たとえ神に背いても
ドイツに住む、その寄生虫は、学名をロイコクロリディウムといい、かたつむりの目に寄生し、視界を狂わせて明るみに出るよう仕向け、鳥に食べられさせ、自らは鳥の腹中で産卵を行なうという。
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「彼」の同胞たちは、草叢の影で、正餐の儀式を執り行っていた。
彼の民族の宗教では、生活の一切が神事とされていた。食事により命を繋ぎ、危険から身を守り、やがては結婚して民族を繁栄せしめる。それら生命の運営が、延いては神の意に沿うとされていたのだ。
彼もまた敬虔な信者であった。
以前、空から猛獣が攻めてきたとき、彼は「身を隠す」という神事を行ない、その結果、現に命が助かった。そのとき彼は、神の加護を、慄きとともに確信したものだった。
だが、「彼女」が現れてからというもの、神事を行なっても、信仰の悦びが湧かないことはないが、いやちことは言えなくなってしまった。実際に神の加護にあったときでさえ、かつてのような、ありありとした驚きは感じられなくなってしまったのだ。
そんなことを考えながら、彼は今、正餐の儀式をしている同胞を尻目に、緑色の巨木を登っていた。
やがて頂上に辿り着くと、俄かに日光が降りかかり、彼は眩しさに目を瞑った。
そのとき、声が聞こえた。
「身体に障るわ。早く降りて」
彼は、その声に答えた。
「見たまえ。ここからは、辺りが一望できる。こんな眺望を、我が同胞は一人として知らないのだよ」
「それが教えなんだから仕方ないでしょう。高いところに登れば、乾燥や猛獣によって死んでしまうかもしれないわ。そうすれば、神様の意志に背くことになるのよ」
「勿論、神の御意志を軽んじるつもりはないさ。しかし、その教えに背いたことで、今、僕らは新たなる展望を得たのだ。僕らは新世界にいるとは思わないか」
彼のか弱い肌は、日の光により、じわじわと潤いを奪われていった。そのとき、彼は、自分が、神へのささやかな反抗心の充足を感じていることに気付いた。
「もう降りましょう。危ないわ」
「折角新世界に来たのだぜ。もう少し待ってくれたまえな」
「私がいけないんだわ。私が現れてから、あなたは変わってしまったのよ」
「僕は変わってなどいない。さっきも言ったが、僕にとって神の教えが至高であることに変わりはないのだ。ただ、何と言おうか、至高の教えに反し、悪に落ちたとしても、その悪を、善に転換することなしに、あくまで悪のままで受け容れてもいいという気持ちになったんだ。・・・『狂気』。そう、『狂気』さ」
そのとき、俄かに日光が遮断され、彼は陰の中に含まれた。
見上げると、太陽を隠すように、こちらに向かって飛んでくる巨大な鳥の姿があった。
「逃げましょう、早く!」
そう言われてから少し考えたのちに、彼は言った。
「いや、逃げない。奴が僕を食えば、君は奴の体内で子を成せるだろう。それこそ、僕の君への愛の究極の形ではないかね」
「あなたが本当に志すべきものは、私への愛なんかじゃなく、神の教えに則って命を守ることでしょう!」
「だがそれによって、君が本当に志すべき、君の民族を繁栄せしめることが叶わなくなるなら、僕は、たとえ神に背いても死を選ぼう。『それが僕の意志でもある』などと、陳腐な台詞を吐く気はない。二度言うが、これは僕にとって、やはり悪しき決断であることに変わりは無いのだ。だが、僕はそれでも、喜んでこの身を捧げよう。他ならぬ、目に入れても痛くない君に」
こうして、かたつむりは鳥に食い殺されたのだった。
2017/07/15起筆




