鏡の国から来た少女
西暦二〇〇六年末。岡山県にて。
中学三年生の比奈は、学力に多少の難こそあれ、健康で快活な、世間並みの少女であった。
だが、どうしたわけか、遠い目で鏡を見つめ、何やら物思いにふけることが、たびたびあった。
自らの容姿を憂えているわけではなさそうで、鏡に映る部屋の様子や町並みを、懐かしむように見ていたのだ。
人がそのことについて尋ねても、比奈は答えなかった。それは、秘密にしているというより、言ったところで信じてもらえぬことを予期しているといった具合であった。
だが、彼女がその由を打ち明ける日は来た。
三年のうちにごく親しくなった友人の泰子の部屋で、いつものように鏡を覗き込んでいるとき、ぽつりと告白したのだ。
「あたしね、この向こう側の世界に住んどったんよ」
泰子は慄然とした。冗談で言っているようには聞こえなかったのだ。となると、彼女が妄想を抱いていたということに他なるまい。
比奈は鏡を見たまま、更に続けた。
「十二年前、大地震があったでしょう。あのときに、こけて、元の世界の姿見にぶつかったの。その拍子に、私はこの世界に来てしもうて、この世界の私は、私がもといた世界に行ってしもうたんよ」
「夢ってことはないの?」
比奈は、泰子の方を見、微笑んで言った。
「信じられんのも無理ないわ。ジョークじゃ思うて忘れね」
比奈はそう言ったが、泰子には、聞いてしまった以上、とてもそう思うことができなかった。
泰子は、議論によって比奈の妄想を破ろうと企てた。それができると信じるほどに、泰子の、理性を恃む心は純朴であったのだ。
「鏡に映る世界は、鏡に反射された、『この世界』の光が、見る者の目に入ることで、あたかも完結した一つの世界であるかのように見えるだけで、実際に鏡の中に世界があるわけではあらんのじゃよ」
「それを言うんじゃったら、この世界かって同じじゃよ。世界から発された光が、網膜の上に像を結びょーるんに過ぎんのじゃから。『何かを認識する』っちゅうことは、『網膜に結ばれた像を、実在性として解釈する』っちゅうことに他ならん。鏡の世界と、何も変わらんよ」
泰子は面食らった。比奈が理詰めで反論するのを見たのは、初めてであったのだ。
泰子は、理性の土俵を恃んでこそおれ、その土俵の上において比奈と自分が同等であるとは考えていなかった。そのため、比奈が尋常に応戦してくるとは思ってもみなかったのである。
泰子が面食らっているうちに、比奈は、またも鏡の方を向き、懐古の姿勢に戻ってしまった。
「来てすぐのころは苦労したで。何せ、文字が左右逆なんじゃけん」
それを聞いて、泰子は、よもや、比奈の言うことは本当なのではないか、と思い始めた。
比奈は、浮図、再び泰子の方を向き、付け足した。
「あ、でも、『右』と『左』には苦労せなんだよ。向こうの世界では、左のことを右と言いよったけん、『左に行けば台所がある』という言葉の意味と、実際の部屋の配置とが、結果的に一致するんよ」
2017/11/18起筆




