四十九 沙奈子編 「異様」
今日の昼食は、ミートソーススパゲティにすることにした。茹でたパスタにレトルトのミートソースをかけただけのものだけどね。先にレトルトを温めるために小さい鍋でお湯を沸かしてそこにレトルトを入れて脇に置いてから、大きい鍋でパスタを茹でることにした。火を使ってる時に余計なことをすると危ないから、二人して黙ってお湯が沸くのを待つ。でも時折、顔を見合わせてにっと笑ってみせたりもする。
お湯が沸いたら、僕はパスタを茹でて、沙奈子にはお皿を用意してもらって、そこに茹でたパスタを盛り付ける。さらにそこにレトルトのソースをかけて、できあがりだ。
店で食べるものと比べたら味は落ちるのかもしれないけど、それでも自分たちで用意したというだけでも十分おいしい気がした。
「ごちそうさま」
二人で声をそろえてそう言って、後片付けを始める。皿に残ったソースを要らないプリントで拭き取ってから洗って、沙奈子がそれをすすぐ。正直言ってまだ危なっかしい手つきだけど、それを分かってて任せてるんだから、もし手を滑らせたりして割ってしまったとしても、怒らないでおこうと思ってる。怒るくらいなら自分でやった方がマシだ。
片付けが終わってからまたぼうっと寛いで、一息ついたら今度は掛け算のドリルを始めた。今日で100ページ終わる。以前に比べたら本当に計算が早くなったと思う。
最後のページを終わらせて、答えを確認すると、ミスが一つもなかった。すごいぞ沙奈子!。
「よく頑張ったね」
そう言って頭を撫でると、照れてるような、でもちょっとだけ自慢げな感じで彼女は微笑んだ。しかも、今日のところはこれでもう終わってもよかったと僕は思ってたのに、沙奈子は自分で割り算のドリルを開いた。本人にやる気があるのならいいかと思って続けてやることにする。だけど、割り算になったら途端に計算の速度が落ちた気がする。掛け算と逆に考えればいいと慣れてる僕なんかは思っても、慣れてない彼女にはその作業が上手くできないんだと思う。
でも大丈夫だ。掛け算だって最初はそんな感じだった。こういうのは結局、慣れだよ。沙奈子自身の理解力そのものには問題ないと僕は感じた。少なくとも僕と同程度の理解力はあるはずだ。あとは時間をかけて丁寧にすればいいだけだよな。
そうやって一時間くらい勉強して、また二人でゆったりとした時間を過ごす。沙奈子は僕の膝で本を読んで、僕は彼女の重さや体温を感じながらウトウトして。
今度はさすがに夢は見なかった。
さすがにこの時期になると夕方には涼しくなってくる。それで二人で一緒に大型スーパーに買い物に行った。食材とか冷凍食品とかレトルトとか買い込んで、それから石鹸とかシャンプーとかリンスとかティッシュペーパーとかトイレットペーパーとかも買い込んだ。でもかさばるものを買うとカゴに入り切らなくなるから、前のカゴを大きなものに付け替えて、後ろにもカゴを付けた。ますます買い物用のママチャリ感が増した気がする。だけど不思議と悪い気はしなかった。だって沙奈子と一緒に暮らしていくために必要なことだから。
ただちょっと困るのが、アパートの駐輪場に置いておくとなぜか後ろのカゴにゴミを入れられることがあるってことなんだよな。嫌なことをする人がいるものだと思う。
まあそれはさて置いて、部屋に帰ってきて買ったものを整理した後、僕は窓を開けて網戸にした。さすがにもうクーラーは要らないと思った。だけどその時、僕は妙な違和感を感じたのだった。
敷地の区切りになってる植え込みに、何かが引っかかってるって言うか、付けられてるって言うか。よく見るとそれは、テレビで見たことのあるものだった。たぶん、盗撮用のカメラってやつ…?。
確証はなかった。テレビで見たものと同じに見えたっていうだけで、本当に盗撮用のカメラかどうか分からない。だから僕はベランダから庭に降りてみて、それをよく見てみた。やっぱり、カメラっぽい。大きさは手のひらに隠れる程度しかないけど、レンズみたいなのがあって、それが完全に僕たちの部屋に向いていた。
何だこれ気持ち悪い。いったいいつからあるんだろう?。こんなところじゃ雨に濡れて壊れそうな気がするけど、見る限りそんなに汚れてない感じだから、割と最近置かれたものかもしれない。
たぶん、僕一人だったら気持ち悪いと思いながらも放っておいたと思うけど、これがもし沙奈子を狙ってるものだったりしたらと思うといてもたってもいられなくなって、僕は警察に電話していた。
15分くらいして警官が二人、アパートの前で待ってた僕のところにやって来た。沙奈子には部屋で待っててもらってる。警官と一緒に裏に回ると、一人がそれを見るなり言った。
「あ、なるほど。確かにカメラみたいですね。お宅の部屋に向いてるように見えます。ただ、これが実際に映ってるかどうかは、ちょっと確認できませんね。電波で映像を飛ばして別のところで受信するヤツみたいですから、これだけじゃ分からないんです。一応、拾得物としてこちらで預からせていただきます」
そういってカメラを持って警官は帰って行った。
「もしまた何か気付いたことがありましたら、お知らせください」
とは言われたけど、なんか不安や気持ち悪さは消えなかった。単に本当にたまたまそこに何かの事情で引っかかってただけなのか、それとも盗撮目的で仕掛けられたのか、それすら分からない。だからせっかく涼しくなってきたっていうのに、窓も迂闊に開けられないって思った。窓に鍵をかけてカーテンをしっかり閉めた。クーラーを使うのは大げさな感じだったから、換気扇を点けた。これが意外と部屋の熱い空気を吸いだしてくれて、代わりにあちこちの隙間から外の空気が入ってきて結構涼しくなるんだ。一階だから窓を開けて寝るとさすがに不用心だと思って、一人で暮らしてた頃は結構これでしのいだりしてた。結局、これからもこれでしのぐことになるんだろうな。
それと同時に僕は、本気で引っ越しを考え始めていた。早速ネットで物件をチェックしてみたけど、さすがにそんなに都合のいいものは見付からなかった。家賃は今のからあまり高くなられても困るし、でも小さくてもいいから一軒家が希望だし、しかも沙奈子の学校の校区内でと言うと、やっぱり条件が厳しすぎるかな。
だけど諦めずにこれからも探そうと思った。でないと何だか安心できそうにない。もちろん、引っ越した先でも何かトラブルがあったりっていうことは十分に考えられるから慎重にはなるけどね。
すっきり解決とはいかなかったけど、いつまでも気にしてても始まらない。そんなわけで気持ちを切り替えて、夕食は餃子にした。と言っても、市販のを焼くだけのものだけど。手作り餃子は、僕にとってはまだハードルが高かった。
ちょうどいい焼け具合になるまで沙奈子と二人でフライパンをにらんで、ここだというところでお皿にあけた。いい感じに焼けたと思った。それから僕と沙奈子は、カメラのことなんかすっかり忘れて夕食をいただいたのだった。




