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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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四 沙奈子編 「変化」

2人で家に帰ってくると、沙奈子は僕が買ってあげた服が入った袋を大事そうに抱え、部屋の隅に座り、袋の中から服を一着取り出してそれを眺め、見終わったらまた袋に戻して次の服を出してそれを眺めるということを繰り返していた。新しい服がよっぽど嬉しいんだと思った。


でも、さすがに着替えの度にその袋で出したり入れたりというのは不便だろう。そこで僕は、クローゼットの中の着なくなった自分の服を思い切って捨てて引き出しを一つ空にして、彼女の服を入れられるようにした。すると沙奈子は、自分で服を畳んで引き出しの中に入れて片付けた。その様子もどこか楽しそうに見えた。


「嬉しい?」


僕が思わずそう聞くと、彼女は引き出しの中の自分の服を眺めたまま頷いた。やっぱりこうやって分かりやすい反応があるとこっちも話しかけやすい。


「そうか、良かった」


彼女が喜んでくれてる実感が持てて、僕もなんだか嬉しかった。しかもそんな僕の方を向いて沙奈子は、


「ありがとう」


と言ってくれたのだった。


ありがとう。仕事関係やお客として入った店の店員以外にそんなことを言われたのはすごく久しぶりのような気がする。そして仕事とか義務とかじゃなくそう言われるのは嬉しいんだっていうことも、ずっと忘れてたような気がした。


僕の両親はとても仲が悪く、顔を合わせればケンカばかりしてるような人達だった。父親も母親も、機嫌が悪い時には些細な理由で僕を殴ったり物を使って叩いたりした。なのに、なぜか兄はそういうことをされなくて、それどころかいつも兄ばかりが贔屓されてた気がする。


兄は他人に対して愛想がよくて友達も多かったみたいだけど、僕は他人に話しかけたりして怒られたりするのが怖くてあまり話しかけたりできなかった。


でも、大学に入って一人暮らしを始めた兄は家に寄り付かなくなり、気が付いたら大学も辞めてアーティストになるとか言って外国に行ってしまったと半年後くらいに人から聞いて知った。けれどその話を聞いて一カ月もたたないうちに日本に返ってきたという話をまた数か月後に聞いて、それからは定職にも就かないで女の人の家を泊まり歩いてるという噂を聞いた。


そうこうしてる間に僕も一応大学に行ったけど、親に学費は出さないと言われて自分でアルバイトしながら5年かけて卒業して、幸い今の会社に就職できたのだった。もっともそれは、求人3人のところに僕1人しか応募が無かった不人気な会社だったからというのもあると思うけど。


大企業の下請けとして産業用機械の部品を作ってる会社の設計の仕事だった。割とそういうのは嫌いじゃなかったから仕事自体は苦痛じゃないけど、忙しい割に給料は安いし残業は月20時間までしかつかなくてそれ以上はサービス残業だし、そのせいか社員もあまり居つかなくてその度に新しい人が来るし親しくなってもどうせ居なくなると思ったら余計に関わり合いになろうと思えなくなった。勤め始めてまだ6年程度なのに、僕のいる部署の上司を除く社員10人のうち、僕より長く勤めてる人は一人しかいない。ただ、急な仕事でも入らない限り週休二日だけは守られてる。そんな会社だった。


社会人になってからしばらくして立て続けに両親が病死して、葬式にも現れなかった兄とも全く連絡が取れず、僕は事実上の天涯孤独になってしまった。だけどそれ自体はどうってこともなかった。両親が死んでも悲しくもなかったし、むしろ老後の面倒を見る必要が無くなった、今後何かにつけて干渉を受けるような心配もなくなったと気が楽になったくらいだった。


そして僕は、とにかく毎日が何となく過ぎて行って、何となく生きてる。そういう人間になっていた。仕事は真面目にするし問題も起こさないけれど、代わりに居るのか居ないのか分からない。居ても居なくても大差ない、それこそ毒にも薬にもならない、曖昧模糊で無味無臭、もはや透明人間のような存在感のない人間だと言えた。


そんな僕のところに、沙奈子は実の父親に置き去りにされたのだった。いや、捨てていかれたと言った方がいいかも知れない。僕みたいな人間に子供が育てられるとか兄が考えてたとは思えない。自分が子供を死なせたら責任を問われるけど、僕が死なせたら少なくとも自分に直接の責任はないって考えてたと思う方がしっくりくる。


何しろ兄は、僕が沙奈子を小学校に通わせるようになる以前の2年間ほど、彼女を学校にすら通わせずにあちこちを転々としてたくらいだったのだ。それが分かったのは、児童相談所から警察や役所に問い合わせして調べてようやくという有様だった。もしあの時、児童相談所の人と出会わずに相談もできずにいたとしたら、僕一人じゃ多分どうにもならなかったと思う。兄と同じで学校にも通わせられずに、何かのきっかけでそれが明るみになって騒ぎになってようやく誰かが手を打ってくれるみたいになってたかも知れない。


だから最初はもうとにかく困ったとしか考えられなかった。沙奈子に何かあったら僕の責任にされる。それしか考えてなかった。だから死なせないようにすることしかほとんど考えてなかった。


だけどこうやって、大人しいなりにちょっと嬉しそうな顔をするとか、『ありがとう』と言ってくれるとかしたことで、彼女が人間だっていうことに今更ながら気付いた気がした。


そうだよな。彼女は捨てられたペットじゃないんだ。人間なんだよな。僕と同じで。しかも、僕も沙奈子ほどじゃないけど親に捨てられたみたいなもんだから、ひょっとしたら似た者同士なのか。他人に対して強く出られないとか、そういうところも似てるのか。


そう思うと、何か仲間意識と言うか、親近感と言うか、そういうものを感じられないこともない気がする。


僕に子供が育てられるとかは今でも思わないけど、2人で協力し合えば何とかなるかも知れない。そんな気になってきてるのは確かだった。もちろん沙奈子はまだ子供だからできることは知れてると思うけど、だけど何もできないわけじゃないことはここまで一緒に暮らしてきて分かった。


「ありがとう」


ここまで何とかやってこれたのは、沙奈子自身の力もあった気がする。だから僕も、彼女にそう言った。もっとも、この時の彼女には、『服を片付けてくれてありがとう』という程度の意味にしか伝わってなかったみたいだけど。


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