八十五 沙奈子編 「秋雨」
昨夜から降り出した雨は、朝になっても続いていた。でも、買い物以外には別に出かける予定もないから、そんなには気にならない。それどころか、雨音に包まれた部屋の中でのんびりするのは何だかほっとするくらいだ。
いつも通り、朝食を済ましたら洗濯と掃除をして、沙奈子がお米も研いでくれた。体が小さいから炊飯器の釜を持つのは少し大変そうにも見えるけど、けっこう手慣れたものだった。
一息ついてから今度は勉強を始める。2年生の漢字だ。順調にこなせてると思う。そのついでに、学校でのテストの間違った部分をやり直す。全体として見れば決して点数は良くなくても、既に習っている部分はそんなに悪くない気がした。たぶん、2年生3年生の時に習えなかったことが足を引っ張ってるんだと感じた。
勉強を終えて寛いでると、玄関のチャイムが鳴らされた。ピンと来てドアスコープで確認すると宅配の人だった。頼んでた惣菜が届いたんだ。荷物を受け取って、箱を開けてみる。それを不思議そうに見る沙奈子に説明した。
「これからは、これをレンチでチンして晩のおかずにしてね」
そう言いながら冷凍庫に仕舞った。沙奈子は「はい」って頷いてくれた。
一緒に入っていたメニューの説明書を読んでみる。子供用という事で注文したそれは、成長に必要な栄養素のバランスを考えて作ってるという事だった。それがどこまでその通りなのかは僕には判断が付かない。でも、ただ単に冷凍食品を一品二品温めて食べるよりはマシなんじゃないかって感じた。しばらくこれで様子を見てみよう。一か月間、毎週土曜日に5日分届けてもらうように注文したから、良かったらその後も続ける感じかな。
昼食はまた、沙奈子に作ってもらってスクランブルエッグにした。もうかなり慣れてきてる気がする。せっかく卵焼き用のフライパンも買ったんだから、来週くらいには卵焼きに挑戦するのもいいかもしれないと思った。
昼食の後、また二人でのんびりと寛ぐ。沙奈子は裁縫セットを出してきて、それを眺めてた。
「袋から出してみる?」
裁縫道具を小分けにして包んでるビニール袋を開けてみたらと思って僕がそう聞くと、沙奈子は頭を横に振って言った。
「まだいい」
そう言いながらも、裁縫道具を見てる時の様子は、何かをいろいろと考えてる感じがした。頭の中でこれをどういう風に使って何を作るのかっていうのを空想してるのかもしれない。このまま空想で終わるのか、実際にこの裁縫道具を使って何か作るのか、それは沙奈子次第だけど、彼女が楽しそうにしてるから僕としてはどっちでもいいかな。
窓の外に意識を向けると、雨はまだ降り続いてた。そんなに強い雨じゃないから、このままやまなくても傘を差して歩いて行けばいいか。
しばらくそうしてから昼の勉強をした。割り算のドリルだ。ここまでくると、明らかに最初の頃より計算が早くなってきてるのが分かった。彼女の頭の中で、掛け算との関係が理解できてきたのかもって気がした。
それも終わらせると、僕はリュックに図書館から借りた本を詰めながら沙奈子に言った。
「図書館行って、それから買い物に行こうか」
「うん」と答えてくれた沙奈子と一緒に傘を差して家を出た。まとわりつきそうな感じの細かい雨の中、二人でいつもの道をゆっくり歩いた。沙奈子の後ろに僕が付いていく形で歩く。以前は僕の後ろを彼女が付いてくる感じだったのが、いつからだろう、こうなったのは。でも僕としても、後ろについてこられるよりは姿が見えるこの方がむしろ安心できた。
雨が降ってるから彼女の足元が気になってついつい見てしまう。すると靴が少し傷んできてるのが目についてしまった。ずっと同じ靴だったもんな。そろそろ新しい靴を買ってあげなきゃと思った。
まずは図書館に行って借りた本を返し、次の本を借りてスーパーに向かった。いつものことになってたから、もう次に何を借りるかも決めてたしあっという間だった。
スーパーに着くと、まず沙奈子の新しい靴を見るために靴売り場に行った。学校用の靴と、雨の日用の靴がほしいと思った。
「沙奈子。新しい靴を買うけど、どれがいい?」
僕がそう言うと彼女は、並べられてるサンプルを見始めた。それはカラフルなスニーカータイプの靴だった。沙奈子が選んでる間に僕は、雨の日に履けそうな靴を探した。すると、足首までのショートブーツで、表面は水を通しにくそうな合皮、中が少しボアみたいになってるのが目に付いた。これからどんどん涼しくなっていくはずだし、雨でなくても特に寒い日とかにはちょうどいいかもしれないと思って見てみると、サイズもぴったりな感じだった。色はベージュで地味だけど、これがいい、これにしよう。
そのサンプルを手に取り、沙奈子に声をかける。
「ごめん、ちょっとこれ履いてみて」
僕が手に取ったものを差し出すと、彼女は確かに残念そうな顔をした。あまり好みじゃなかったんだと思う。それに気付いた僕はさらに言った。
「大丈夫、これは雨の日用だから。これとは別に好きなの選んでいいから、まずこれが履けるかどうか確かめたいだけだよ」
その僕の言葉に沙奈子は『なるほど』って感じの顔をして、頷いてくれた。そしてショートブーツに足を入れてみる。
「どう、窮屈じゃない?」
って問い掛ける僕に「大丈夫」って答えてくれた。念のために僕も爪先とか押してみて少し余裕があるのを確認して、これに決めたのだった。サンプル品じゃなくて箱に入ったのを探すと、ちゃんとあった。中身を確認して、近くのカゴを持ってきてそこに入れた。すると沙奈子も、星の模様が入った水色のスニーカータイプの靴を持ってきて、僕に見せた。
「それがいいの?」
という僕の言葉に大きく頷いた。一応、足に合うか確かめるために履いてもらったら大丈夫そうだったから、同じく箱に入ったのを探して中身を確認して箱に入れた。
そして今度は子供服売り場に行った。秋冬物の服を買い増すためだ。それはもう沙奈子も慣れたもので、やっぱり水色っぽいワンピースを選んだ。ワンピースだけだとちょっと寒い日とかどうかなと思ったから、トレーナーとレギンスもいくつか手に取った。今日のところはとりえずこれくらいにしておいて、足りなかったらまた買い増そうと思った。
レジに行って、会計を済ます。その時に僕は、ショートブーツのタグを取ってもらった。そして沙奈子に履き替えてもらった。
色やデザインとかは好みじゃなかったみたいだけど、雨の日用ってことで割り切ったらやっぱり嬉しかったみたいで、笑顔になってた。しかも、
「これ、はくと気持ちいい」
って言ってきた。ボアの感触がさらさらして気持ちよかったらしい。何だかんだで気に入ってもらえたようだ。
もともと履いていた方の靴はショートブーツの箱に入れて、もう一つの靴と一緒に僕のリュックに入れた。服までは入りきらなかったからそちらは袋のまま、僕と沙奈子は地下の食料品売り場に向かったのだった。




