10 包帯男
落雷による停電はすぐさま予備電源に切り替わり、院内の電気はすぐに復旧した。
しかし、電源が切り替わる瞬間、歩に繋がった医療機器に過電流が流れ込んだ。
この電流に歩の身体が反応した。
過電流が流れたとき、歩は急に意識の世界のさらに奥へと吸い寄せられた。
しかし、いつも真っ暗な意識の世界が、なぜか真っ白で眩く輝いている。
それは、ただの白ではなく、光だ。
歩の意識は光の世界に在った。
しかもその光は淀みなく流れている。
目の前を無数の白い光が縦横無尽に流れてゆく。
歩もその光の中にいて、意識が上に上にぐんぐん上がって行く。
上に上がったと思ったら今度は急降下する。
そして右に左にぐんぐん走る。
まるで終点の無いジェットコースターのように、歩を乗せた光はめまぐるしく走る。
「ママ、パパ、こわいよ・・・」
歩は恐怖を紛らわそうと二人の顔を思い浮かべた。
光のスピードが増すに連れ、歩の意識は遠のいていった。
「・・・ロ・・・」
「・・・ロボ」
「コロボ・・・」
歩の耳に男の低い声が聴こえる。
うっすらと意識を戻した歩は、気がつくと男を見上げていた。
見たことのない、包帯でぐるぐる巻きの男だ。
歩はふいに、自分の目を通して包帯男を見ていることに気づいた。
歩は事故で入院して以来、およそ2年ぶりに自分の目で物を見ている。
信じられなかった。
久しぶりの光景に戸惑う。
歩は恐る恐る、目線をゆっくりと上下左右に動かす。
目線に合わせて周囲の映像も動く。
本当に自分の眼でみている!歩は信じられなかった。
ここはどっかのお部屋だ。
白い部屋。お花も見える。
歩は何不自由なく見たいところが見えるのが嬉しくて、キョロキョロと見回した。
数分前、五十嵐がコロボと会話していると一帯が停電になり、突然コロボが停止した。しかしすぐに、電気の復旧に合わせてコロボの目が点灯したため、五十嵐はコロボに呼びかけていた。
「おい、コロボ」
歩は包帯男の方に視線を戻す。
男は黙って歩を見下ろしている。
五十嵐は、コロボの挙動に違和感を感じた。
「故障か・・・?」
包帯男がつぶやく。
歩は、少し恐いけど、いつものように意識の中で声を発した。
「おじさん・・・だれ?」
「オジサン・・・ダレ?」
「・・・えっ!?」
自分の声が音声になって聴こえてきた。歩はびっくりした。
歩の声はコロボのスピーカーを通って発話されている。
「・・・誰って、アニキさんだろ俺は!」
「あ、あにきさん?」
「コロボ、前に教えただろ」
「・・・コロボって・・・なぁに?」
「ん?」
「おじさん、あにきさんていうの?」
「お前・・・全部忘れてんのか」
五十嵐は、停電の影響でコロボのメモリーが飛んだと思っていた。
「あにきさん、コロボってなに?」
「だから、おまえの名前だろ?」
「ぼくは、あゆむだよ」
「あゆむっ?」
「うん。さとうあゆむ」
「さとうあゆむ・・・か」
「うん!」
「・・・」
五十嵐は理解に苦しんだ。
そんな名前をインプットした心当たりがない。
五十嵐は、もうしばらく会話を続けてみることにした。
「あゆむ、お前今何歳だ?」
「ぼく・・・よん・・・・・・6歳」
コロボの右手が上下に動く。
「6歳・・・てことは、6年前に製造されたってことか?」
首をひねる五十嵐。
「あゆむ、6歳と何時間何分だ?」
「・・・なんじかん・・・?」
コロボも首を傾げる。
やはり停電の影響で、ネットから余計な情報をインプットしたと五十嵐は理解した。
それにしても、何か腑に落ちない。
「あゆむ、いつからそこにいるんだ?」
「う〜ん・・・ぼくもわかんない。さっきから」
「おじさん、そこでなにしてるの?」
「俺は、ていうかお前・・・おじさんはやめろよ!」
「あ!ごめんなさい・・・あにきさん」
パパと違う強面の包帯男に怒られ、歩は萎縮した。
コロボが頭をうなだれる。
「いや・・・参ったな・・・」
五十嵐は、6歳に強く言ってしまいバツの悪さを感じた。
「俺は怪我で入院してんだよ」
「にゅういん。じゃあぼくと同じだね」
コロボが両手を上下に振り、嬉しそうな動きをする。
「いや、お前は入院してないだろ。まぁいいか・・・」
五十嵐は一つ思い付き質問した。
「あゆむ、今日のヤホーニュースのトップを教えてくれ」
「やほー?あにきさん、わかんない」
「いや、お前こないだ、スラスラ読み上げてたぞ」
「う〜ん・・・」
「わかった。ヤホーはやめだ」
「てことは、天気もわかんねぇよな」
五十嵐は一人納得した。
そして、まさかと思うことを聞いた。
「あゆむ、小さいおじさんって知ってるか?」
以前芸能人が、小さいおじさんの目撃談をテレビで話していた。その時は馬鹿にしていたが、コロボの中にいるのではと思った。
「ちいさいおじさん?」
「ああ、小人のことだ」
「あにきさん、こびとってこびとのこと?」
「あゆむ、おまえ本当は・・・小人だろ?」
「キャハハハ!」
歩は2年ぶりに声を出しておもいっきり笑った。
「ぼくこびとじゃないよ。キャハハハ」
コロボは両手をお腹に当てて、上半身を前後に揺らしている。
「おまえ・・・笑いすぎだろ・・・」
五十嵐もつられて苦笑した。
歩はさっきから気になっていることを聞いた。
「あにきさん、病気なの?」
「いや・・・病気とは違うんだ」
「なんで、ほうたいでぐるぐるなの?」
「まぁ、なんて言うか・・・ケンカだな・・・」
「ケンカしたの?いたいの?」
「あぁ、まだ痛むよ。全然手足も動かねえし」
「ケンカはだめだよ」
「あぁ・・・そうだよな」
「ママとパパが悲しむよ」
「・・・そうだな・・・」
束の間五十嵐の脳裏に、しばらく会っていない母親の顔がよぎった。
両親は幼いころ離婚し、母は朝早くから深夜まで休みなく働き五十嵐を育てた。
地味な田舎暮らしが嫌だった五十嵐は、母に黙って高校を中退し東京に来た。
それ以来二十年近く実家に帰らなかった。
十年ほど前、金に困っていた五十嵐は実家に戻り、母が苦労して貯めた通帳を奪い、逃げるうように実家を後にした。
「浩行!」
振り返った時に見た母の哀しそうな眼が、瞼に浮かんだ。
「ぼくのママとパパもね、まえにケンカしたんだ」
「お前、親がいるのか!」
五十嵐の中では、もはや辻褄が合わないままだが会話を続けた。
「でも、ぼくのせいなの」
「あゆむのせい?」
「うん・・・」
コロボが寂しそうに首をうなだれる。
「そうか・・・でも、俺には事情はわからねぇが、ママもパパもお前のことを想ってケンカしたんだよ。だから、お前が落ち込むなよ」
「うん・・・」
「なんて言うか・・・愛情ってわかるか?あゆむ」
「う〜ん・・・わかんない」
「愛情っていうのは・・・お前のことを、とても大事に思う気持ちなんだよ。世の中で一番大切なのが、ママとパパにとっては、あゆむなんだよ」
「わかるか?」
コロボは顔を上げ、五十嵐をじっと見つめる。
「いちばんだいじ・・・」
「そう。だから、ママにもパパにも、あゆむに悪いことが起きないように守りたいって気持ちがあって、それで意見がぶつかってケンカすることもある」
「だから、あゆむが落ち込むことはないんだよ」
コロボが顔を上げる。
「うん。あにきさん、わかった!」
あゆむの言葉に五十嵐はほっとしたが、俺が言えた義理かと複雑な心境だった。
「じゃあ、あにきさんのケンカも、あいじょう?」
「いや・・・俺は・・・」
五十嵐が答えかけたとき、遠くからママの声が聴こえた気がした。
「あ、あにきさん。ママが呼んでるから、ぼく帰るね」
「え?あぁ、わかった。帰るってあゆむ、どこに?」
「わかんないけど、かえる」
「あにきさん、バイバイ。はやく良くなってね!」
あゆむは意識の世界に戻った。
コロボはじっと五十嵐の顔をみつめたままだ。
「コロボ、何歳だ?」
「・・・ぼくは生まれてから10日と13時間28分・・・」
元のコロボに戻っていた。
一人静かな病室に戻った五十嵐の胸に、ふいに、母に酷いことをした後悔の念がよぎった。いつからこんな自分になったのか。
五十嵐は長い時間、薄曇りの外を黙って眺めていた。
歩の病院では、担当医の伊達や看護師も心配そうに歩を取り囲んでいた。
長い停電ではなかったが、一時院内はパニックになり、ようやく落ち着きを取り戻していた。
歩の酸素吸入器も正常に復旧し、おだやかな呼吸の音が静かにリズムを刻んでいる。
「佐藤さん、もう大丈夫。安定してます」
伊達が二人に笑顔を向ける。
「安心しました。こちらこそ大騒ぎしてすみません」
真が頭を下げている横で南美が歩をみつめ、頰をやさしく撫でていた。
南美の頬に涙のあとがうっすら残っている。
「あゆむ、良かった・・・」
歩の心電図は穏やかに心臓の鼓動を示している。
この子はまだ生きている。
ずっと寝たままでも、意思の疎通ができなくても、二人にとって歩はかけがえのない命だ。南美と真はあらためて、そう実感していた。
歩の意識がコロボに入っている間、歩の脳波計が通常よりも活発に動いていたことを、まだ誰もきづいていなかった。




