二十九 沙奈子編 「責任」
夕方4時過ぎ。沙奈子の工作が完成した後、ボンドが乾くまで迂闊に触れないというのもあって、僕たちは図書館に来ていた。明日から金曜日まで、沙奈子は家で一人過ごすことになる。そのための暇潰しとして、本を借りられるだけ借りようと思ったのだった。いわゆる児童文学の本がいいかもしれないと、見繕う。
いろいろ候補になりそうなものを並べた中から、最終的には沙奈子自身に選んでもらった。動物と話ができる女の子が主人公のシリーズで、その図書館に有ったもの5冊だった。
「それでいい?」と僕が聞くと、「うん」と頷く。
そう言えば沙奈子も、テレビに動物が映ると熱心に見てた気がする。動物に興味があるのかもしれないと思った。それを持って家に帰ると、ボンドもかなり乾いてる感じだったから貝殻の家を机の上に移動させる。これで自由研究というか工作もOKだ。と思ったら、その夜、沙奈子はもう一枚の絵日記を書き始めた。見たら工作を作ってる時のことだった。彼女にとっては、一緒に工作を作ることも絵日記に書きたくなるくらいの特別なことなんだろうな。
って、そう言えば、これで沙奈子の夏休みの宿題、歯磨きチェックシートを別にしたらもう終わりだよな?。
「夏休みの宿題、終わりだね」
と言った僕の言葉に、彼女はちょっと自慢気に笑いながら頷いた。
その時、点けっぱなしだったテレビのニュースで、女性ものの下着を盗んでた男が逮捕されたというのが流れた。ハッと思って見てみると、その容疑者の住所はここからそんなに離れてないところらしかった。テレビでは『女性ものの下着』としか言ってなかったけど、証拠品として押収されたっていう下着は、明らかに子供用らしいのが多かった気がする。しかも、以前無くなった沙奈子のパンツに似た感じのも映ってた気がした。一瞬だったから、そんな気がしたっていうだけだけど。
もしこいつが盗んだんだったら、捕まって良かったって思った。43歳の会社員だということだった。これで仕事を失うことになるんじゃないかと思ったら、本人はそれでも自業自得だとも思うけど、こいつの家族がもっと情けない思いするだろうなって気がした。
だけど同時に、もし僕が何か事件を起こしたりして、もし僕の両親がまだ生きてたとしたら、どんなに迷惑が掛かったとしても、申し訳ないっていう気にはならないだろうなとも思った。それどころか、ざまあみろって思ってしまうかも知れない。そういうのは良くない考えだって自分でも思うけど、迷惑かけて申し訳ないって思えない親っていうのもいるんじゃないかな。
ふと思う。沙奈子にとっては、どうなんだろう?。彼女は、実の父親である僕の兄を恨んでいたりするんだろうか?。恨んでたとしても全然不思議じゃないと思うけど、普段の彼女の様子を見てると、あまりそんな感じはしない。それとも、まだ幼いからそういうことがあまり分かってなくて、もしかしたらこれからだんだんと、自分が親に捨てられたんだっていう実感が湧いてきて、それで恨んだりするようになるんだろうか?。
母親に至ってはどこの誰だかも分からないから具体的にイメージもできないけど、父親については正直、恨まれても当然だって気がしてしまう。そういう恨みを自覚した時、沙奈子はどうするんだろう?。復讐とか考えてしまうんだろうか?。臆病で、他人の前ではおどおどしがちな今の彼女からはピンとこないけど、そうなっても別に珍しくはないんだろうな…。
それと同時に、僕は彼女にとってどういう存在になるんだろう?。法律上は叔父で保護者で同居する家族な僕を、彼女はどう思ってくれるんだろう?。
僕は、沙奈子にとってどういう存在になれるんだろうか…?。
将来、彼女が両親を恨んで復讐とか考えたとしても、僕がそれを止めてあげられるだろうか?。僕は彼女にそんなことをさせたくない。兄のことは許せないって思うけど、だったらいっそ僕があいつを……。
いや、駄目だ。それも駄目だ。そんなことしたら、結局、沙奈子が辛い思いをすることになる。実の父親に捨てられて、育ての親は犯罪者とか、どんな罰だよ。彼女のことを想うんだったら、余計にそんなのは駄目だ。
じゃあ、どうすれば…。
とか思ったけど、そうだよな。もうあいつのことは死んだのと同じということにしようって決めたんだ。なんか、警察もあいつのことを探してたらしくて、沙奈子が来る前に何度か話を聞かれたことがあったけど、そんなに大したことじゃないみたいでそれっきりで僕も忘れてたくらいだし、僕が行方不明者ということで届け出ても真剣に探そうって感じじゃなかったし、沙奈子に対する保護責任者遺棄事件として刑事告訴すればもっと本腰入れて探せるみたいなことも言われた時も、そこまで大袈裟にしたくないって思ったし、何より彼女の父親が犯罪者っていうことにするのがためらわれた。
ネットでちょっと調べたところによると、7年間生死不明が続いたら、失踪宣告っていうのを受けて、法律上、死亡したことにできるらしい。あいつは沙奈子を捨てていったんだから、いまさら僕たちのところへ顔を出せるとは思えない。何しろ、前回、あいつが僕に沙奈子を押し付けて行ったのが10年近く前の話だ。しかも両親の葬式にさえ顔を出さないくらいだし、7年くらい余裕だと思う。だからいっそ、本当にもう一生姿を現さないで欲しい。って言うかそもそも顔なんか出せないだろ。あいつは性根からしてそれができない奴だから逃げ回ってるんだもんな。
それに僕はもう、沙奈子と養子縁組をして本当に親になろうと考え始めている。それもちょっとネットで調べた。実の親との親子関係そのものを消滅させられる特別養子縁組は、基本的には子供が6歳未満でないと駄目で、ある条件を満たすと8歳未満までは可らしいけど、僕のところに来た時点でそのどちらもアウトだったから、普通養子縁組っていうのをすることになると思う。ただ、その辺りは、沙奈子自身の気持ちも確認した上でっていう気もしてる。彼女がもっと大きくなって、高校生くらいになって、自分の意見をはっきり言えるようになって、それで彼女が望むなら、そうしたいとも思ってる。
だけど、実はちょっと不安もある。僕が大学生の頃にはもう親なんていらないと思ってたのと同じように、いまさら親なんていらないとか言われたらどうしようなんてことも思ってしまう。
でもまあ、そう言われたらその時かな。たぶんショックに感じる気もするけど、本人がそれでいいって言うんなら、僕もそれを認めたい。彼女の人生そのものに関わることは、彼女が決めるべきなんだから。
それに…つい昨日、彼女がこれから人間関係を築いていくうえでたぶん結構重要なこの時期に、彼女に相談もなく僕が勝手に決めて多大なマイナスの影響を与えたかもしれない失敗をしたばかりだし…。
ああ、これも当分引きずりそうだなあ…。
そのことを思い出してうなだれた僕の額に、何かが触れる。ハッと顔を上げると、沙奈子が心配そうに僕を見ていた。熱でもあるのかと思って、手の平を当ててくれたらしい。しかも…。
「だいじょうぶ…?」
って…。
つくづく、あいつはバカだ。こんないい子を捨てるとか、どうしようもないバカだと思う。でも同時に、この子がこういうことを言えるようになったのは僕のところに来たからかもしれないと思うと、自分の責任の重さも実感させられるのだった。
 




