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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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六十六 沙奈子編 「悪夢」

その夜。沙奈子は僕の腕に寄り添うんじゃなく、僕の腕を枕にして体そのものにくっついてきた。より近付きたいということなのかもしれないと思った


腕枕というものをたぶん生まれて初めてやったけど、これ、意外と辛いものなんだな。腕が痺れるし、体勢を変えられないから体が固まるし。体も小さくて軽くて寝付きの良い沙奈子でもこれなんだから、大人の女性相手にやるのはけっこう大変そうだと思った。


そっと彼女の頭を持ち上げて腕を抜く。代わりに枕を入れてそっと戻す。ようやく体勢を変えられて一息ついた。腕の痺れもすぐに収まった。時間が短かったからだと思う。


改めて今日のことを思い返す。何だか長い一日だった気がした。だけど結果としては逆に沙奈子のことがより近くなったような気もする。


大人しそうで自分の思ってることをあまり表に出そうとしないように見えても、やっぱり彼女にもいろんな感情があるんだとまた実感した。人間を育てるのって大変なんだなと思った。


だけど、大変だと感じるのと同時に、不思議な充足感を感じてるのも事実だった。自分のやったことが、子供がどういう人間になっていくのかということに直接関わるんだなってつくづく感じた。


そういうことを感じながら、僕はいつの間にか眠ってしまっていたのだった。




僕は、何かの気配を感じてふっと目が覚めるのが分かった。窓の方を見ると外はまだ暗い。


「あ…うあ~…」


不意にそんな声が聞こえてきて、意識がはっきりする。声のする方を見ると、それは沙奈子だった。身をよじって、何かから自分を守ろうとするかのように、いや、何かを捉まえようとするかのように両手が中空を掻くのが見えた。


それは、何か月かぶりに見る彼女の姿だった。


時々怖い夢を見てるのか少しうなされてることは何度かあったけど、ここまでのものは僕のところにきて間もない頃以来じゃないかな。思えば、歯医者に通いだして僕との関係が急速に良くなっていってそれからは見なくなった気がする。最初の頃には何もせず放っておいたけど、僕は咄嗟に声を掛けてしまってた。


「大丈夫。大丈夫だよ、沙奈子。僕はここにいる。心配ない」


寝言を言ってる人に声を掛けるのは良くないみたいな話を聞いた覚えはある。でもその時の彼女の様子を見てたら、とてもそのままにしておけなかったんだ。


頭をそっと撫でながら、もう片方を手で沙奈子の手を取ると、寝ているはずなのに驚くぐらい強い力で掴まれた。その僕の手を抱きしめるようにして彼女は体を丸めた。


僕は、片方の腕を彼女に抱き締められたままの窮屈な姿勢で頭を撫でながら、「大丈夫、大丈夫」と繰り返した。ちょっと辛い体勢だったのを耐えながらしばらくそうしてた。やがて彼女が落ち着いてまた静かに寝息を立てはじめるのを確かめて、抱き締められた腕はそのままでちょっとだけ体勢を直した。


久しぶりに見た彼女の姿に、よっぽど不安だったんだなって感じた。


当然か。僕を他の誰かに取られるのは、今の彼女にとってはまた捨てられるかもしれないっていう恐怖を呼び覚ますだけじゃなく、それこそ命の危険もあるような深刻な事態だもんな。他の人にとってはただのヤキモチでも、沙奈子にとってはそれだけじゃないんだ。もっと根源的な恐怖って感じなのかもしれない。たかが子供のヤキモチだって軽く見てたら、大変なことになるかもって僕は思った。


そうだよ。この子は普通の子とは違う経験をしてきたんだ。そういう経験をしてない子への接し方は通用しないって思った方がいいんだと感じた。でも僕は沙奈子が初めてだから、普通とかそうじゃないとかいう思い込みがほとんどないことが幸いしてる気がする。彼女にだけしか通用しないかもしれないけど、彼女にさえ通用すればそれでいい。そんな風にも思ってる。


よく見ると、彼女の眼には涙まで浮いていた。それが、つうって流れるのが見えた。


どんな夢を見たんだろう。それは僕には分からない。だけど彼女にとってはとても辛い夢だったことは分かる気がする。今回のことで沙奈子を突き放す風にしてたらどうなったのかと思うと、背筋が冷たくなる。受け止めるようにしててもこれだから…。


彼女の周りにいた大人たちがどれほどのことをしてどれだけ彼女を傷付けたらこんな風になるんだろう。僕はそれが怖い。


気付けば、彼女は僕の腕を抱きしめたままいつの間にか指しゃぶりまで始めてた。いよいよ本格的な赤ちゃん返りってことなのか。幸い、今日は土曜日だしせめて明日の日曜日まではたっぷりゆっくり一緒にいられる。散髪は来週でもいいか。とにかく沙奈子が安心できるまで傍にいてあげたいと思った。


その後も沙奈子は何度かうなされて、その度に僕は頭を撫でてあげた。結果として僕は熟睡できなかったけど、どうせ休みだし大した問題じゃなかった。


朝、沙奈子はいつもより遅くまで寝てた。彼女も熟睡できなかったのかもしれない。明るいところで見ると泣き腫らした目をしてた。


「おはよう」


そう僕が声を掛けると、返事の代わりに抱き着いてきた。


「怖い夢を見たんだね。大丈夫だよ。それは夢だから。本当のことじゃないから」


僕の言葉に、沙奈子は小さく頷いた。彼女の体をそっと抱き、頭を撫でる。落ち着くまで、僕はずっとそうしてようと覚悟を決めた。だけど思ったよりは早く、彼女は自分から顔を上げた。


「大丈夫?」


たずねる僕に彼女はまた小さく頷いて、体を離した。


そして僕はトイレに行き、その間に彼女はいつものようにおむつをゴミ箱に捨てた。それから後は、大体いつも通りの朝だった。顔を洗ったことでちょっとだけ腫れが収まった顔でトーストを焼き、マーガリンを塗って僕に渡してくれる。そこまで来てようやく落ち着いたのかなと思った。


これからもこういう事を何度も繰り返して、彼女は少しずつ回復していくんだろうな。人の心を壊すのは一瞬でも、治すのには何年もかかるんだと感じた。こんな彼女を受け止められるような人が本当に表れるのかとも思う。面倒臭がったり気持ち悪がられたりして離れていくのがオチなんじゃないだろうかって感じる。


僕が見た、6年生になった彼女が結人そっくりの男の子と仲良くなってやがて結婚するとか、やっぱりただの夢なんじゃないかっていう気がしてくる。こんな沙奈子を、あんな乱暴で短気な子が受け止め切れる気がしない。もし本当にそういう子と出逢ったとしても、付き合ったりというのは賛成できる自信がない。


まだ実際にそんなことになってるわけでもないのに、僕は朝食の間ずっとその心配をしていた。その後、2人で並んで歯磨きをし、後片付けをして、また一緒に掃除を始める。沙奈子が気乗りしないようなら今日はやめておいてもいいと思ったけど、彼女が自分から掃除用のワイパーを手にしたからいつも通りに掃除をした。彼女が自分からやろうとすることについてはいつも通りにやろうと決めた。


そう言えば今日から10月だったな。お小遣い渡すタイミング、どうしよう。


僕は掃除をしながらそんなことを考えていたのだった。


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