四十六 沙奈子編 「予感」
俺の名前は結人。2054年7月15日生まれ。12歳。親はいない。自分では死んだと思ってる。て言うか本当に死んでほしい。怒鳴って殴るだけで親ぶってる奴なんて、ガキ以下だろ。生きてる価値ない。親だけじゃない。大人なんて、ちょっと長く生きてるだけで何でもかんでも分かったつもりになってそれで自分を偉いとか思ってるんだから、頭悪すぎだろ。
だから俺は、大人なんか信用しない。大人だけじゃなくて他人なんか信用しない。今は子供だからって何もさせてもらえないけど、中学に入ったら利用できるものは何でも利用して、一人で生きてやる。くれるっていうものは何でも貰う。金でも物でも。馬鹿な大人から掠め取ってやる。
その手始めとして、俺は里子としてこの家に来た。この家を選んだのは、オッサンとオバサンがもう60くらいのジジイとババアだったからだ。しかもいかにもお人好しそうな、『子供は宝物です』なんてことを平気で言う、口ばっかりの偽善者だったからだ。だからいざとなったら俺の力でもぶっ飛ばせると思ったから、こいつらを選んだんだ。
里親は里子を絶対に殴ったりできない。そういう法律があることを俺は知ってる。馬鹿な大人が作った法律も俺は利用してやる。これは俺からの復讐だ。勝手に産んどいて『勝手に産まれてきやがって』とかホザいて、人をストレス解消のためのサンドバッグにするようなゲスどもへの報復だ。小学生にだって、その程度のことは考えられるんだぜ。無駄に歳だけ食った、体は大人で頭脳は子供のゴミ虫どもがよ。
「今日からよろしくね、結人くん」
ジジイとババアが、気色悪い愛想笑いで覗き込んでくる。ケッ!、気色悪い!。どうせお前らも、金のためにやってるんだろ?。子供一人預かったら月に8万も貰えるんだろ?。それが目当てでやってることぐらい俺は知ってるんだよ。そんな奴らが善人面してるとか、ホント今すぐその顔をバットでメチャクチャにしてやりたいぜ。
だけど、今はガマンだ。こいつら二人をグチャグチャにしたって俺の気は収まらない。できることなら世の中そのものを徹底的にぶっ壊してやりたい。そのための力をつけるには、今はガマンなんだ。
こうして俺は、こいつらの子供(仮)になったんだ。
でも、こいつらのところに来てから俺は、調子が狂いっぱなしだった。ちょっと生意気なことを言ったり、ちょっと挑発してやるだけで今までの大人はみんな顔を真っ赤にしてキレそうになって、でも法律があるから手を出せなくて死ぬほど悔しそうな顔してた。その顔を見るのが俺の趣味だった。だからって、手を出されるのが怖いってこともないんだぜ?。俺に手を出して事件になって辞めさせられた養護施設の職員だっている。あれは笑ったな。俺に馬鹿にされたからって半泣きになってボコボコにしてきたんだ。殴られながらも俺は、『これでこいつもお終いだな』って腹の中で笑ってたよ。その通りになってまさにザマあみろって思ったね。
俺は自分からは手は出さない。大人に手を出させるんだよ。子供だからな。もしそれで俺が死んだって、別にいいよ。どうせ生まれたくて生まれてきたんじゃないし、俺を殺したらそいつの人生もお終いだからな。どうせ俺は地獄に行くんだろうけどよ。地獄から、ミジメったらしく命にしがみついてる奴らを笑ってやるよ。って、そう思ってたのに、なんか上手くいかねーんだ。
ジジイもババアも、俺がいくら生意気なことを言っても、挑発しても、まるでコタエてねーみたいなんだ。この前なんか、大声出してテーブルの上のもの全部叩き落してやったのに、ちょっと困ったような顔しただけで、「あらあら」だってよ。なんだこいつら、気色悪い。感情あんのか?。
「どうした!?。怒れよ!。俺は悪いことしたんだぞ!。怒れよ!。それともお前らは怒れねーヤツだってか!?。だったら俺はもっともっと好き勝手やらしてもらうぞ!!」
って言ってやった。そうしたらババアが。
「大丈夫。あなたのような人のために私たちはいるの。他の人にとってはあなたは悪い子かも知れないけど、私たちにとってはあなたはとっても普通。すごく正直で、すごく真っ直ぐ。あなたの気持ちは、とっても分かりやすい。自分に正直な、すごくいい子よ」
だって。なんだよそれ!?。意味分かんねえ!。分かんねえから、だったら試してやるよ。お前らもどうせ口だけだってこと、証明してやる!。
それから俺は、もっとムチャクチャした。ガラスを割ったり、家の中のものを片っ端から壊してやった。学校にも行かなくて、ゲームセンターでクレーンゲームを壊してやったりもした。どうだ!?。これで月に8万くらい貰ったって、大赤字だろう?。ザマアみろ!。
なのに…それなのに、ジジイもババアも怒らなかった。どうなってんだこいつら?。マジで頭おかしいんじゃないのか?。
でも俺は、そんなこいつらをようやく怒らせることができたんだ。学校で、うざいクラスのやつを突き飛ばして、ケガをさせてやった。そいつの親が学校に怒鳴り込んできて、大騒ぎになった。そうしたらさすがにジジイがニラんできた。けどそれだけだった。難しい顔して、俺をニラんでるだけだった。それでも怒ってるってことには変わりないだろ。怒らないんじゃなかったのかよ。この口先だけの偽善者どもが!。
だけど、ババアは言った。
「物は、お金を出せば直すこともできるし代わりのものを買うことだってできる。でもね。人は違うの。体の傷は治るかもしれないけど、その時に受けた心の傷は、ずっと残るの。それは、あなたが一番よく知ってることのはずよね。あなたはいっぱい傷付いてきたんだものね。その傷が、今でもすごく痛いんでしょう?」
ババアが何を言ってるのか、その時の俺にはよく分からなかった。分からなかったけど、なんか急にこいつらのことを怒らせようとしてるのがバカバカしくなった気がした。しかも、あの時にババアが言った『その傷が、今でもすごく痛いんでしょう?』って言葉が、なぜか分からないけど頭から離れなかった。ちくしょう…なんだよまったく…!。
それから俺は、あまりムチャクチャなことをしなくなった。別に反省したとか悪いと思ったとかじゃない。俺はそんなヤワじゃない。ヤワじゃないけど、気が乗らなくなった。そうだよ。気が乗らなくなっただけなんだ。
するとある時、オバサンが言ったんだ。
「人はいっぱい傷付くと、大きく分けて二種類に分かれるの。その傷を無視して見ないようにして耐えようとする人と、傷の痛みをごまかすために他の人を傷付けようとする人と。どっちになるかは人によって違うけど、私は、その傷が痛いっていうことを素直に表に出してくれる人の方が、接しやすいかな。私自身は、見ないようにして耐えてきたんだけどね。ただそれで、父をずっと心配させてきちゃったから…」
その時のオバサンの顔が、なぜか分からないけどすごく悲しそうに見えて、僕は思わず目を逸らしたんだ。
……って、夢…?。なんだ今の夢は?。もともと夢ってわけ分からないものが多いけど、それにしたって2054年生まれの結人ってなんだよ?。意味分からないけど内容自体はむちゃくちゃ具体的だった。ただ、夢の中で結人がババアとかオバサンとか呼んでいた60前後の女性のことが、僕は妙に気になっていたのだった。




