五十一 沙奈子編 「意義」
今日のお昼は、ちょっと頑張ってホットケーキに挑戦してみようと思った。昨日買ってきたホットケーキミックスっていうので、やってみようと思う。
「ホットケーキ作ってみる?」
買い物をしてる時にふと思い立って沙奈子に聞いたら、すごく嬉しそうな顔で「うん」って頷いてくれたし。
というわけで挑戦だ。でも完全に初めてだから、袋の裏に書かれてる通りにやろうと思った。ここに引っ越してきてから一度も使ったことなかった気がするけど、ボウルはある。さすがに埃とか心配だからまずそれを洗ってから、まず卵を割って入れてもらう。
計量カップも初めて使う気がする。それもやっぱりちゃんと洗ってから、ミルクを計ってもらった。真剣な顔で目盛を見る沙奈子の顔が何だか可愛いなと思った。
ミルクもボウルに注ぎ、そこにホットケーキの粉を入れた。これで準備は整った。泡立て器がなかったからしゃもじでかき混ぜる。これも沙奈子にやってもらおうと思った。沙奈子も初めてみたいだから最初は力の加減が分からなくて粉が煙のように舞い上がってしまった。それでゆっくりそっとかき回すようにした。だんだんミルクと卵と粉が混ざり合って舞い上がらなくなってきたら、フライパンを温めた。
袋に書かれてる通りに温めたフライパンを濡れた布巾の上に置いて少し冷まして、弱火にしたコンロの上に戻して、お玉ですくった生地を流し込んだ。それを二人で一緒に見詰める。袋に書かれてる通りなら3分ぐらいで泡が出てくるはずだった。
でも3分ほど経っても泡が出てこない。表面にちょっと凸凹が出来てる気がするけど、これが泡ってことなのかな?。もしかしたら火が弱すぎたのかもしれない。そんなことを考えてるとプツッって感じで表面の凸凹が弾けた。やっぱりこれが泡だったんだ。
フライ返しでひっくり返す用意をする。ここで失敗すると大惨事だっていうのは沙奈子にも分かるからか、さすがにためらっていた。だから僕が代わりにひっくり返す。だけど僕も初めてだから、すごく緊張した。一応これまでにお好み焼きをひっくり返したことは何度もあるから、その要領でやればいいんだと覚悟を決めて、ひっくり返した。
やった!。成功だ!。
キレイにひっくり返せたのを見て、沙奈子が拍手をしてくれた。こんなにテンションの高い彼女は滅多に見られない。彼女にとってもすごいことに思えたんだと感じた。見たら、けっこう上手く焼けてると思った。
袋には2分ほど焼くってなってたけど、ちょっと火が弱すぎたみたいだから3分ぐらい待ってみて、それからフライ返しで持ち上げてみて、裏の様子を見た。うん、いい感じだと思う。そこでお皿に移したのだった。
「わあ~!」
って、沙奈子が声を上げた。初めて見る反応だと思った。でもそれも当然かもしれない。それくらいきれいに上手にホットケーキができたのだった。よし、この調子でどんどん焼くぞ。
結局その感じで3枚のホットケーキを焼いた。どれも初めてとは思えないくらい上手くできたと思う。
バターがないからマーガリンを塗って、ホットケーキミックスと一緒に買ったメープルシロップをかけて完成だ!
形はちょっと崩れてるかもしれないけど、色はきつね色ってやつですごくおいしそうだ。早速テーブルに移動して、これも初めて使うギザギザのついたナイフで切り分けた。ふわふわした感触が気持ちよかった。その様子を見る沙奈子の目も何だかキラキラしてる感じで、すごく子供らしい気がした。
「いただきます」
二人で声をそろえてそう言うと、切り分けたホットケーキをフォークで口に運んだ。
「おいし~」
沙奈子が声を上げた。今までで一番の「おいしい」かもしれない。それくらいテンションが高かった。見てるとこっちの顔まで緩んでしまうくらい可愛らしい言い方だった。
基本的には少食だと思う沙奈子だけど、特においしいと思ったものにはその限りじゃない気がする。今回のホットケーキも、二枚分くらい彼女が食べてしまった。すごい。これは沙奈子の好物にホットケーキが加わることになるのかな?。
満足したみたいに柔らかい顔で寛ぐ顔を見ながらそんなことを考えた。それにこんなに上手くできるなら、定番メニューに加えてもいいと思う。
そんなこと考えながらも、一方で、ホットケーキもまともに食べたことがなかったのかなって思ってしまって、胸が痛くなる気もした。だけどこれからは当たり前に食べられるようにしてあげたい。またそういうことを思わされる。これからもきっと何度も何度も考えさせられることだと思うけど、その度に新しい気持ちにならなくちゃっていう気もしたのだった。
昼食の後はしばらくのんびりして、また割り算のドリルをした。いつもいつも代わり映えしないことをしてるけど、やっぱりそれがいい。僕たちはそれが苦にならない性分なんだから。割り算に慣れてなくてもたもたする沙奈子を見てイライラする必要もない。同じことを繰り返していつの間にかちょっとだけ上手くできるようになってればそれでいい。誰のためでもなく僕たち自身のために。
そうだよな。誰かの役に立つ人間しかいちゃいけないって言うんだったら僕たちなんてたぶんこの世には必要ないんじゃないかな。でも、それっておかしいよな。誰かの役に立つって、その人にとっては役に立っても、他の人にとっては役に立たなかったらそれはどうなるんだろう? 役に立ててくれる人とセットじゃないと生きる価値がないとか、変じゃないか?。
僕も以前、何も考えないようにする以前には、自分がどれだけ世の中の役に立ってるかなんてことを考えたことあるけど、その時、僕が納めてる税金がどれだけ世の中の役に立ってるか考えたら、納めてる税金の額より受けてる恩恵の方が圧倒的に多くて逆に打ちのめされたことがあった。だって、自分が利用してるライフラインだけでも、年に何十万程度の税金で作れるものじゃないんだから。
ものすごくたくさんの人が利用して、ものすごくたくさんの人がそのための費用を負担してライフラインはできてるけど、そこで僕一人がいなくなったって、たぶん何の影響もないんだよな。それなのに、ライフラインを利用することで僕はものすごい恩恵を得てる。得てるものに比べて僕が払ってるものがあまりに小さくて、ぜんぜん社会の役になんて立ってないってことを思い知らされたんだ。税金を払う程度のことなんて、僕でなくてもぜんぜん構わないことなんだ。僕以外の誰がやってもいいことなんだ。
そう思ったら、自分は社会の役になんて立ってないってことが分かって、それ以来、僕は考えるのをやめたんだと思う。自分が社会にとって何の役にも立ってないのにこうやって生きてる現実を思い知らされるから。
だけど今は違う。社会の役に立ってるかどうかなんてどうでもいい。僕はただ、沙奈子のために生きていたいだけなんだ。それだけでもう、十分に生きる意味があると今は思ってる。




