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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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三十二 沙奈子編 「訪問」

土曜と日曜は、午前一時間、午後一時間はそのままに、ちょっと趣向を変えて2年生の漢字の書き取りをやってもらった。さすがに掛け算ばかりじゃ飽きるかなとも思ったから。これまでにも何度か書いてもらった漢字については、かなりの割合で覚えてくれていた。やっぱりちゃんと勉強させてもらえなかったから知らなかっただけなんだと思った。この調子でやれたら、思ったよりも早く追い付けるかも知れない。


でも、追い付くことを目的にはしないでおこうと思う。小学校を卒業するまでの間に、小学校で習うことは大体理解してもらうことを目的にしてないと、分かってないのに次に行こうとしたり、焦ったりしてしまうかも知れないから。


とりあえず日曜の午後の分までが終わったその時、不意にチャイムが鳴らされた。誰だろう?。僕の部屋を訪ねてくる人なんて、郵便配達以外じゃほとんどいないのに。怪訝に思いながらドアスコープを見ると、見知った顔がそこにはあった。


塚崎つかざきさん?」


ドアを開けるとそこに立っていたのは、沙奈子のことで思い悩んでいた僕が、偶然、児童公園で出会って相談した、児童相談所の女の人だった。優しいお母さんという表現が一番ぴったりくる、いつもニコニコと笑ってる人だった。


「こんにちは。いきなりお邪魔してごめんなさい。近くを通りがかったものですから。沙奈子ちゃんはお元気ですか?」


そうか、沙奈子の様子を見に来てくれたのか。だから部屋に上がってもらって、ゆっくり会ってもらうことにした。


「ああ、沙奈子ちゃん。いい顔してらっしゃる。良かった。本当に良かった」


塚崎さんは沙奈子の顔を見るなり、そう言って口を手で覆った。その目は涙ぐんでるようにも見えた。


「それで、今日はどういったご用件でしょうか…?」


うちはミネラルウォーターしか置いてないからそれを出させていただいて、三人でテーブルを囲んだ。沙奈子の様子を見に来たのは本当だと思うけど、もしかしたら生活の様子とかも探りに来たのかと思った。僕がそんな風に身構えてたのを見抜いたように、塚崎さんは言った。


「そんなに緊張なさらなくても、沙奈子ちゃんとこの部屋の様子を見れば分かります。ランドセルがあって、遠足とかで使うリュックがあって、洗濯物が干されてて、夏休みの工作ですか?、それが飾られてて、何より沙奈子ちゃんがこんなに穏やかな顔をしてらして。初めて面会させていただいた時とはまるで別人のよう」


塚崎さんはそう言うけど、僕から見たら今の沙奈子は、ちょっと緊張してるようにも見える。それでも確かに、以前と比べると表情が柔らかくなってるのかも知れない。僕は毎日見てるからその違いが分かりにくいだけで。僕の前で笑ってる沙奈子の顔が普通になってたから、余計に緊張してるように見えるだけで。


「ところで山下さん。歯医者さんには行っていただいているようですね。やっぱり虫歯があったでしょう?」


その言葉を耳にした瞬間、僕は、ハッと思い出したことがあった。言われてみれば、沙奈子のことで何度か相談に行ってる時に、そんなことを言われた気がする。その頃は他のことで頭が一杯で忘れてたけど、もしかしたらラーメン屋でピンときたのは、そのことがあったからかもしれない。


「沙奈子ちゃん。面会の時に口の中を見せていただこうとしたんですけど、結局、見せてくださらなかったんですよ。ですからきっと虫歯があると思ったので言わせていただいたんです」


その言葉に、僕はまた落ち込んでいた。沙奈子が来てまだ一ヶ月くらいの時にそう言ってもらってたっていうのに、僕はそれをすっかり忘れてさらに三週間ほどもそのままにしていたんだってことに気付いてしまったからだった。よくそれで沙奈子の父親に対して腹を立ててられたなと、自己嫌悪で体が重くなる。


「それにしても、本当に大事にしてもらってるんですね」


塚崎さんが、沙奈子を見て微笑みかける。そして僕の方に向き直って、


「山下さん。彼女を引き受けてくださったのがあなたで、本当に良かったと思います。私がお会いするお子さんの中で、今の沙奈子ちゃんくらいいい顔をしてらっしゃるのはそんなにいらっしゃらないんです。残念なことですけど…。だから沙奈子ちゃんは本当に恵まれていると思います。これからも、この沙奈子ちゃんの表情が守られることを祈ります。もし何か困ったことがあった時には、どうぞ私達に相談してください。彼女を、よろしくお願いいたします」


そう言って頭を下げて、塚崎さんは僕たちの部屋をあとにした。


今日は日曜日だし、たぶん、沙奈子の様子を見に来ただけというのは本当だと思う。業務なら、二人一組で行動してると思うし。本当に、沙奈子のことを気にして来てくれたんだと感じた。これからもしかしてなにか困ったことがあった時、塚崎さんになら相談してもいいかって思えたのだった。




夏季休暇が明けて火曜日の昼。今日も伊藤さんと山田さんは、僕の目の前にいた。二人の夏季休暇も先週で、僕と一緒だったらしい。ただ、伊藤さんに、


「山下さんと沙奈子ちゃんも誘ってテーマパークとかとも思ったんですけど、私たち、沙奈子ちゃんにまだ警戒されてるみたいですから、それはもっと仲良くなれてからってことで」


って言われた。何だか気を遣わせてしまったみたいで申し訳なかった。でも、話の本題はそれじゃなかったらしくて、「それは置いといて」と顔を寄せて声を潜めて、


「実は、例の下着泥棒の家族の人が、被害を受けてしまったらしいんですよ」


とか言った。え?。被害?。被害って何の?。


僕がピンと来てないのを補足するかのように今度はまた山田さんが、


「犯人の弟さんが山下さんの家の近くに住んでたらしいんですけど、事件のせいで今の仕事を続けられなくなって、遠くに引っ越すことにしたらしいんです」


って。さらに伊藤さんが、


「それだけじゃなくて、その弟さんの娘さんが、沙奈子ちゃんと同じ学校、しかも同じ4年生らしいんですよ。その子も当然、転校することになるそうです」


…被害って、そういうことか。犯罪者の家族ってことで、そういうことになったってことか…。


これまであんまり考えたことなかったけど、そういうことって本当にあるんだな。近所に住んでるっていうだけならまだそんなに実感もない話だったと思うけど、犯人の姪に当たる子が、そんなことで転校しなきゃならなくなるとか、しかも沙奈子と同じ学校の同じ4年生の子がってことになった途端、すごく身近な事のように感じられた。犯罪を犯すっていうのは、そういうことなんだなって改めて思った。


本当に驚かされることばかりだ。沙奈子がいなきゃ、そんなことも僕にとっては他人事だったと思う。なのに今はそれがこんなに近い。不思議な感じだ。


でもそれにしても、伊藤さんも山田さんも、そんな噂、どこから仕入れてくるんだろう?。僕にとってはそれもすごく不思議だった。


でもそれ以上に、その話を聞いて、ちょっと気になることがあった。塚崎さんのことだ。あの時、塚崎さんは、『近くを通りかかったから』と言っていた。まさか、そのことと関係あるのかな…?。


関係あるかも知れないし、ないかも知れない。その辺りは僕にはどうしようもないからそれ以上考えるのはやめたのだった。


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