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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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七十九 沙奈子編 「進歩」

そうか。彼女たちも何か吹っ切れたんだ。


忘れるとか無かったことにするんじゃなく、大切な友達がいたことと、その友達が亡くなったっていう事実を事実として受け入れることにしたんだ。それが良いことなのかどうかは僕には分からない。ただ、彼女たちのその決断を認めたいとは素直に思う。


沙奈子もいつか、自分の生い立ちとか境遇を理解した上で受け入れることができるかな。そうすれば何かが変わるのかな。今はまだ、特に何か変わらなきゃいけないっていう実感はない。誰かを傷付けたり苦しめたりするような子じゃないから。ただ、表面上は何も悪くなくても、何も問題無いように見えても、苦しいものを抱えたままっていうのは辛いよな。


僕はもう沙奈子のことを怒鳴ったりしないつもりだけど、事情を知らない人が乱暴な言葉をぶつけるようなことはこれからもあると思う。その度にパニックを起こしていたら…。


もし、自分の生い立ちとか境遇を理解した上で受け入れることができたら、そういうのも治るんだろうか…。


そんなことを頭のどこかで思いつつ、僕は仕事をこなしていた。そして昨日より少しだけ早く残業も終わらせて、帰ることができた。「ただいま」とドアを開けると、「おかえりなさい」と沙奈子が答えてくれた。彼女の無事を確認して、今日も安心した。風呂に入ってさっぱりしたら彼女を膝に座らせて、寛ぎながら髪を乾かす。


「今日、学校はどうだった?」


僕がそう聞くと、沙奈子は「楽しかった」って答えてくれた。そうか、楽しかったのか。そう思えるだけで十分だと思った。でも念のためもう一つ聞いておく。


石生蔵いそくらさんはどうだった?」


その質問には少しだけ何か思案を巡らせた感じで、「普通」と答えた。相変わらずのどう解釈すればいいのか困る返事でも、これが沙奈子なんだって思えばそんなに気にならない。何か嫌なことがあったら態度に出るんだから、彼女が普通と言えば普通なんだろう。以前言ってたように元気な人なんだったら、今日もその感じだったということじゃないかな。


大希ひろきくんとも仲良くできてる?」


何気なくそう聞いた時にはさらにいろいろ思い出してる感じでちょっと間をおいてから、


「石生蔵さんと仲良くしてる」


って答えた。それには僕もちょっと「え?」ってなって、


「それは、沙奈子も一緒に三人で仲良くってこと?」


って聞き直した。すると沙奈子が頷きながら言った。


「うん。三人で」


僕は軽く驚いていた。先々週の金曜日に大希くんと石生蔵さんがトラブルになってから状況が変化したとは聞いてたけど、まさかそこまでの感じになってるとは思わなかったから。子供だから、気持ちの切り替えが早いってことかな。だけど仲良くできてるって言うんなら、それはいいことなのかなって思った。それでふと、僕が見た夢のことを思い出す。


僕が見た夢の中での石生蔵さんは、沙奈子のことを気にかけてくれるお姉さんっぽい感じだった。もしかして本当にそういう風になっていくんだろうか。学校で沙奈子の味方になってくる人ができるのはありがたいことだとは確かに思う。これもひょっとしたら、彼女が、先生に叱られてる石生蔵さんのことをざまあみろとかいい気味だとか思ってしまう子じゃないから、石生蔵さんの方もそんな風にできるのかもしれないなって気がした。


もしそこまでうまくいかなくても、最低限、沙奈子に意地悪するようなことはしないでいてくれたらそれでいいか。それだけでも心配事が一つ減ってくれるんだし。そんなことを思いながら、僕は髪が乾いたのを確かめていた。


そろそろ時間もいい感じだし、寝なくちゃな。


「じゃあ、寝ようか」


僕がそう言うと、沙奈子は読んでいた本に栞を挟んで閉じた。彼女がトイレに行ってる間にまた布団を敷いて、寝る用意をする。


二人で布団に入ると沙奈子が寄り添ってくるから、額にキスをした。嬉しそうにもじもじもぞもぞする彼女の頭を撫でながら、今日は割と大きなこともない良い一日だったと思った。伊藤さんと山田さんの決心は僕にとっては少し大きなことだったとしても、昨日に比べればね。苦しくなるようなことでもなかったし。


その時、不意に、「あのね…」と彼女が小さく声をかけてきた。「ん…?。なに?」と応えながら見つめると、ちょっと慌てたように目を逸らして「なんでもない…」と僕の胸に顔をうずめてしまった。何のことだろうと思って気になったけどそれきり沙奈子は顔を上げようとしなかった。ただやっぱりもそもそとしばらく動いてたと思ったらやがて静かになって、寝息を立て始めたのだった。


なんでもないと言われてもその言い方だと余計になんでもなくないって気がしてしまう。とは言え、彼女の表情や声の調子から何か深刻なことや辛いことっていう印象はなかった。それよりは、何かを言おうとして照れ臭くなってやめてしまったって感じだった気がする。だから僕も不安にはならなかった。何か言いたかったんだとしても、慌てる必要はなさそうだって感じて、それ以上気にするのはやめた。そして、沙奈子が寝付いて腕を枕と入れ替えた後すぐ、僕も眠ってしまったのだった。




水曜日。今朝はすごくいつもの感じで目が覚めた。とても穏やかで、すっきりしてた。英田あいださんのお子さんのことを思い出すとやっぱり胸が痛むのはあっても、それ以外はとても落ち着いていた。


ただ、気のせいかもしれないけど、今朝は沙奈子の方が少し落ち着きがないと言うかそわそわしてる感じだった。それでも用意はちゃんとしたから、学校に行きたくないとかそういう感じじゃなさそうだ。別に辛そうでもないし。それでふと昨夜のことを思い出した。ひょっとして、あの時に言おうとしてやめたことに関係してるのかなって思った。


二人とも用意を全部終えて、僕が「行ってきます」といつものように声をかけた時、沙奈子が急に手を掴んできた。僕を見上げる彼女に、どうかしたのかなと思って視線を合わせるために顔を近付ける。すると、不意に彼女の方も顔を近付けてきて、僕の頬に何かが触れたのだった。


それは、沙奈子の唇だった。彼女が、僕の頬にキスをしたのだ。


「行ってらっしゃいのキス…。お父さん、お仕事がんばれるかなって思って…」


その言葉に、僕はピンと来るものがあった。そうか、昨夜言おうとしてたのはこのことだったんだ。顔を赤くして少しもじもじする沙奈子の頭を、僕は思わず撫でていた。まさか、彼女の方からこんなことするなんて。これじゃあ、僕が見たあの夢も、案外、荒唐無稽じゃないかもしれない。


「ありがとう。気合が入ったよ。これはいっぱいお仕事頑張らないとな」


僕も少し照れ臭かったけど、彼女の気持ちが嬉しくて、本当に気持ちが切り替わった感じだった。これじゃなんだか本当に女の人に騙されやすそうだな、僕って。


でも、騙そうとしてるのが沙奈子なら、別にそれでもかまわないや。ぜんぜん嫌じゃないし。だから僕は、良い気分のまま仕事に向かえたのだった。



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