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思考実験劇場  作者: 坂本小見山
認識のいたずら
10/32

転身

 西暦二〇〇六年、東京。


 親友の(たけし)が、俄かに性転換手術を受けた。


 とは言え、彼は身も心も完全な男性であり、心身の性の不一致に悩んでなどはいなかった。

 彼は同性愛者であった。そして、片恋の相手である異性愛者の男を振り向かせるべく、手術を敢行したのだ。


 小生は、往年の友人として、彼の手術に反対した。

「君はいつもそうじゃないか。相手に好かれようと、相手好みの仮面で、本当の自分を隠蔽してばかりだ」

「君はそう言うけれど、愛されたいという気持ちは、いかんとも御せないのだ」

「たとい、それで相手が君を愛してくれたとしても、愛されたのは君自身じゃなく、仮面の方なのだよ」

 などと問答を重ねたが、彼の決意は固かった。



 それから一年間途絶えていた音信が、俄かに通った。


 結論から言うと、用件は金の無心であった。


 武、改め武子(たけこ)は、あの後、素性を隠して相手の男と交際を始めたが、本当の自分が愛されていないと気付き、耐え難くなったというのだ。

「君の忠告の意味が、やっと解った。武子という仮面に隠された本当の私は、愛されてなどいないのだ。私は今、武子に嫉妬している。かくなる上は、私が武子になるより他にないのだ。私は、脳の改造手術を受けようと思う。そして、心身ともに、完全に仮面に同化するのだ」


 そのとき小生は、彼の意志が予想外のものであったことと、その妙な説得力から、ろくに止めもせず、結局手術の代金を貸してしまった。



 手術は成功し、更なる一年間が無事に流れたかに見えた。

 だが、彼、いな、彼女は、またも、小生の許に金の無心に来たのだ。

 聞くと、彼女は、完全な女性になったことで、相手の男への愛情がなくなってしまったというのだ。

 そして彼女は、あろうことか、またも手術を受けて、今度は犬になりたいというのだ。飼い主たる彼に無条件の愛を注げるようになろうから、と。

 犬の肉体に自らの脳を移植し、それに合わせた脳の改造手術を受けるというのである。


 流石に、小生はこれには金を出さなかった。

 彼女が犬になれば、人間としての彼女は、この世のどこにもいなくなってしまう。これは、死に等しいのではないか。そう思ったのだ。

 彼女によると、犬になっても、医者が持っている特殊な機械を用いれば、人間ともある程度の意志の疎通が可能であり、彼女の精神は変質こそすれ消滅はしないのだというが、小生は納得できなかった。

 実験も兼ねているため、料金が大幅に値引きされるとは言え、大変な金額であることに変わりはなかったということもあった。


 結局、彼女はどこからか金を集め、手術を受けてしまった。(因みに、これまでの貸金は、犬になったことで全て踏み倒されてしまった)



 それから暫くして、小生はどうしても彼女のその後が気に懸かり、ついに例の交際相手の男を訪ねた。

 小生とその男の間にも面識があった。三人は同じ昆虫愛好会の会員であったのだ。


 男によると、つい最近、野犬が庭に入ってきたので、保健所に連行させたというのだ。

 小生は慄然とし、すぐさま保健所に連絡し、その犬を引き取りたいと申し出た。ところが、その犬は既に引き取られていたというのだ。


 小生は、犬となった彼女の引き取り手に思い当たるところがあった。小生は、未だ会ったことのない、例の外科医を訪ねた。予想は的中し、その外科医が、彼女を保健所から引き取ったのであった。

「彼女はKrankeであると同時に、大切な実験台ですからね。その後ですか?彼女の希望で、オオクワガタに整形してやりましたよ。流石に、犬から昆虫に脳を移植することはできませんから、クワガタムシの脳に、彼女の記憶の情報をインプットしたのです。高価なパラワンオオヒラタクワガタですから、相手の男性は何も知らずに大切に育てていらっしゃいますよ」



 ・・・。



 あれから十年。彼女の魂を宿したクワガタムシは、疾うに死んだ。だが、彼女の魂は、例の男の愛用のフォーク・ギターに移し替えられたのだ。

 どんな整形手術をしたのかは小生の知るところではない。だが、我が友の魂はこれからも、愛する者と共に生き続けることだろう。

2017/04/24起筆

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