはこちらの台詞です。お引取りください」
こうして交渉は決裂した。しかし、二人とも、不思議に、理解し合える戦友と話せたような気がしたのだった。
2018/03/13起筆




