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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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八十四 沙奈子編 「雨音」

石生蔵いそくらさんがもし、その不審者っていうのに何かされたりしたら僕はどう思うだろう。沙奈子に辛く当たるような子は酷い目に遭って当然だとか思うんだろうか。


以前ならそう思ってしまってたかもしれない。石生蔵さんが沙奈子にただ辛く当たってただけの頃なら、そんな風に思ってしまってても不思議じゃない気はする。だけど、沙奈子本人が石生蔵さんに対して恨みを持ってたり嫌ってたりしてるわけじゃないのが分かってる今、たぶんそんな風には思えない気がするんだよな。


恨み骨髄って思うくらいに深刻な状態になる前に、謝ってくれたら許してもいいかなって思える程度のうちに学校が対処してくれたから、それで済んでるんだと思う。


その上で、具体的にどういう子か知らなくても、石生蔵さんはすでに僕にとっても全く無関係のどこの誰とも分からない子ってわけじゃなくなってるから、その石生蔵さんが酷い目に遭うっていうのは僕にとってもすごく嫌なことだった。


本当に、その不審者っていうのは何者なんだろう。どうしてそんなことをするんだろう。小学生の女の子にそんな風に声をかけるとか、何が目的なんだろう。詳しいことが分からないから、悪い想像ばかり膨らんでしまう。とにかく悪いことが起こらなければいいのにって願うしかなかった。


それに、こんな身近でそういうことがあったんなら、やっぱり沙奈子だって他人事じゃない。この子がそんなことに巻き込まれるとか思ったら、頭がおかしくなりそうだ。自分に対して何か嫌なことをしてきたわけでもない相手に、ましてやこんな小さな子に酷いことができるとか、意味が分からない。


そんなことを思うと同時に、だけど僕が沙奈子を怒鳴りそうになって、そのことがきっかけでこの子が僕に媚びるようになったのかも知れないとか思いながらもその可愛さにデレデレになってた自分を思い出して、不意に自己嫌悪にも陥ってしまった。僕って本当に最低かもしれない…。


「お父さん、大丈夫?」


凹んでいるのが顔に出てたのか、沙奈子がそう聞いてきた。慌てて、


「大丈夫。その不審者って人がどうしてそんなことするのかなって考えてただけだから」


って言って取り繕う。それも考えてたのは本当だから、嘘は言ってないよな。たぶん。


気を取り直して、僕の膝に座る沙奈子の頭を撫でながら、とにかくこの子にもう嫌なことが起こりませんようにって願ってた。それが儚い夢だとしても、そう願わずにはいられなかった。そのためなら僕は自分にできることはしたいって素直に思える。明日明後日は買い物や図書館に行く以外は家でゆっくりしよう。何もない良い一日でいられるようにしよう。


そう言えば、明日は宅配のお惣菜を届けてもらう日だった。どんなのか実際に確認した上で、もし問題無いようなら月曜日の夕食からはそれを食べてもらうことにしよう。


そんなことも考えながら、沙奈子と一緒に寛ぐ。彼女は人形を見ながら何か思案してるようだった。次の服のデザインでも考えてるのかもしれない。すると不意に、僕の方に振り返って言った。


「お父さん、さいほうセットって使っていい?」


急に言われたから一瞬なんのことか理解できなかった。何拍か間をおいて、意味が頭に入ってきた。ああ、裁縫セットね。


「うん、もちろんいいよ。でも針とかハサミとか、使う時は気を付けてね」


僕がそう言うと、彼女は「分かった。気を付ける」って言って、先週買った裁縫セットを持ってきて僕の膝に座り直した。それは、専用の鞄に入れられた裁縫道具のセットだった。それを鞄から出して蓋を開けると、


「…わあ」


と沙奈子が声を上げた。まるで宝箱を開けたみたいな感嘆の声だった。後ろから見てるだけでも、目をキラキラさせてるんだろうなっていう感じが伝わってきた。


新品の裁縫箱の中には、いかにも沙奈子が好きそうな水色を基調にした裁縫道具が、それぞれ小さなビニール袋に包まれて整然と収められていた。


もしかして、いよいよ本格的に人形の服作りに挑戦するのか。


僕がそう思ってると、でも沙奈子は綺麗に箱に収まった裁縫道具をうっとりと眺めてるだけで、手に取ることさえしなかった。その状態が10分くらい続いたかと思ったら、結局は何もしないまま蓋を閉じて鞄にしまったのだった。


見るだけかい!。


僕は心の中で思わずツッコんだ。そしたらそれを読んだみたいに沙奈子が言った。


「もったいないからまた今度にする」


なるほどね。今日のところは眺めただけで満足してしまったのか。まあそれでもいいか。まだ4年生だもんな。針とか使うのは僕としてもちょっと不安があったし、焦らずにゆっくりやってもらったらいいや。それにもう11時だ。寝た方がいいよな。


沙奈子がトイレに行ってる間にまた布団を敷いて、僕がトイレに行ってる間に沙奈子が人形の布団を用意してってやってた。明日は少しだけ寝坊して、トーストを食べて、掃除と洗濯をしてご飯の用意をしてって感じかな。午前中に宅配のお惣菜も届くはずだ。


二人で一緒に布団にもぐって、僕の腕枕で沙奈子が寄り添ってきたから、額におやすみなさいのキスをする。すると沙奈子も、僕の頬にお返しのキスをしてくれた。きゅーっとしたものが胸に込み上げてきて、思わず抱きしめる。くそ~、なんて可愛いんだ沙奈子。彼女だけじゃなくて僕までもじもじもそもそして、二人してニヤニヤしてた。それが落ち着いてきた頃、僕は窓の外の音に気が付いた。


雨か…。


そう。雨の音だった。いつの間にか振り出していた雨のさらさらという音が、なんだかすごく気持ちよかった。濡れるのは好きじゃないけど、雨の音を聞いてるのは割と好きだった。静かな落ち着いたその音に包まれてると、心まで澄んでいくような気がした。頭の中も空っぽになる感じで、いろんなもやもやや心配事も消えていく感じもする。


「雨だね…」


囁くように沙奈子がそう言ってきた。寝る時には黙って大人しく寝る感じだったのに、珍しい。


「そうだね」


僕が答えると、彼女はまた言葉を漏らした。


「雨の音、好き…」


それは問い掛けるような感じじゃなくて、自分のことを言ってるんだと思った。そうか、沙奈子も雨の音が好きなんだ。そう思いつつ、今日はなんだかよく話すなとも思った。いつもはほとんど口を利かない日だってあるくらいなのに。でも、彼女がそうしたいって言うんなら、それでいいや。


「僕も好きだよ…」


そう言うと沙奈子は嬉しそうに微笑んで、僕の胸に顔をうずめた。そのまま静かになって、やがて寝息を立て始めた。安心しきって眠る彼女を感じながら雨の音に包まれていると、いろいろと心配なことはあるけどやっぱり今はとにかく幸せなんだって思えた。


石生蔵さんの前に現れたっていう不審者が何のつもりなのかは分からないけど、その人の心にある嫌なものもこの雨が流してくれればいいのにななんて、眠りの中に沈み込んでいく頭のどこかで考えていたのだった。


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