二百九十 玲那編 「家族の顔を見るということ」
波多野さんがどうしてすっきりしたような顔をしてるのか、僕には分かるような気がしてしまう。だって、僕も両親が相次いで病死した時、たぶん、同じ顔をしてたから。もう、完全に見限ってしまったんだ…。
もちろん完全に見限ったって言ってもそれなりに複雑な感情もあると思う。僕もそうだった。でも、そういうのを圧倒的に上回ってしまってるんだろうな…。
元には戻ることを期待しなくていいようになったと言うか、期待する必要がなくなって楽になったと言うか。
波多野さんはイチコさんや星谷さんや田上さんとこういう関係を築けて変わったんだとしても、それでも追いつかないくらいに根っこの部分が駄目になってしまってたのかも知れない。その点では、千早ちゃんはまだ間に合ってくれたのかも知れないけど…。いや、間に合っててほしい。あの子にまでこんな想いはしてほしくない。
実の家族はダメになってしまっても、波多野さんにはまだこういう場所があるから救われてるんだっていう気はする。だけどそういうのがない人はどうなってしまうんだろう…。
それと同時に、自分の子供が不穏なことを考えてても見て見ないふりをして表面上だけは上手くいってる風を演じてるとこうなってしまうんだっていうのも思い知らされた気がした。
波多野さんが言ってた。お兄さんは、上辺だけは人当たりが良くて活発そうに見えて好青年風だったって。だけど昔から性的なことについては不穏な部分があって、波多野さんがお風呂に入っているのに気付いてなかったふりして開けて見たりとか、波多野さんの下着がお兄さんの部屋から出てきたりとか。
原因は覚えてないそうだけど兄妹ケンカになってしまった時なんて、ズボンと下着を脱がされて足を広げさせられたり、馬乗りになって胸を触られたりしたこともあったらしい。
ご両親はそういうのを男の子ならあって当然の一時的なことと思って、波多野さんが嫌がってるのを伝えてもロクに耳を傾けてくれなかったって。波多野さんはご両親のそういう態度も許せなくて、信じられなくなってしまったそうだった。ううん、それどころか、祖父母も含む実の家族の誰も信じられなかったって。
「そりゃあんな親だったら息子だってあんなのになるよな!」
とも言ってたりした。
僕も、その言葉に対して『そうじゃない』とは言えなかった。思い当たることがあり過ぎて…。僕の両親も、子供のことなんて実は見てなくて自分にとって都合の良い部分だけを見て『いい子いい子』ってしてただけだったから。それで兄が、自分の子供も捨てて逃げるような奴になってしまったから…。
自分の子供がいつでも自分に都合よく育ってくれるなんてありえないんだっていうのを、僕は改めて思い知らされた気がした。子供が親の前だけでいい顔をしてるのを真に受けて、本当はどういう顔を隠し持ってるかっていうのを見ないふりをするのっていうのがどれほど怖いことかっていうのを教えられてる気もした。
だから僕は、沙奈子のことをよく見ようと思った。あの子はすごくいい子だ。今日のギャラリーの喫茶スペースでの一件みたいに機転を利かせることもできる子だっていうのも分かった。
だけど同時に、危ない部分も間違いなく持ってる。児童相談所でのこともそう。あの子は、パニックになったら自分の体さえ容赦なく傷付けられる衝動も秘めてるんだ。そういうのも分かった上で、僕はあの子が何を感じて何を考えているのかというのをちゃんと見守りたい。機転の利く利発な部分だけを見て危ない部分にはただ目を瞑るんじゃなくて、その両方をしっかりと受け止めてあげたい。
もし、なにか苦しいことがあるのなら、辛いことがあるのなら、パニックを起こすくらいに追い詰められる前に僕か絵里奈か玲那にちゃんと話してほしい。そういうことを話せる家族でありたい。そういう話に耳を傾けられる家族でありたい。
沙奈子が、波多野さんがされたみたいなことを誰かにされたって言ったら、僕はそのままになんてしておけない。それがどうしてそうなったのかっていうのをちゃんと確かめて、同じことをさせないようにしたいって思う。波多野さんのご両親が、波多野さんに相談された時にそういうのをきちんとしてたら、波多野さんのお兄さんにそういうのは良くないことだってしっかり分からせてあげられてたら今度のことはなかったのかも知れないとも思ってしまう。
たらればを言っても仕方ないのは分かってる。だけど、そういうのが起こる前なら、こういうことを参考にして手を打つこともできるんじゃないかな。同じ失敗をしないようにもできるんじゃないかな。僕はそういう風に活かしたいとも思うんだ。うちには男の子はいないけど、絵里奈と僕の間に今後、子供ができないとも限らないから。
本当に、親っていうのは責任重大だって感じた。でもそれと同時に、途方もない喜びもあるっていうのも感じる。だから親をしてられるんだなって思える。
沙奈子も、玲那も、二人に出会えたことは、二人の父親になれたことは、僕にとっては綺麗事も建前も抜きにして素晴らしいことだったって本気で思ってる。幸せなことだって感じてる。だからこそ、良い面も悪い面もどちらもひっくるめて受け止めてあげたいんだ。
でもそれは同時に、僕にとっても必要なことなんだ。僕を必要としてくれてる人の存在が。
そしてこうやって毎日毎日、みんなで顔を合わせていろいろ話し合うことも、僕がいろんなことを確認するために必要なことなんだって思う。普通だったらこんな風に毎日毎日話し合うなんてさすがにできそうにない。だけど今は、この時間が大事なんだって気がしてる。
たぶん、他のみんなもそうなんじゃないかな。こうやって顔を合わせて言葉を交わすことで自分を支えてるって気もする。逆に、こうして顔を合わしてないと不安なんだきっと。自分が一人じゃないっていうのを、自分の気持ちを打ち明けられる人が傍にいてくれるっていうのを毎日確認しないと不安なんだ。だから毎日続けられるし、続けたいんだ。この集まりが無くなることが怖いんだ。少なくとも今はね。
玲那のことは、後はもう判決が完全に確定するのを待つだけだ。来週中にもそれは分かる。検察側が控訴しなければいいだけだから。不安もあるけど、今は待つしかない。万が一控訴されたとしても準備は抜かりないと星谷さんが言ってた。それでももしかしたらっていうのがあって、僕たちは不安なんだと思う。不安だからこうしてみんなに会いたくなる。
それに加えて、波多野さんのこともある。波多野さんの様子に変わりがないのか毎日確かめないとやっぱり不安になる。こうやって顔を合わすのは、そういう意味もあると思う。大切な人の無事を確認すること。顔を見て様子を確かめること。
ちゃんと顔を見るというのは大事なことなんだと、僕は改めて思ったのだった。




