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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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八十一 沙奈子編 「愉悦」

その時の沙奈子の振る舞いは、生きるために僕に気に入られようとしてる沙奈子の演技だったのかもしれない。子供が可愛いのは、親に守ってもらうための一種の生存戦略とかいう話を聞いたことがある。だったらむしろ、彼女のそれが演技でも、相手が僕なら何の問題もないよな。今の僕は、沙奈子の親なんだから。


それに、急にこういうことをしたのは、僕が怒鳴りそうになったことがきっかけかも知れないという気もした。だから、たとえ演技だとしても、こんな小さな子に相手に媚びてまで生き延びようとさせなきゃならなくした僕自身にも責任があると思う。


そんなことも頭のどこかで考えながらも、でも単純に可愛くて愛おしくて顔がにやけてしまうのも事実なんだよなあ。小難しい理屈とかどうでもよくなってしまうくらいに。


子供を持つって大変だけど、ひょっとしたらこういうのも喜びとか醍醐味の一つなのかもしれないと思うと決して割に合わないこともないと思う。自分のやったことがしっかり結果として出てくるのがすごいとも感じた。子供の表情の一つ一つが僕のやってることに対する反応なんだから、それを見逃すのはもったいない気がする。だからますます、彼女の様子を見逃さないようにしたいと思えてくる。


そうだ。子供の様子を見逃さないようにするっていうのは、すごく大事なことだって分かった気がした。今はすごく大人しくてどちらかと言えばイジメられる側になりそうな沙奈子でも、誰かを傷付けようとするなんてことがないとは限らない。普段は他人に対して喧嘩腰になることもない僕だって彼女のことを怒鳴ろうとしてしまったりしたんだ。彼女だって自分よりずっと弱い相手、例えばもっと小さい子相手になら乱暴な態度に出てしまうことだって、絶対にないとは言えないんじゃないかな。


もしそういうことがあったりしたら、大変なことになる前に気付いてあげたい。他人を傷付けたりしたら、何より自分が不幸になるんだって教えてあげたい。これまで散々苦しんできたんだから、何もこれ以上、自分で不幸を招く必要もないんだし。


要らないプリントの裏に熱心に人形の服を描いている沙奈子を見ながらそんなことを思う。


でもそんなことをは抜きにして、可愛いよなあ、沙奈子は。なんて、すっかり親バカになってしまってる自分を感じる。どうにも顔が締まらない。自分にこういう一面があったことに驚く余裕もなく、デレデレになってる。


それでも明日くらいになったらもうちょっと落ち着いてるかな。いくら何でもこの調子じゃ変だもんな。あまり浮かれて注意力が散漫になったらマズい気もする。事故とかミスとか、そういうのは困る。浮かれてていいのは今だけだって自分に言い聞かせる。


だけど逆に、今だけはデレッデレになってていいと思った。


ほんとに何だろう。この気分。僕はこういうのをずっと馬鹿にしてきたんじゃなかったかな。どうでもいいことで浮かれてゆるゆるになって、何が楽しいんだろうって思ってきたはずだよな。それがどうだよこの有様。昔の僕が見たらものすごい軽蔑の眼差しを向けてきそうだ。それどころか、先週までの僕でも呆れた様子で見るかもしれない。それくらいの変わりようだった。


人間って、本質は変わらなくても、かなりの部分は驚くくらい変わる時には変わるんだなあ。


照れ臭いやら驚くやら、顔どころか体まで熱い。髪を乾かすために使ってる扇風機がすごく助かる。とにかくクールダウンが必要だ。こういう時は他の親子はどうしてるんだろう。じゃれあったりするのかな。でもこのアパートであんまりそうやってじゃれあったりしたら近所迷惑になりそうだな。


でもちょっとだけ…。


そう思って沙奈子のほっぺたを指でつついてみる。


「…?」


何か用?って感じで彼女が振り返ると、自然と顔が緩んでしまう。すると彼女も照れ臭そうに微笑む。それを見た瞬間、体の奥からぞわぞわぞわって何かが上がってくる。でも決して嫌な感じのするものじゃなくて、嬉しいみたいな恥ずかしいみたいな、それと同時にすごく気持ちいい感覚だった。なんだか体が勝手に揺れてしまう。


またつつくと今度はさっきよりも早く振り返った沙奈子に、やっぱり顔が緩んでしまった。僕がただちょっかいをかけてるだけだって気付いたらしくて今度はぷくっと頬を膨らませた。初めて見たかもしれないその表情がまた可愛くて、もっとぞわぞわしてくる。


バカだ…バカすぎる……。


自分でもそう思うのに、どうしてかすごく満たされてる。


沙奈子を不安にさせたことがきっかけで彼女が僕に気に入られようと一生懸命に媚びてるのかもしれないっていう罪悪感もはっきりと体の中にあるのを感じる。なのにニヤニヤが止まらない。ひょっとして僕って最低な奴じゃないかな。なんて思いながらもとにかく嬉しい。


だからまたつい、ほっぺたをつついてしまった。そしたら今度はその手を掴まれて、ぎゅっと胸に抱きしめられてしまった。その手に彼女の鼓動を感じて、またそれがたまらなく愛おしくなる。


僕の手を抱きしめて、僕に体を預けて、彼女は目をつぶってた。その姿は、僕の気持ちを確かめようとしてるみたいにも見えた。この人は自分を大切にしようとしてくれてるのか、それを感じ取ろうとしてるのかなと思った。そして僕はそれに応えたいと思った。後ろからそっと抱きしめて、自分でもほとんど無意識に声をかけていた。


「沙奈子、愛してる…」


以前にも言った気がするけど、今度はあの時よりも更に実感がこもってた。この子を守りたいと、今まで以上に強く思った。すごく自然に、もっともっと当たり前のこととしてそう思えた。


二人でそうしてると、なんだかいつの間にか寝てたみたいになって、ハッと目が覚めた。見たらもう10時を過ぎてる。


「沙奈子、大変だ。もう寝ないと」


僕がそう言うと彼女も急いでトイレに行って、僕は布団を敷いていた。入れ替わりで僕がトイレに行ってる間に、沙奈子も人形の布団を用意していた。人形の服の絵は、描きかけのままでテーブルの上に置かれてた。邪魔しちゃったなとちょっとだけ申し訳なく思いながら、二人で布団に横になった。


すっかり当然のことになってしまった腕枕をしながら僕を見つめてくる沙奈子の額に、またそっとキスをした。嬉しそうにもぞもぞする彼女を包み込むように抱きしめて、「おやすみ」って言った。そしたら彼女は、僕の胸に顔をうずめたままで、「おやすみ」って応えてくれた。


しばらくそうしていたら、すー、すー、っていう穏やかな寝息が聞こえてきた。こんな風にしてても寝られるんだなって少し不思議に思った。それだけ安心してくれてるのかな。今度こそ、この信頼を守りたいと思った。


この子は今までいっぱい怒鳴られてきた。痛みを感じてきた。それはもう十分なはずだ。これからはこの子が必要としてるものを僕が与えてあげなくちゃ。安心して寝られる場所と、安心して自分の気持ちを打ち明けられる相手を。


今、それができるのは、僕だけなんだから。


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