アンチとのつきあいかた
自分が気にいらない作品にわざわざちゃちゃを入れに来るというのは、賢明な行動ではない。賢明な私は、そんな無駄なことをしない。自分にあわない作品は、即座にブラウザバック。アンチというのは総じて、賢明ではない。私見である。
私は煽り運転が嫌いである。することもないし、されるのも嫌い。「煽るくらいなら抜けよ」と思うのだ。アンチというのは、煽り運転をする連中くらい愚かしい。ただし、煽り運転ほど害はない。
だからよく、彼らの書いている文面を注視してほしい。浅薄な見識と知性に裏づけられた文言が見えてくるだろう。取られ放題の揚げ足にあふれていることだろう。その戦闘力はたったの5。
彼らはジャックナイフなどではない。ペコペコと柄に引っこむおもちゃのナイフだ。刺さることはない。だから、おそれることなどなにもない。「○○イコール△△ということを知っている者なら……」ドヤーって主張されても、そんなものは一般教養。そんなことすらもわからない、おもちゃのナイフなのだ。そもそも議論が成立しない。TOYBOYと議論ができると思ったら、大まちがい。おもちゃは玩弄するために存在する。
私はもっと遊びたかったのだが、おもちゃの強度が弱すぎてすぐに壊れてしまう。ざんねんでならない。
アンチが来たと言って、反論をしようと思ってはいけない。議論が成立しないおもちゃなのだから。おもちゃにも、愛を以て接するべきである。
「きちんと受けながす」
「揚げ足を取る」
「ミスティフィカシオン(煙に巻く)」
私はこの三点を以て、おもちゃを弄ぶ。アンチに悩まされているかたの、参考となれば幸いである。相手にしない・削除・ブロックという選択は、おすすめしない。アンチをよろこばせ、つけあがらせるだけだからだ。ここできちんと躾なければ、あとで害を被るひとが出るのだ。