自己研鑽が趣味
里奈の病室には、里奈と同じく、余命わずかの少女がいた。名は涼子と言い、里奈に対して一つ年下でこそあったが、病の連帯感からか、二人はすぐに打ち解けた。
この病室は彼女たち二人でしまいだった。
二人は、治る見込みがないので、ある程度の自由な行動が黙認されていた。
里奈は趣味の漫画執筆に没頭していた。この入院生活の中で、彼女の漫画の腕は、健康だったころとは比べられないほどに上がっていた。
思えば、病気になる前は、親の期待に応えんがため、したくもない楽器の稽古などに明け暮れ、あまつさえ、それが自分の嗜好なのだと思い込んでいた。
余命を宣告されたことで、自分が真に好むところのものに気付いたことは、全くもって皮肉である。
また、自分が去ったあとのこの世に、作品だけでも遺したいという思いもあったのだ。
他方、涼子はと言うと、いつも勉強に励んでいた。
外国語の習得、世界史の解説書の渉猟、更には宇宙物理学の研究。
それらは、素人たる里奈の目にも、趣味の範囲を超越したものとして映った。涼子は、さながら「知識の溜池」であった。
「涼子ちゃん、今で何ヶ国語目?」
「母語話者の発音を十分に聴き取れるのは、英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語、ロシア語の五ヶ国語。読み書きに支障がないものは、全部で二十ヶ国語。今やってるのはスペイン語よ」
「スペイン語か。今度は、何に役立てるの?」
「『役立てる』?」
「英語は海外の論文、ドイツ語は哲学書、ラテン語は神学の研究のために覚えたのでしょう、確か。なら、スペイン語は何なのかな、って」
里奈がそう言うと、涼子は微笑をもって言った。
「あら、それらは副産物よ」
「そうなの?じゃあ、何のために語学を?」
「外国語を沢山知っている分、知識の及ぶ範囲が世界に開かれてるって感じで、格好良いじゃない?」
涼子が明け透けにそう言うので、里奈は呆気に取られてしまった。
そして生じた「ある違和感」が、里奈の口を衝いて出そうになったが、彼女は辛くも押しとどめた。
しかし、涼子はそれを見透かし、問わず語りに語った。
「私、純粋に『より優れた人間になること』が趣味なの。だから、知識を溜め込むだけ溜め込んで、能力を拓くだけ拓いて、何をも為さずに死んでも、それでいいのよ」
⁂
それから十年が過ぎた今では、里奈は、一端の漫画作家であった。
実は、里奈の余命宣告は誤診によるものであり、実際には快方に向かっていたのだ。
彼女は今でも、友の命日には墓参りを欠かさないのであった。
涼子の墓前で、里奈が合掌しつつ内心にて言うことは、いつも決まっていた。
「本当、知識も能力も、この地面の下に持って行っちゃったわねえ」
2017/05/26起筆




