13 ゆびきり
五十嵐の胸中は複雑だった。
千尋は、普通のサラリーマンの家庭で育ち、暴力団とは無縁の世界で生きている堅気だ。
およそ1年半前、五十嵐が千尋と出会った頃、五十嵐は素性を偽った。仕事を聞かれ金融関係とだけ伝えた。女にはいつも、そう言ってきた。
しかし、交際を続けるうちに千尋の人柄に惹かれ、自分なんかが付き合う相手じゃないと、逡巡するようになった。そんな女は千尋が初めてだった。
そして交際から一年後、自分が組員だと明かした。千尋を騙して付き合っている事に、五十嵐は耐えきれなくなっていた。だから五十嵐は、千尋が去るのを覚悟していた。
五十嵐が組員だと知り、千尋は余りの衝撃で泣き、一週間、音信不通になった。
しかし、千尋は五十嵐の元を離れなかった。
自分がいつまでもヤクザな世界に居たら、千尋と、新しく生まれてくる子供を巻き込み兼ねない。
五十嵐の気持ちは大きく揺れていた。
「・・・ろちゃん!」
「え⁉︎」
「ひろちゃん、あゆむ君お兄ちゃんになってくれるって!」
千尋の声で五十嵐は我に返った。
「お!あゆむ〜本当だろうな」
「ぼく、妹となかよくするね」
「あゆむ君。まだねぇ、妹か弟かわからないのよ」
「ぼく、どっちでもかわいがるよ」
「あゆむ、頼んだぞ〜」
「はい、あにきさん!」
「じゃあ産まれたら、あゆむ君のところに連れて行くね」
「う・・・うん・・・」
「楽しみにしてる!」
コロボが両手をバンザイする。
「あゆむ。それまでに退院出来てるといいな」
「うん・・・あにきさんもだね」
「俺はあと2ヶ月もすれば退院だか・・・」
五十嵐は、言葉を呑み込む。
2年も入院しているあゆむの前で無神経な発言だった。
「あにきさん、ケンカしたんだよね?」
唐突に歩が尋ねる。
「え?お前、覚えてたのか・・・」
「あにきさん、パパになるんだから、ケンカしてケガしたら、赤ちゃんとちひろさんが、かなしいよ・・・」
「・・・・・・」
五十嵐は何も言えなかった。
「ぼくもかなしい」
「あゆむ・・・」
「あにきさん、ケンカしないってやくそくして」
「あゆむ君・・・」
「あにきさん、あいじょうでしょ?」
「ああ・・・愛情だ」
「あにきさんがケガしたら、いちばんたいせつなものを、まもれないよ」
「あゆむお前・・・」
五十嵐の心に、6歳のあゆむの言葉が響いた。
「・・・あゆむ、わかった。約束する」
「ほんとっ⁉︎」
「ああ、男に二言はない!」
「おとこにゴンてなに?」
「いや・・・、男と男の約束だ」
「あにきさん、かっこいい!」
コロボが両腕でバンザイをする。
「あゆむ君・・・」
「ゆびきりは?」
五十嵐と千尋は顔を見合わせるとコロボの前に小指を出し、コロボの手の動きに合わせて指切りをした。
「あれ?」
歩が何かに気づいた。
「あゆむ君どうしたの?」
「うん・・・」
答えたきり、コロボの動きが止まった。
「あゆむ?」
五十嵐も心配でコロボを注視する。
突然、コロボがテーブルに手を着くと、腰を上げて立ち上がった。
「あ!コロボ立てるんだ!」
千尋が目を丸くし驚く。
コロボはテーブルの上を歩き出し、端まで来るとピタリと止まった。
「ぼく、あるいた!」
「あにきさん!あるいたよ!」
コロボは左右の腕を上下に振り、
「きゃはは!」
と笑いながら時計周りにくるくる回転した。
歩は2年ぶりの歩く感覚に興奮し、しばらくテーブルの上を歩き廻った。
「今の、あゆむがやったのか?」
「うん。なんかね、こうしたらできるって思ったの」
「あゆむ君すごーい。お散歩行けるねー」
「おさんぽ行きたいな」
「うん。これも約束ね!」
千尋が小指をくねくねとさせる。
「あ、もういっこ・・・」
コロボがピタリと止まる。
「今夜の新宿付近の天気は曇り、ところによりにわか雨。降水確率は20%。最低気温は・・・」
歩はコロボが受信した天気予報をスラスラ読み上げた。
五十嵐も千尋もこれには声を上げて笑った。
涙目の千尋が聞く。
「あゆむ君、今のはどうやったの?」
「う〜んと・・・コロボがしってることがわかったの」
「えーなんかすごーい」
千尋が関心していると、普段は真っ黒のコロボの両目から眩しい光が放たれた。
「えっ?今度はなに?」
千尋が光を目で追う。
すると病室の壁に長方形のスクリーンが写し出され、アニメの映像が投影された。
コロボの目はプロジェクターにもなるのだ。
筋骨隆々の主人公が渋い声でセリフを吐く。
「お前はもう、死んでいる」
北斗の拳だった。
「きゃははっ!」
歩が歓声を上げ、ケンシロウのセリフを何度も真似する。
「あゆむ君は、こんなこと言っちゃダメだよ!」
千尋が二本の指をクロスし、ばってんを作る。
「ごめんなさい・・・なんかね、アニメのところにいっぱいあるの」
「でもあゆむ君、すごーい!」
「あゆむ君コロボ使って、あっと言う間にひろちゃんより賢くなりそう」
「お前、なんで俺なんだよ!」
千尋が下をペロリと出しおどけた。
三人は仲の良い友達のように、笑いが絶えない時間を楽しんだ。




