7 子守唄
歩は、人の気配でふと目を覚ました。
「この子、もう2年になるんだってね」
「あらそう。親御さんも大変よねぇ。入院費もバカにならないでしょうに」
「ほんとねぇ・・・この先何十年もこのままだったら、どうすんのかしら・・・」
「ウチの子勉強は出来ないけど、こんな子を見ると、贅沢言えないわね〜」
「ほんとねぇ〜」
掃除の女性が二人、作業をしながら話している。植物状態の歩に聞かれているとは夢にも思っていないので、歩は時々こんな本音の会話を耳にしてしまう。
また時には、歩の個室が不倫中の医師と看護師の密会に使われることもある。
その時は部屋の気温が少し上がってなんだか息苦しいので、意識だけの世界に自分から戻るようにしている。
歩は、こんな余り嬉しく無い訪問者でも、来ないよりマシだと思う時もあれば、やっぱり来ないでほしいと思うこともある。
意識だけの世界に閉じ込められていた頃は、周りに誰もいないのが当たり前だと思っていた。でも今は、自分以外の誰かがいるのに、誰も自分の存在に気づいてくれない。
自分はここにいるのに、いないものとして扱われる。
まるで、幽霊みたいだ。
普通の6歳ならば、無償の愛を一身に感じている頃なのに、目覚めたことで却って、歩は孤独を感じるようになった。
だから歩は、一年前に目覚めてからいつの間にか、孤独を紛らわす方法を覚えた。
1つめは数字を数えること。
4歳で入院したから、たくさんの数字は知らない。
なので、1から10まで数える。
10まで数えるとまた1に戻る。
早く数えたり、ゆっくり数えたり。
これを何時間も眠くなるまで繰り返す。
2つめは歌を唄うこと。
ママが唄っていた子守唄を想い出しながら、歩は同じ歌を何回でも唄う。
ママの優しい唄声は、お腹にいたときから大好きだ。
歩はママがくると、新しい子守唄を歌ってくれるんじゃないかと、最初は期待していた。
でもママは、いつも寝ている自分には子守唄を歌わないと気付き、期待することをやめた。
歩が一番悲しかったのは、大好きなママとパパが歩の前でケンカを始めた時だ。
「南美が目を離さなければ、歩はこんなことにならなかったんだよ!」
いつもは優しい真が興奮して南美を責めた。
「私が・・・四六時中歩から目を離せない大変さが、あなたにはわからないのよ!」
「しんちゃん・・・心の中で、そんなふうに思ってたんだね・・・」
南美が嗚咽を漏らす。哀しい空気が歩の胸も締め付ける。
「あ・・・いや・・・」
「・・・ごめん・・・言いすぎた・・・」
大好きなママとパパを悲しくさせているのが自分だと思うと、歩も悲しくなる。
ぼくがいなくなれば、ママとパパはまた仲良くしてくれるのかな。
ぼくなんか生まれてこなければ良かったのに。
目がさめなければ良かったのに。
歩は悲しくて声をあげて泣きたかったけど、意識だけの歩は涙を流すこともできない。
ぼくがいない方が幸せ?って聞くこともできない。
気持ちを吐き出す術を一切持たない歩の胸には、悲しみや辛さが檻のように溜まっていった。
たった6年しか生きていない歩には、とても耐えきれないことだった。