17 犯人
病院から帰宅した千尋は、一睡も出来ないまま朝を迎えた。
濃いめのコーヒーを落としている間に、昨日のことをあれこれ考えるも、まだ考えの整理がつかない。
ひろちゃんに伝えたら、何て言うんだろう。
病院が分からなかったと嘘をつけば、自分の胸だけにしまっておける。
コーヒーが出来た電子音に気づかず、千尋は思いあぐねていた。
午後になり、千尋は病院に足を運んだ。
病室に入ると五十嵐は起きていたが、歩は来ていないようだ。
「あれ?今日はコロボと遊ばないの?」
千尋は努めて明るく振る舞う。
「ああ、それより千尋、お前身重なんだから安静にしてなくていいのか?」
「え?あ、うん・・・大丈夫よ。ありがとうひろちゃん」
千尋は笑顔で返したが、五十嵐の言葉に驚いた自分に気づいた。
五十嵐は決して冷たい男ではないが、細かな気配りをしてくれる質ではない。それが今、自然と自分を気遣うことばをかけてくれた。
歩と出会ってから、五十嵐は少しづつ変わっていた。
「ひろちゃん、実は昨日・・・歩君の病院、行ってきたの」
「え!?ホントか?」
普段はあまり表情を変えない五十嵐が、目を見開く。
「うん・・・」
「お前・・・直ぐに見つかったのか?」
「うん、下調べばっちりだったし、三軒目で見つけた」
「それはすごいな・・・。やっぱり俺たち、あゆむと縁があるなぁ」
五十嵐が目を細め微笑む。まるで孫を溺愛するお爺ちゃんみたい。千尋は思った。
「それで?あゆむの奴、驚いてたろう!?」
千尋は、言葉に詰まった。
五十嵐は期待に満ちた目で千尋を見ている。
「それがね・・・」
千尋の表情が曇り、じわっと瞳が潤む。
「千尋、どうした・・・?」
「ひろちゃん・・・歩君、植物状態の子だったの・・・」
「え・・・?」
五十嵐は信じられなかった。しばらく次の言葉が出ない。
「植物状態?・・・あゆむが・・・?」
千尋は目を伏せたまま、コクリと頷く。
「意識不明なのか?」
「うん・・・」
「2年の間ずっとか?」
「うん」
「うんってお前・・・だってあいつは、俺たちはあゆむと何度も話したじゃないか。この前だって・・・」
「わたしにも、わけがわからないよ・・・」
千尋が首を振る。
「その子は、あゆむで間違いないのか?」
「この目で見たし、歩君の病院に長く勤めている掃除のおばさんからも聞いた」
「ご両親の名前も、ひろちゃんが言ってたのと同じだった・・・」
五十嵐が小さく唸る。
「それにしても・・・2年も意識不明で、どうやってコロボに現れて俺たちと話ができるんだ・・・」
「そういえば前にあゆむに、どうやってここに来た?って聞いことがある」
千尋が固唾を飲み、次の言葉を待つ。
「あいつ、光るところを通ってとか言ってた。その時は子供の妄想だと思って、気にも留めなかったが・・・」
五十嵐の話を聞いた千尋がはっとした。
「ひろちゃん・・・」
「もしかして歩君、意識があるのかも・・・」
「えっ?どうゆうことだ?」
「うん・・・上手く言えないけど、実は意識があるのに自分の身体は思うように動かせなくて。だけどコロボなら、思い通りに動かせるっていうか・・・」
「そんなバカなことがあるか!?」
「でも、あの病院にいた子は絶対歩くんだし、私もひろちゃんも仲良しのあの子なの!」
五十嵐は珍しく感情的な千尋に気圧された。
「千尋、わかった。別にお前を疑ってるわけじゃない・・・」
彼女が言う通り、千尋が見た男の子はあゆむだろう。五十嵐は思った。しかし、意識不明のあゆむが、なぜコロボに現れて話が出来るのかは、謎のままだった。
「それとひろちゃん・・・」
「歩君ね・・・ひき逃げだった・・・・・・」
「ひき逃げ・・・?」
五十嵐は耳を疑った。
「あゆむは、ひき逃げであんな事になったのか!?」
「犯人は!?」
「それがね、まだ手配中みたいで・・・」
「歩君の病院から帰る時、駅前に手配中の犯人の似顔絵が貼ってあって」
千尋はスマホの写メを五十嵐に見せた。
五十嵐はスマホを凝視する。
「・・・どこかで見た顔だ・・・」
頭の中で呟き、記憶を辿る。
しかし憶いだせない。
「ひろちゃん、どうかした?」
「あ、いや・・・何でもない・・・」
それからしばらくして、疲れが出た千尋は病院を後にした。
五十嵐は念のためにと、似顔絵の写メを千尋からメールして貰っていた。
消灯時間が過ぎても、目を瞑ると似顔絵の男が瞼に浮かび寝付けない。
どうしても気になった五十嵐は、暗い中もう一度写メを開き、記憶を辿った。
「あ・・・!」
ふいに五十嵐は、似顔絵の男が黒田に瓜二つなことに気づいた。
「奴ならやりかねない・・・」
五十嵐はスマホを片手にしばらく考えていたが、電話帳を開き、黒田に電話をかけた。黒田と話すのは、襲撃を受けて以来だ。
呼び出し音が10回を数えたとき、黒田が出た。
「・・・あんた生きてたのか。タフだなぁ」
顔は見えないが黒田が薄ら笑いを受かべているのが判る。
黒田は、五十嵐が一命を取りとめたことを知っていたが、とぼけていた。
「ああ、生きてるさ。死ねない理由が見つかったからな」
「はぁ?てめぇ何言ってんだ?」
電話の向こうは黒田以外にも何人か居るらしく、ざわついている。
五十嵐はいきなり核心を突いた。
「黒田お前・・・2年前に轢き逃げしてるな」
「・・・はぁ?」
「2年前の11月6日、夜6時過ぎ、仙河駅近くの国道20号沿いで、子供をはねてそのまま逃げたよな?」
電話を持つ黒田の顔が一瞬にして険しくなった。
2年前のその日、黒田達は前日の夜から徹マンに興じ、昼までに百万近くの現金を手にしていた。当然違法な賭け麻雀だ。
連中はその勢いでマサルの運転で、府中競馬に足を運んだ。競馬場では昼からビールや焼酎を煽り、買ったり負けたりを繰り返したが、最終レースに全額突込み、百万近くの金が一瞬で紙屑と化した。
車に乗り込んだ連中は自棄酒を煽りながら、渋谷方面に向かった。
普段は格下のマサルが運転するのだが、前夜から一睡もしていなかったため、近藤は爆睡し、マサルも今にも寝落ちしそうだったため、黒田がハンドルを握った。
その日は終日薄曇で小雨もパラつき、特に視界が悪かった。
黒田も徹夜明けの大量の酒で、眠気に襲われながらなんとか運転していたが、一瞬眠りに落ちた。
「ドンッ!」
と衝撃がし、すぐに目を覚ました。
一瞬ブレーキを踏み、バックミラー越しに目を凝らすと、横断歩道に子供が倒れ、母親が多い被さる姿が見えた。
マサルも近藤も目を覚ましていないのを幸いと、黒田は急発進し、その場から逃げた。
完全な酒気帯び運転の信号無視だった。
その後、歩をはねた車はブローカーを通して海外に売り、証拠を隠滅していた。
「て、てめぇ何を根拠に」
「手配書の似顔絵が、お前にそっくりなんだよ。もう、逃げられねぇぞ」
「俺がやったって証拠でもあんのかよ?」
「お前が潔白なら、警察でそれを証言しろ。俺は警察にお前の情報を流す」
「おい笑わせんなよ。闇金屋のおめぇもパクられんぞ」
「上等だ。首洗って待ってろ」
「てめ・・・ぶっ殺すぞごらぁ!」
五十嵐は一方的に電話を切った。
ガチャ切りされた黒田は怒りが収まらず、バーのテーブルを蹴り倒した。
灰皿や飲み物が飛び散る。
轢き逃げが図星だったこともあり、黒田は余計に気が動転した。
肩で激しく息をしている。
「黒田さん、落ち着いてください!」
マサルがビビりながら声をかける。
「うるせぇ!てめぇもぶっ殺すぞ!」
「おい!計画を早める。獲物からわざわざ飛び込んできた」
「五十嵐を殺る。すぐ動け!」
皆、黒田の突然の激昂に唖然とする。
「てめぇらっ早く動け!」
黒田の勢いに、マサルを始め全員が慌ててバーを出た。
怒りが収まらない黒田は、酒を煽り、鋭い目つきで一人で何度も呟いていた。
「ぜってぇぶっ殺す・・・」




