五十四 沙奈子編 「集中」
意外なことに、沙奈子はジグソーパズルのやり方をかなり知っているようだった。見る間に一番外側の列を並べて、それから内側へと向かって並べていく。すごい集中力だと思った。300ピースなんて大丈夫かなと思った僕は、彼女を舐めていたんだと感じた。
沙奈子がジグソーパズルに夢中になってるから今日の夕食の用意は僕一人でしようと思った。今日はカレーだ。と言っても、煮物用の冷凍野菜を鍋でちょっと煮て、そこにレトルトのカレールウを入れるだけの手抜きカレーだけど。
僕がカレーの用意をして、ご飯の用意を忘れてることに気付いて慌てて炊き始めてふと沙奈子の方を見たら、もう三分の一ほどできあがっていた。
早っ!?。まだ30分もたってないぞ?。
それを見て僕は思った。やっぱり彼女の頭は悪くない。それどころかむしろ良い方なんじゃないか?。ジグソーパズルをこれほど早くするには相当な頭が必要なはずだ。沙奈子はちゃんとそれを持ってる。勉強を蔑ろにされてたからする機会がなかっただけなんだ。しかしジグソーパズルのことをこれだけ知ってるってことは、ひょっとしたら身近な誰かが好きだったのかな。
兄は…たぶん違うか。こういう地味で根気のいる作業とか大嫌いな人だったはずだから。そうするとお母さん、とか?。まあその辺は彼女が自分で話してくるまでそのままでもいいかなと思った。
「沙奈子、晩御飯にする?」
ご飯が炊けてそう聞いても、反応はなかった。ご飯が炊けるまでの間でももう三分の二くらいまでできあがってた。でも彼女は手を休めず次々とピースを置いていく。どうやら聞こえてないみたいだった。これは完成するまで待った方がいいかもと思った。
それからまた30分かからないくらいで、沙奈子は300ピースのジグソーパズルを完成させた。普通どれくらいかかるのか知らないけど、小学4年生で2時間かからないっていうのはかなり早い方なんじゃないかって感じる。脇から見てても僕にはその早さでできる気がしなかった。
「ふう…」
肩から力が抜けて溜息を吐いた彼女に、もう一度「晩御飯にする?」って聞いてみた。今度は僕の方に振り返って「うん」と答えてくれた。
いつもよりは一時間くらい遅くなってしまったけど、それでもまだ7時を過ぎたところだから全然問題ないよな。いつも通りの手抜きカレーを「おいしい」って言って彼女は食べてくれた。それから一緒にお風呂に入った。ずっと集中してたからか、いつも以上に沙奈子はお風呂の中でリラックスしてるように見えた。僕の肩に頭を預けて、脱力しきってた。
「ジグソーパズル面白かった?」
そう聞くと、目をつぶったまま頷いた。
「じゃあまた今度、ジグソーパズル買ってあげるよ」
って僕が言ったら、急に体を起こして振り向いて、「本当!?」って聞いてきた。
「もちろん本当だよ。すぐには無理だけど、クリスマスのプレゼントとは別で買ってあげる」
って返した。そうしたら彼女はまた嬉しそうに「うん」って言った。
お風呂からあがって服を着たら、沙奈子はすぐに完成したばかりのジグソーパズルをバラバラにした。え?。いいの?って戸惑う僕を尻目に彼女はそれを直し始める。なるほど。やっぱり組み立てていくのが楽しいんだな。
パズルに夢中の彼女の隣で、僕はブログの更新をした。今日は人形とジグソーパズルのことを書けばよかったから、すぐに更新できた。
寝るまでに完成するかなと思ったら、見事に再度完成させてしまった。そんな沙奈子に「すごいな」と声をかけると、彼女は自慢げに笑ってた。でも日記を書くのを忘れてて、慌てて日記を書いてもらった。だけど彼女の方も人形とパズルのことを書けばよかったからか5分ほどで書けた。そこでちょうど10時になったから、パズルをやってる間に敷いておいた布団に二人で一緒に入った。
その前に沙奈子は、人形にも「おやすみなさい」って言ってから布団に入った。
彼女にとっては思いがけず充実した一日になったのかもしれない。さすがに頭も疲れてたのか、布団に入ってリラックスした途端、寝息を立て始めた。
そんな沙奈子の寝息を聞きながら僕は、ここ2~3日のことを思い出してた。金曜日に虫歯の治療を終えて、水谷先生から山仁さんの息子さんと石生蔵さんのトラブルのことを聞いて、山仁さんからも詳しい事情を聞いて、変な夢を見て、カメラを見付けて、初めてホットケーキを作って、沙奈子に人形とジグソーパズルを買ってあげてって。
虫歯の治療は長かったけど、痛みが早々にとれたことで沙奈子との関係が急速に改善されていったのは確かな気がする。あの時気付いてなかったら、どうなってたんだろうと思ったり。ああでも、さすがにあんなに酷い虫歯だったら誰かが気付いてたかな。ただ、塚崎さんは最初に気付いてて僕がそれを聞いてたのに忘れてたのは、我ながら腹立たしい。
山仁さんの息子さんのことは、水谷先生から聞いただけの話だったらすごく心配になってた気がする。それを思い切って山仁さんに電話してみたことで安心できた。しかもその上、励まされたりもしてしまった。何だか情けなかった。
結人の夢のことは、今でもまだ意味が分からない。もともと夢なんて意味が分からないものだって言われたらその通りなんだとは思う。でも僕の無意識の部分が何かを感じてるからあんな夢を見たのかもしれないっていう気もする。僕自身の中にも結人みたいな部分はあって、それをどういう風に抑えたらいいのか、50年後の沙奈子のイメージを通して自分に言い聞かせてるのかもしれないとも考えてしまう。
カメラのことは、思い出すだけで何だかざわざわした気分になる。なぜあんなところにあったのか知りたい気もするのと同時に、特に何も起こらないのならさっさと忘れてなかったことにしたいっていうのも正直な気持ちだった。
だけど沙奈子と一緒に初めてホットケーキを作ってそれが上手くできておいしくて、四ヶ月以上遅れての誕生日プレゼントに彼女のまた別の一面が見られてその時だけはカメラのことなんてどうでもよくなって。
う~ん。何もないことが幸せのはずなのに、なかなか濃い3日間だった気がする。でも、そうだよな。こういうこともあるよな。
これから先、何もないことを願いながらも同時に何かあっても沙奈子のために乗り越えていきたいっていう気持ちにまたなる。本当に不思議な気分だ。自分に何の価値もないって感じて何もかも諦めて自分にとってはどうでもいいことだってスルーして生きてきた僕が、こんなに彼女に拘ってる。彼女のためならって思ってる。以前の僕なら間違いなく冷めた目で見て鼻で笑うようなことを必死になってやってる。それもこれもみんな、沙奈子が僕のところに来た時から始まったんだな。
でも、それが始まってまだ五ヶ月も経ってないんだ。もしかしたらこれから何十年と続いていくかもしれない沙奈子との暮らしを思うと、何だかものすごいことをしようとしてる気がする。
あ、でも、沙奈子はもう10歳だからなあ。成人式まではもう10年しかないんだ。法律上、結婚ができるようになるまではあと6年。意外と誰かが沙奈子をさらっていったりなんてこともあるかも知れない。僕の夢に出てきた彼女の旦那さんらしき人みたいのが現れて。
そう思うと何だか複雑な気分にもなるのだった。




