悪魔のタイム・トラヴェル
[第一章]
知らぬ間に、俺は悪魔に貸しを作ってしまったらしい。
いきなり俺の前に現れたそいつは、白尽くめの服装で、ボブカットの、女の悪魔だった。
「貸しなんて作った覚えはないのですが・・・」
「お前は今日学校で、ラジオ体操の途中にふざけて白目を剥いただろう。それが、私が長年戦ってきた縄文の邪神を倒す鍵となったのだ。・・・と言っても、お前たち人間には理解できまいがな。そんなことより、何か望みを言え。私は、人間に借りを作るのが嫌いなのだ」
有無を言わさぬ言いようだ。
とまれ、俺は、予てからの夢を、悪魔に打ち明けることにした。
「タイム・トラヴェルって、できます?」
「私を誰だと思っている」
「そのあと、ちゃんと帰ってくることもできますか?」
「当たり前だ」
「この世界とそっくりなパラレル・ワールドとかは、なしですよ」
「そんな如何様はせぬ。但し、タイム・トラヴェルをしている間の記憶は、元の時代に戻れば消えてしまうぞ」
「それでは意味がないでしょう」
「タイム・トラヴェルをしている最中は、ちゃんとタイム・トラヴェルをしている自覚を持てるのだ。お前たち人間は、矢鱈に記憶を重視するが、記憶など、認識機能のごく一部に過ぎないのだ。・・・と言っても、人間には理解できないだろうな」
二言目にはこれである。
釈然としなかったが、俺は、悪魔に、百年後の世界に連れて行ってくれるよう頼んだ。
⁂
[第二章]
「連れて行ってやったぞ。未来の世界に」
悪魔はそう言うが、その間の記憶がない俺には、ついさっき彼女が
「コントロール・シー」
と呪文を唱えてから、何事も起きていないようにしか思えない。
「タイム・トラヴェルしている間、俺は何をしていたのですか?」
「私はタイム・トラヴェルしていないから、知るはずはない」
「何ですって?」
「現在の私がしたのは、言わば、お前を百年後に『送る』作業だ。百年後の私が、お前を『受け取る』作業をし、更に『送り返す』作業をしてくれたのだ。まあ、どうせ・・・」
「『人間には理解できないだろう』ですね」
「物分りの良い奴だ。兎に角、借りは返した。厳密に言えば百年後に返し終わることになるのだが、私にとっての百年など、人間で言う二ヶ月程度だ。では、さらばだ」
そう言って、悪魔は姿を消してしまった。
その後、俺は有名な学校に進学し、やがて機械工学者として名を挙げた。
何度か、あの出来事を思い出しては、『あれは夢だったのかなあ。いや、本当にタイム・トラヴェルしたのかも知れないな。覚えてないけど』などと考えた。
白寿を目前にして、俺は、成功と言い得る生涯を全うした。あの悪魔が、再び俺の前に現れることは、ついに無かった。
⁂
[もう一つの第二章]
「連れてきてやったぞ。未来の世界に」
悪魔がそう言うように、彼女が
「コントロール・シー」「コントロール・ヴィー」
と呪文を唱えると、辺りはたちどころに未来の世界に変じたのであった。
翼の無い小振りな自家用ジェット機が飛び回り、通行人は人型ロボットの執事を連れている。
人々の交わしている言葉は、俺の時代の言葉よりもずっと砕けた、アルバイト敬語の進化系といった具合のものだ。
悪魔は、俺に、未来の携帯電話を見せてくれた。
手を翳すと、空中に立体映像が現れ、そこには、俺に関する情報が載っていた。
それによると、俺は、順調に出世し、この便利な世界の実現に貢献することになるようだ。
俺は、将来に関する諸々の不安がすべて吹き飛ぶのを感じた。この記憶が、元の世界に戻れば消えてしまうのは、すこぶる残念だ。
「満足したか?」
「ありがとう、悪魔さん!」
「そうか、そうか。では・・・」
そう言うと、悪魔は、殺意の篭った指先を俺の額に突きつけた。
「何をするのです」
「お前にはここで死んでもらう」
「それでは約束が違う!それに、今の俺が死んだら、この時代に貢献した『未来の』俺も消えてしまい、歴史が変わってしまうぞ!」
「『この』お前が死んでも、百年前に『置いてきた』お前は消えやしない。なに、心配は要らぬ。お前は真の意味で死ぬわけではないのだから。『この』お前の記憶が、お前という時間軸の総体から除外されるにすぎないのだ。まあ、人間には理解できないだろうがな。・・・では、さらばだ。『バックスペイス』」
それより先の、俺の意識は無い。
2017/06/02起筆




