九 沙奈子編 「注視」
100均を後にした僕達は、一旦部屋に戻って荷物を置いて、今度はいつもの大型スーパーに向かった。
そう言えば、彼女と一緒に行動するようになって変わったことがいくつかある。その一つが、どんな小さな交差点でも信号を守るようになったことだ。
今までは殆ど車が出てこないような路地の信号だと、安全を確認した上でだけど無視したりしてたのが、沙奈子にはちゃんと信号を守って欲しいと思って、少なくとも彼女の前ではちゃんとしなきゃと思うようになった。なぜかは分からないけど、いや、たぶん僕がそうだから彼女もそうじゃないかと考えたんだと思うけど、彼女に対しては口で言うよりその方が確実な気がした。
僕は、他人にはルールを守れとか言ってるくせに自分ではルールを守らない人が嫌いだった。だから信号を守れって言うんだったら言った人がまず守るべきだと思ってた。そんなこと思っていながら僕も守ってなかったりしたけど、沙奈子に信号を守って欲しいと思うんだったら、僕がまず守らなきゃいけないんじゃないかな。
考えてみれば僕も、大人の行動や立ち振る舞いみたいなものを幼い頃から結構しっかり見ていた気がする。その中で、大人が普段言ってることと違う言動をしたら、その大人のことは信用できないと感じたのを思い出した。そういうわけで、歩行者信号が点滅を始めたら無理をしないで止まるようにもしてる。もちろん今日もそうした。
これまでは待ってる時間がもったいないと思ってたけど、考えてみたら1分とかそこらくらいなら待ったってそんなに影響ないんだよね。1分とか2分とかを気にするようなギリギリのスケジュールで動くことなんて実際にはそんなにあることじゃないし。なのに僕は何を今までそんなに焦ってたんだろうと最近思う。
沙奈子も、信号で待ってたって僕を急かしたりしない。もし急かしてくるようなことがあったらその時は『信号は守らなきゃ』って言おうと思ってたけど、僕が待ってたら彼女も待ってくれる。急いだり焦ったりして事故とかになるのは困る。それに急いだり焦ったりしないように気持ちに余裕を持つようにしたらストレスもそんなに感じないようになった気がする。そのおかげで、いきなり扶養家族が増えるなんていう状況になっても何とかなってる気もした。
<急がば回れ>とか<急いては事を仕損じる>っていうのは、そういう意味でもあったのかな。
大型スーパーの方に着いた時には、もう11時を過ぎていた。まだちょっと早い気もしたけど、せっかくだからまた喫茶店でお昼にしようかと思った。
「オムライス食べたい?」
と聞いたら、沙奈子が大きく頷いた。ってことで、沙奈子はオムライスを、僕はスパゲティ・ナポリタンを食べた。スパゲティが来た時、彼女がそれを見てたから「食べてみる?」って聞いたら頷いたので、ちょっと分けてあげた。すると、
「おいしい」
って、僕が聞かなくてもそう言った。何だかそんなことは初めてのような気がした。初めてじゃないかも知れないけどほとんどなかったことだと思う。彼女が自分から思ったことを言うなんて。何だかそれは、彼女が少しだけ僕のことを信用してくれてるって言うか、自分の思ったことを話しても大丈夫な人だって思ってくれてるような気もして嬉しい感じがした。
そのすぐ後でオムライスも来たからそっちを食べたけど、今度はスパゲッティ・ナポリタンも注文してあげてもいいかも知れない。
お腹もふくれて一息ついて、日用品売り場に行った。ここでは、お弁当箱、水筒、傘、虫よけスプレー、それと女の子だから生理用品も持って行かなきゃいけないということでそれも買うことにした。100均の時と同じように沙奈子と一緒に探しながら、見付けたら彼女にカゴに入れてもらう。
ただ、生理用品はどんなのを買ったらいいのか全然分からなかったから、一番安かったのを適当に指差して入れてもらっただけだけど。しかも僕一人じゃとても買えなかったから沙奈子についてきてもらって本当に良かった。
次に、長袖の服と長ズボン、長袖の上着、長袖のパジャマもいると書かれてたから、今度はそれを探す。この暑い時期にそんなのあるかなと思ったけど、夏用の薄いやつがあったからこれでいいんだと思って、それをカゴに入れてもらった。長袖の上着は、沙奈子が見付けた水色のがラッシュガードっていう海とかで着るやつだったけど、そう言えば臨海学校なんだから要するにそういうことだよなと思ってそれにした。
それと、赤白帽も持って行かないといけないらしくて、一応は今あるやつでいいかなと思ってたけどせっかくだからもう一つ買って予備にすればいいかとも思った。あと、来週の時間割を見たら臨海学校から帰った次の日にさっそくプールがあるということだったから、もし水着が乾かなかったら困ると思って水着とゴーグルとビーチサンダルもこの際だからもう1セット買うことにした。
100均に行った時にビーチサンダルも買っておけばと思ったけど、こっちでも¥200円のがあるし、まあいいか。水着とかを入れておく袋は、これはまあ今回は買い物袋でいいと思う。ビニールバッグだとリュックの中でかさばりそうだし。
「よし、取り敢えずこんなところかな」
そう言って僕は、沙奈子に買い物の終了を告げた。二人でレジへと向かって会計を済ます。思った以上の荷物になった。僕の自転車の前かごじゃ入り切らなかったから、
「ごめん、そっちのカゴにも積んでくれる?」
と聞いたら彼女はためらうことなく頷いてくれた。ということで、沙奈子の自転車のカゴにも入れさせてもらう。
何気なく彼女の顔を見ると、手伝えることが嬉しいのか何なのか、ちょっとだけ誇らしげな表情をしてるように感じた。それまでにも何度かそういう顔を見たような気がするけど、僕はこの時、子供の顔をちゃんと見ることが大事なんじゃないかって思った。
この子は特に大人しいから特にそうだというのもあるけど、子供が言葉では言わない気持ちとか感情とか想いみたいなものが、表情に表れてることがある気がした。
思えば僕の両親は、兄や僕の顔をちゃんと見てくれてただろうか。いや、見てないんじゃないかな。少なくとも僕は見てもらった覚えがない。両親が僕のことをきちんと見てる姿なんて全く記憶にない。だから結局、兄のことも見てなかったかも知れない。そのせいで、兄があんな人間になってしまったことに気付かなかったんだと思う。
そう考えた時、僕は沙奈子の顔を、沙奈子の目を、ちゃんと見てあげないといけないなっていう気がしたんだ。