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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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八十七 沙奈子編 「練習」

ハンカチを使って沙奈子が針と糸を使う練習をしている横で僕はブログの更新をしていた。このところ何だかんだあってすっかり忘れてた。不審者情報が来て心配だっていうことと、沙奈子が裁縫セットを使い始めたことを簡単に書いて終わった。それからふと思い立って裁縫に関するページを検索してみた。いろいろ分かりやすく詳しく紹介してくれてるページを見付けて、


「沙奈子、これ見てやったらどうかな」


って彼女に見せた。


「ありがとう、お父さん」


そう言ったあと、彼女はPCの画面を見ながらいろいろ練習していた。僕には何をやってるのか全然分からなかったけど。


それからは沙奈子が裁縫の練習に夢中だったから僕は仕方なく本を読んでた。微かに雨の音がまだしてた。静かだった。時々、沙奈子が針で指を突いてしまうみたいで「痛っ」って小さく声を上げる以外は、雨の音しか聞こえなかった。何度、針で指を突いても彼女はやめなかった。


でもその時、僕はふと気が付いた。沙奈子が「痛い」っていう言葉を発するのも珍しいことだった気がする。歯科医に『普通だったら泣き叫んでますよ』と言われるくらい酷い虫歯があっても痛いとは言わなかった彼女が、ちゃんとそう言ってくれてる。やっぱり今までは無理して我慢してただけなんだなって思った。針で指を突いても痛いって言う子がそれを口にもしなくなるなんて、いったいどういう環境だったんだろう。それを思うと胸が苦しくなった。


だけど今、痛い時にはちゃんと痛いと言ってくれるのは嬉しいって感じる。痛いとか辛いとか苦しいとか、そういうのを無理に我慢して僕に伝えようとしなくて、もし病気とかに気付くのが遅くなったら困る。我慢強いのもいいけど、そういうのを伝えられるのも大事だと思う。そういうのを伝えられる相手だって思ってもらえてるんだって感じて嬉しかった。そんな当たり前の些細なことを嬉しいと感じるなんて、やっぱり僕たちは普通じゃないんだなってことも改めて感じた。


気が付いたらもう10時だった。


「そろそろ寝る?」


僕に言われてようやく自覚したみたいに沙奈子も急にあくびした。針をケースに戻して裁縫箱に入れた。


「お父さん、これ」


そう言って差し出されたハンカチは縫い目だらけですごいことになってた。


「もし練習に使うんだったら持ってていいよ」


僕のその言葉に彼女は頷いて、裁縫箱に一緒に入れた。その裁縫箱を鞄に戻し机に置いた沙奈子に僕は声をかけた。


「指、見せてみて」


それに従って僕に向かって差し出された指を手に取って見たけど、血は出てなかった。血が出るほどは強く突かなかったみたいだ。


「良かった。大丈夫みたいだね。じゃ、トイレに行ってきて」


沙奈子がトイレに行ってる間に布団を敷いて寝る用意を整えた。


二人で一緒に布団に入る。そしてまたおやすみなさいのキスをすると、彼女もおやすみなさいのキスを返してくれた。もうすっかり普段のやり取りになってる気がする。それでも沙奈子はまだ照れ臭そうに僕の胸に顔をうずめてきた。


「…雨、止んだみたいだね」


落ち着いて静かになると、雨音が聞こえなくなってることに気が付いた。


「そうだね…」


僕の胸に顔をうずめたまま彼女はそう言った。そんな彼女の体を抱きしめて、僕も目を瞑る。雨がやんでしまったらしいのは何だかちょっと残念だけど、ずっと降り続いてるのもそれはそれで困るし仕方ないか。


今日はまた沙奈子の新しい一面を見られた気がする。針と糸をあんなに上手に使えるのはさすがに意外だった。いや、似合ってると言えば似合ってるのか。大人になって子供の服とかを縫ってあげてる彼女を想像して、目を瞑ったまま口元が緩んでしまった。今はまだ子供の遊び程度だとしても、それでもこれだけできたら家事としての裁縫くらいならもう困らないかもしれないな。


思えば沙奈子は、もう家のことは一通りできるのか。ゴミ出しとお風呂やトイレの掃除はまだやってもらってなくても、他のことがもう十分できるからそれだってやろうと思えばできるんじゃないかな。ひょっとしたらお嫁さんとしては立派にやっていけるかもって思った。考えてみたらすごいことかもしれない。ただ、結婚できるのか、沙奈子が夫として認めてくれるような男の人が現れるのかはかなり疑問かもって思わなくもなかった。イライラせずにこの子を受け止められる男の人って、相当ハードルが高いかも。


沙奈子を都合のよい家政婦とかロボットのように扱うような人には任せられない。彼女の保護者としてそんな人を認めるわけにはいかない。彼女を受け止めてくれて、その上で彼女が力になりたいって思う人でないと許さない。なんて、自分がすごく父親っぽいことを考えてるのに気が付いて、ちょっと笑ってしまった。


沙奈子はもう、静かに寝息を立てていた。その寝息を聞きながら、僕も眠りについたのだった。




朝、目が覚めると外がかなり明るかった。雨が止んで晴れたみたいだ。アラームが鳴るまではまだ少しある。雨が降らないんなら今日の買い物は二人で自転車で行って、ミネラルウォーターとか買ってこよう。そうだ。学校で今度、防災訓練するみたいだし、うちでも防災対策とか考えた方がいいかもしれない。だから水とかはある程度まとめて買って、ストックしておこうかな。自転車の後ろには大きめのカゴを付けたし、2リットルのペットボトル6本入りの箱くらいならたぶん入るはずだ。


他にも、非常用持ち出し袋みたいなのとかそれに入れておくものとか、いろいろ買ってこようか。今日、一度に揃えるのは大変でも、順次、買い足していこう。災害とかあってほしくないけど、起こる時は起こるものだと思うし。そうだ。もしそういうことがあった時、沙奈子と僕はそれぞれどうしたらいいのか決めておいた方がいいかな。


会社から家まではバスで30分程度の距離だから歩いて帰ろうと思えば帰れない距離でもない。この辺りだと沙奈子の学校に避難するのが一番近いかな。そういうのも一度確認しておかなきゃいけないな。


そんな風に次から次へといろいろ思い付いて、またいろいろやらなきゃけないことが増えた気がした。そうだ。朝の勉強が終わったら、散歩も兼ねて二人で学校まで歩いてみよう。途中の道とか危ないところが無いか確かめながら行ってみよう。


そう思い付いた時、トイレに行きたくなって先にトイレに起きた。すると沙奈子もその気配に気付いたのか目を覚ましたのだった。トイレから出た僕を沙奈子が見てたから「おはよう」と声をかけたら「おはよう」と返してくれた。


いつものように彼女がおむつを捨てる間に僕は布団を片付けて見ないようにする。そしてまたいつもの日曜が始まる。だけど今回は、明日が体育の日だからもう一日休みがあるんだ。だから余計に、今日はいつもよりちょっとだけいろいろなことをしてみようと思ったのだった。



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