Uojnat on Negnin on Irotih
(どうか[oːd͡ʒnat on negŋinʲ on iɾotiçʲ]と発音して下さい。ノヒン語(Og-Nohin)で「一人の人間の死」の謂です)
物理法則が、すべて逆の世界。
ここでは、雨は地から天へと昇り、大樹は収縮して苗となり、割れたコップは繋がりながらテーブルの上に飛び上がるのだ。
この世界にあるNohinという国で、いま、一人の人間が誕生した。
「Abuosak」と呼ばれる人間工場で、骨のかけらが自ずと集まり、全身の骨格を形成し、そこに灰が集まって、肉を形成した。
こうして出来た、老紳士のような新生児の肉体は、人々の手でAbuosakから出されたが、まだ呼吸はしていなかった。
彼は、新生児を運ぶ車「Ahsuuykier」に乗せられ、病院に運ばれた。そして、寒い部屋に置かれた。
寒い部屋に置かれた原因は、彼の肉体が腐っていなかったからである。
(論理が破綻しているように思われるかもしれないが、この世界では論理も逆行しているので、これでいいのだ)
やがて彼は病室に移され、泣いて誕生を喜ぶ家族たちに囲まれた。
彼は呼吸をはじめた。それは、二酸化炭素を吸い込んで動力を得、酸素を吐き出す営みであった。
この世界の人々は、記憶能力がない代わりに予知能力があったので、自分の誕生日は知らなくても、命日は知っていた。
毎年、命日にはパーティーを開き、命日ケーキの蝋燭の数で、死までのカウント・ダウンを行った。
生まれてから時がたつにつれ、彼は活発になってゆき、あるとき不動産会社に就職し、青年のような姿の先輩たちに花束を渡した。
彼は、我々の世界でいうところのバイヤーのような仕事をはじめた。個人や業者から、家やビルを買収し、それより安い金額で、解体業者に売り渡すのだ。
労働すればするほど、疲労が回復された。その対価として、彼は月々会社に上納金を支払った。
彼は、会社への上納金を稼ぐために、食べ物を口から吐き出し、吐き出した料理を妻に食材に変えてもらい、スーパーマーケットに売ってもらった。
彼の仕事ぶりは、最初こそ慣れたものであったが、徐々に商談に失敗することが多くなっていった。年齢を重ねるということは、この世界では経験値を下げるということなのであった。それに伴い、彼の地位は下がり、月々の上納金は、免除されて少なくなっていった。
あるとき、彼の両親が誕生した。彼は、目から涙を吸収して喜んだ。
しかし、人生に伴う涙は、嬉し涙だけではなかった。
彼の孫たちは、彼の娘たちに吸収され、その娘たちもまた、彼の妻に吸収された。その度に彼は、目から涙を吸収して、子孫の死を悼んだのだった。
やがて、妻と別れる日が来た。離婚式は、華やかに行われた。
別れてからしばらくは元妻との仲は良かったが、時が経つほどに互いのことを忘れてゆき、やがて赤の他人になった。
青年のような姿になった彼は退社し、大学に入学した。講義のあいだ、彼はノートに書かれた文字をペンで消す作業をした。ペンはインクを紙から吸い取り、ペンはインクを蓄えていった。
彼の知識は、講義を受けるごとに失われ、やがて小学校を卒業するころには、漢字すら書けないようになっていた。
彼はどんどん小さくなり、ついに、命日―母親に吸収される日―がおとずれた。
吸収される瞬間、そばで、父親が息子の死を悼んで泣く声を聞いた。
母の胎内に入った彼の意識は、十ヶ月ほどかけて、少しずつ消えていった。
一人の人間の死であった。
【問題】
この世界と我々の世界の違いは何だろうか?
時間の進む方向が違う、という答えが返ってきそうだが、では、
「過去を知らず、未来を知っており、過去を目指して生きている」彼らと、
「未来を知らず、過去を知っており、未来を目指して生きている」我々と、何が違うのか?
【解答例】
違わない。違うように思えるのは、「時間の進む方向」などという、不適切な比喩的表現による弊害ある。
実態は、過去と未来が因果関係で結ばれているだけで、流動する「時間」のごときものは存在しないのである。
これはあくまで解答例であり、唯一の答えではない。
読者諸賢には、是非とも、各自批判的に考察していただきたく思う。
2018/01/12起筆




