三十六 沙奈子編 「恋慕」
子供の好き嫌いって大人は軽く見がちだけど、こういうのが結局、おざなりな対応で放っておくと問題が複雑になって、深刻な状況にまでなってしまうんだと思う。
大人はすぐ、子供の問題は子供同士で解決するべきだみたいなことを言うけど、それは単に面倒臭いから関わりたくないっていうのを誤魔化してるだけだとしか僕には思えない。子供は未熟なんだから、問題解決のためのヒントを大人が示さないと、未熟な感情に任せた乱暴な対応になってしまうことの方が普通なんじゃないかな。
ましてや、誰かを好きになるっていうのは本当はいいことのはずなのに、それで誰かを傷付けることになるっていうのをきちんと対処しろっていうのは、大人でも簡単じゃないのに子供だけに任せてて上手くいく方が珍しいって気がする。
大人が手本を示して初めて、子供はそれを学べるんだって。
だけど僕は、そういう恋愛関係で沙奈子に何か手本を示してあげられるだろうか?。…無理な気しかしない。それに今回の件は沙奈子自身がそういうことで悩んでるわけじゃないから、それはそんなに関係ないのかな?。その石生蔵さんっていう子が、自分の気持ちとどう向き合うかって問題なのか。
しかし山仁さんの息子さん、モテモテだな。確かにすごく優しそうで可愛い感じの男の子だったと思うけど、今はそういうのがモテるのか?。
って、茶化してる場合じゃないか。沙奈子にとっては結構な問題だもんな。
水谷先生が帰った後、僕は沙奈子と一緒にミートスパゲッティを作って食べた。と言っても、沙奈子がお湯を沸かして僕がパスタを茹でて、レトルトのソースを掛けただけだったけど。それからまた一緒に風呂に入ってだらけて、勉強して寛いでってした。
彼女を膝に座らせてぼんやりテレビを視ながら、僕は思った。沙奈子にきつく当たってるっていうその石生蔵さんは、家でお母さんとかお父さんにこんな風にしてもらってるんだろうか…?。こんな風にしてもらってすごくリラックスできてたら、いくらヤキモチ焼いたからってそんなに意地悪しようっていう気にならないと思うんだけどな。
家でリラックスできなくて、学校でも好きな男の子が他の女の子と仲良くしてて、それでイライラしてしまうのかな。もしそうだったらちょっと可哀想だな。
もちろん、だからって他人に意地悪していいってことにはならないけど、もし僕が想像してる通りだったら、八つ当たりしたくなってしまう気持ちも分からなくもない気もする。石生蔵さんの家族の人が、石生蔵さんの気持ちを受け止めてあげてくれたら、すぐに解決する問題なんじゃないかな。何の根拠もないけど、そんな気がした。
だから僕は、ここで沙奈子が石生蔵さんを煽ったりとか挑発したりして火に油を注ぐようなことをしないのが、問題を大きくしない胆なんじゃないかとも思った。そのためには、沙奈子が嫌なことを忘れられるくらいリラックスさせてあげるのが、僕にできる一番の協力なんじゃないかって感じる。
「沙奈子…」
ふと名前を呼んでみた。そして振り返った彼女に、
「幸せ…?」
と聞いてみる。すると彼女はためらうことなく、
「うん」
って頷いてくれた。
「そうか…僕も幸せだよ。ありがとう」
そう言った僕の言葉に、彼女は少し照れたみたいに笑ってくれた。
以前なら、こんな風に自然に口にできない言葉だったと思う。それどころか、幸せっていうもの自体が理解できなかったと思う。けど、今は違うんだ。今は確かにこうしていられること自体が幸せだって違いなく感じる。二人でご飯が食べられて、二人で一緒にいられて、二人でこうやって寛いでいられて。
一緒にいるだけで嫌な気分になるとか、イライラするとか、もしそんな家族だったらこんな気持ちには絶対になれない気がする。だって僕は、自分の両親と一緒にいても全然、幸せじゃなかった。逆に言えば、一緒にいる人が、こういう風に感じられる人だったら、それはだいたい幸せなんじゃないかな。幸せって、その程度でいいんじゃないかな。
いつか沙奈子が大きくなって僕のところから出て行っても、こうして幸せな気持ちでいられた時間はずっと残るかもしれない。そして一緒にいてこういう気持ちになれる相手を見付けてくれたら、もうそれで十分だって思う。
はっきり言って決して幸せって感じじゃない生い立ちの僕たちだけど、世の中からは全然必要とされてる感じがしない僕たちだけど、そんな僕たちでも一緒にいたらこんな風に幸せを感じられるんだから、すごく不思議なんだよな。
って、二人だけでいる時は幸せを感じられるんだけど、外に出るとお互いなかなか大変だった。僕は仕事でそれなりにストレスを感じるし、沙奈子は石生蔵さんとうまく折り合いがつけられないでいた。だけど一緒にいる時間がそういうのを洗い流してくれてる気はする。一人の時は何も考えないことで乗り切ってきたけど、今は二人でいると気にする必要が無くなるって感じだ。外で嫌なことがあっても、ここに帰ってきたら全部チャラにできる。だから頑張れる。そんな感じかな。
だから別に何かイベントが無くても、どこか楽しいところに出掛けなくても、二人でいるだけで満たされてた。元々、二人とも人が多いところは苦手だっていうのもあるからね。すごく安上がりだなって正直思う。そのおかげで、今の収入でもそんなに問題なくやっていけてる気がする。土曜日も日曜日も、そんな感じで、買い物と図書館に出掛ける以外はのんびりと過ごした。勉強やって本を読んでテレビ視て、まったりとしてた。
でも、沙奈子がもっと大きくなってくると、きっといろいろお金がいるんだろうなあ。何だか世知辛いけど、それはまあ仕方ないのかな。沙奈子のためにお金を使うのは、むしろ嬉しいって感じてる。一人の時は別に趣味もなくて欲しいものもなくて結果的にお金が残るっていう感じだっただけで、目標も目的もない消極的な蓄えだった。けどそのおかげで今は助かってるんだから、何だか面白い。
月曜日。9月に入っても、学校での沙奈子の状況は、一進一退を続けてる感じだった。またちょっと沈んだ感じになったと思えば、水曜日にはまた普通に戻ってという感じで、先生も大変だなと思った。だから僕は少しでも沙奈子のことを支えてあげて、いつか石生蔵さんのヤキモチを受け流せるくらいになるように協力しようとも思った。それにこういうことは今後も起こるかもしれないし、いつも誰かが助けてくれるわけじゃないし、だからこそ助けてもらえてる今のうちに自分で対処できるようになるのが大事だと思う。
そして金曜日。今日もまた、水谷先生が経過報告に来てくれることになっていた。どういう報告になるかは分からないけど、沙奈子の様子を見てれば苦労してるんだろうなとは思った。だからあんまりあれこれ言わないで、お任せするのが一番だと考えてる。僕があれこれ言うときっと余計に大変になる気がする。それに何より、余計なことを言わずにお任せしても大丈夫だって感じられるからね。




