運命(後編)
(二)
佐藤の考えはこうだった。
彼女が追突事故を回避し、尚且つ、回避したことで起こった事故をも防げたとして、もし、その場合も、やはり彼女の恋人が別の方法で死ぬ運命を辿っていたら?
彼女が事故を起こしたのは、無限にある死の可能性の一つに過ぎず、彼女にはそもそも責任は無いということになる。
佐藤は、特殊課が開発した、簡易の予知ソフトウェアを使おうと考えたのだ。
これは本来戦略を立てるために開発されたものであり、状況をインプットすると、その後何が起こるかがシミュレートされるのである。
事情を話すと、友人の特殊刑事は、快くこれを貸してくれた。
佐藤は、このソフトウェアに、集められる限りのあらゆる情報を入力した。
当事者の体調、その日の天候、交通状況、行き先であった百貨店で催されていたイベントとその客の入り具合、等々。
すると、ソフトウェアは、浅岡の恋人は、事故を回避できた十数分後に、百貨店の試食コーナーで集団食中毒に遭い、ただ一人の犠牲者となることになったと示したのだ。
佐藤は、これを証拠として法廷に提出した。浅岡の過失の関与の有無にかかわらず、恋人が死ぬ運命にあったことを述べ、彼女に責任は問えないと主張した。
しかし、この主張は即座に却下された。
「本法廷は、被害者死亡の直接的な原因の所在を明らかにするものであり、被告と無関係な事故死の可能性は議題ではない。そもそも、完全なシミュレートなどは原理的に不可能であり、被告が被害者の死亡を回避できなかったとの主張の論拠にはなりえない」
と。
佐藤は、「それでは見殺しにしないと莫迦を見ることになってしまうではないか」と思ったが、それは口に出さなかった。
なぜなら、法の言う「責任」とは、そもそも、その事故を回避する可能性がどこかに必ずあることを前提としており、「運命」のようなものを持ち出せば、「責任」という概念が根底から瓦解してしまうのだということを、佐藤は、職業柄、よく心得ていたからであった。
結局、浅岡は敗訴した。
閉廷後、佐藤は浅岡を車で送って行こうと申し出た。しかし、浅岡はそれを拒否した。
「近いですし、お送りしますよ」
「いいえ。先生、私、もう懲りたんです」
「『懲りた』?」
「私、その場に居合わせたら、無駄だと分っていても手を打ってしまう性分なんです。でも、そうすれば私が罪に問われるでしょう?」
佐藤は、その言葉の意味を理解したとき、頭の中が真っ暗になったように感じた。
起筆日不詳




