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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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六十八 沙奈子編 「怒声」

図書館は、いつものスーパーのすぐ近所にあった。だから買い物に行くついでに寄ることができた。


今日も、散歩を兼ねて歩いていくことにする。ゆっくり歩いて先に図書館に行って、借りていた本を返して新しい本を借りた。それからスーパーの方に行って、まず二階のキッチン用品売り場に行った。そこで卵焼き用の四角いフライパンをかごに入れて、次は学用品売り場に行った。そこでは小物を入れるポシェットと、小銭入れを手に取った。沙奈子に選んでもらったら、どちらもイルカの絵が入った水色のものをカゴに入れた。ついでに鉛筆や消しゴム、のりといった消耗品も入れておく。


それを持ってレジに行って会計を済ます。


一階に降りて子供服売り場に行き、秋物の服も少し買おうと思った。ちょっと荷物は多くなるけど、重さ的にはそれほどじゃない筈だし。最近、朝晩はさすがに涼しいからね。


新しい服を買ってもらえるのはやっぱり嬉しいらしい。彼女に選んでもらうと、あれこれと迷いながらも楽しそうに見えた。うん、やっぱり暗い顔をしてるよりこっちの方がいい。沙奈子が大人しい感じの子なのは事実でも、だからって表情まで暗くしておく必要はないもんな。


その荷物を持って店を出る。買ったばかりのポシェットを、タグはついたままだけど首にかけ、新しい服が入った袋を大事そうに抱えて歩く沙奈子の姿を見て、僕は少し安心していた。まだ油断は出来なくても、今はとにかく落ち着いてるみたいで良かった。


だけどその時、


「邪魔だっ!。どけっ!」


急に怒声がして、思わず体が跳ねる。すると沙奈子の横ギリギリを自転車に乗った中年の男がかなりのスピードですり抜けて行った。何だこいつって思ったのはその男がずっと先まで行ってしまってからだった。その時は何が起こったのか分からなくて呆然としてしまっただけだった。


沙奈子を見ると、明らかに顔色が悪かった。怯えた表情で中空を見詰めてる。抱き寄せると少し震えてる感じさえした。


「大丈夫。大丈夫だよ。気にしなくていい。悪いのは沙奈子じゃない」


僕はそう言って彼女の頭をそっと撫でた。そうだよ。悪いのは沙奈子じゃない。あいつの方だ。


僕より明らかに年上、それどころか50過ぎぐらいなのに、何なんだあいつ。僕と沙奈子は横に並んで歩いてたわけでも何でもないぞ。確かに少し斜め前を歩いてたのは本当でも、歩道はとにかく歩行者優先なんだ。歩道の一部に自転車のマークが描かれた自転車道っぽいものがあるところも、それは歩道なんだ。自転車も通っていいというだけで、自転車が優先されるわけじゃない。たとえ自転車道だとか勘違いしてたとしても、沙奈子が歩いてたところは完全に普通の歩道だった。道を塞いでたわけでもない。どかなきゃいけない理由は何もない。


自転車で歩道を通る時は徐行運転。ベルとかで歩行者を除けさせたりするのは道交法違反。ましてや怒鳴るなんて威圧行為は場合によったら犯罪だぞ。散々テレビとかでも言われてることじゃないか。いい歳をしてそんなことも知らないのか。


そうだった。ああいう奴がいるから僕も大人を信用してなかったんだ。ルールを守れ、規則を守れとか言うクセに自分はルールも規則も守らない。僕自身が気にするようになったからか最近は余計に目につくようになった。小さな子供を連れたり自転車に乗せた親らしい大人が赤信号を無視したりする様子が。そんなことをしてて子供に『信号を守れ』とか言ったって、説得力無いよな。


沙奈子は、僕が言わなくたって信号を守るぞ。10歳の子がちゃんとルールを守るのに、大人のクセになんだ。そんなことしてて何が大人だ。こんな小さな子を、何も悪くないのに怒鳴りつけて、恥を知れ、恥を。


たぶん、他の時でも許せなかったと思うけど、今日は特に許せないと思った。よりにもよって今かよって思った。沙奈子はまだ怯えた顔をしてた。


もちろん今の中年男がそんな事情を知るわけない。だけど、あいつがちゃんと、自転車は歩道では徐行(確か自転車で言う徐行とは、時速7㎞くらいって聞いた)、歩行者優先っていうルールを守ってればこんなことにはならなかったんだ。そんなにスピードを出したかったんなら、車道を走ればいいだろ。


邪魔にならないように歩道の端に寄って、沙奈子を抱き締めて頭を撫でた。彼女が落ち着くまで。しばらくそうしてるとやっと落ち着いてきたみたいで、表情が戻ってきた気がした。


「もう大丈夫?」


僕が聞くと頷いたから、また歩き出した。さっきもそうしてたけど、ちゃんと道を塞いだりしないように、僕は沙奈子の後ろを歩いた。すると途中で、さっきの男が警官に囲まれてるところに出くわした。どうやら自転車の危険運転の取り締まりに引っかかったようだった。どうせまた誰かを怒鳴りつけたか何かしたんだろう。僕一人だったらさっきこの子にしたことも言ってやろうと思ったけど、今は沙奈子が一緒だからこれ以上変に揉めて怯えさせたくなくてそのまま素通りした。彼女もその男のことに気付いたのか不安そうに何度か視線を向けたりしてた。


その後は特に何事もなく無事に家に辿り着いた。でも沙奈子は部屋に入った途端に、荷物も持ったままで僕に抱き着いてきて、動かなくなった。僕も彼女をそっと抱き締めて頭を撫でた。彼女が自分から離れるまでそうした。


15分くらい経ってようやく沙奈子が顔を上げた。彼女に向かって僕は言った。


「よく頑張ったな」


そう、彼女は頑張ったんだと思った。こんなことがあったらもう出掛けたくないって思ったりするかもしれない。でもそういうわけにはいかないんだ。ずっと家に閉じこもってるわけにはいかないから。嫌なことがあるかもしれない、危険なこともあるかもしれない、それでも外に出て行かないといけないんだ。この子が生きていく世界は、この部屋だけじゃないんだから。


これからもこういう事はあると思う。でもその度に、僕はこうして彼女を抱き締めてあげたいと思ってる。そうやって、不安とか苦しさとかを溶かして、また出掛けて行ける勇気を持てるように。


ただ、この時、僕はあることに気が付いた。


昨日、僕がやってしまったことで沙奈子を怯えさせてしまった時にはあんなにうろたえたのに、他人がしたことで彼女が怯えてしまった今回にはうって変わって落ち着いていられたなってことに。確かにあの男には腹も立ったし今も思い出すと怒りが込み上げるけど、それだけだ。動揺してるっていうのとは違う気がする。


自分に責任があることだとうろたえて、そうじゃないとなったらすぐ冷静になれる。


ほんと、やれやれと思った。何て身勝手なんだろう。僕もあの自転車の男のことを責められない。僕もやっぱり自分勝手な人間の一人なんだなと改めて実感させられた。


沙奈子。こんな頼りない駄目な奴でごめんね。


彼女の頭を撫でながら、僕は心の中でそう謝っていた。


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