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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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二百七十七 玲那編 「失うものがない強み」

「あたし、自分が盗撮されそうになったり乱暴されそうになったこと、警察に話そうと思う。あいつがどれだけロクでもない奴かちゃんと分かってもらいたいから」


不意に波多野さんがそう言って、みんなは息を呑んだ。


別に今さら波多野さんまでそういうことをしなくても、今回のことは被害者の女性がそもそも告訴を取り下げるつもりも示談に応じるつもりもないっていうのは分かってるし、何より決定的な物証があって女性に乱暴したという事実は覆らないから、お兄さんが何を言ったって心証が悪くなるばっかりでどうしようもない状態だった。


だからお兄さんの事件を担当してる弁護士の人も、とにかく反省してる様子を見せることで少しでも刑を軽くする方向で弁護するという方針を決めて準備をしてたのに、当のお兄さんが容疑を否認し始めてすべて一からやり直しという状態でもあった。波多野さんは、それが許せなかったらしい。加害者の家族という以上に、被害者の一人として。


「どうせもう、あたしの家は滅茶苦茶で、家族もバラバラで、失うものなんか何もない。あたしは今、心の底からあいつをぶっ殺してやりたいと思ってる。でもそれができないんなら、せめてあたしの手で引導を渡してやりたいんだ!」


テーブルの上に着いた手をギリギリと音がしそうなくらいに握り締めて俯いたままで、彼女は呪いの言葉を唱えるようにそう言った。その様子を見て、僕はこれが被害者の姿なんだって思った。加害者のことを絶対に許せないと思わずにいられない、被害者の姿なんだって。


誰も、何も言えなかった。山仁さんは腕を組んで目を瞑って、イチコさんも田上さんも俯いてしまって、星谷ひかりたにさんも唇を噛み締めて……。


どれくらい沈黙が続いたんだろう。長いような短いようなそれの後、星谷さんがキッと鋭い目を波多野さんに向けて言葉を発した。


「…分かりました。カナにその覚悟があるのでしたら、私もそれを前提にサポートします」


こうして、波多野さんもお兄さんが起こした事件の被害者として、お兄さんを刑事告訴する準備を始めることになった。そうなると、今回の事件は、波多野さんのお兄さんによる連続婦女暴行事件ということになるのか…。実の妹まで襲ったということになったら、またマスコミやネットが騒ぐかな。


正直この事件については、僕の家族の中で起こったことじゃないから、どこか他人事のような距離感があるのも事実だった。玲那の事件で感じたほどの苦しさとか辛さといったものはあまりない。人間っていうのはそういうものだっていうのも感じた。ほんのちょっとの差で、自分のことか他人事かに分かれてしまうものなんだって。


だけどそれは当たり前なのかもしれない。何でもかんでも自分のこととして痛みを感じてたら、正気を保つことも難しくなってしまう。これがもし、沙奈子の身に起こったことなら僕はとても正気でいられる気がしない。きっと今の波多野さんみたいに呪いの言葉を吐いてしまう気もする。でも、そうじゃないんだ。薄情だって思いながらも、これはよその家庭の事件なんだっていう実感もあった。


ああ、そうか、そういうのも必要なんだ。よその家庭のことだからある程度冷静でいられる。だから支えることもできる。冷静だからこそできることもあるんだ。


「波多野さん。波多野さんは、玲那のことで一緒に怒ったり悲しんだりして支えてくれました。僕はそのことにすごく感謝してます。だから今度は僕も波多野さんを支えたい。一緒に頑張りましょう」


イチコさんと田上さんに背中をさすられながら目に涙をいっぱい溜めた波多野さんに向かって、僕はそう声を掛けてた。僕には山仁さんのような人脈や星谷さんのような力もない。できることなんて何もないかも知れない。でも、見て見ぬ振りもしたくないんだ。


人は、こんな風にして支え合うのかもしれない。もしそれで玲那のことで受けた恩を返すことが少しでもできるならと、僕は思った。


「私も応援します。波多野さん!」


スマホから、絵里奈の声も聞こえてきた。きっと玲那もテキストメッセージを送ってくれてたんだと思う。僕たちの方に視線を向けた波多野さんは、もう喋ることもできない感じで何度も頭を下げてきたのだった。




そんな感じで、最終的には波多野さんのことをみんなで支えるってことで今回の話は終わった。沙奈子を連れて家に帰る時も、不思議と玲那の時のような胸を締め付けられるほどの感じはなかった。それに対してやっぱり申し訳ない気もどこかでしてる。だけどそのことを気にし過ぎて僕が追い詰められてしまったらダメだとも思う。


彼女のために直接助けになってあげられる力を持たない僕は、ただ彼女が一人じゃないってことを、家族がバラバラになってしまってもまだ見捨てられてないっていうのを実感させてあげるのが役目なのかもしれない。と言うか、それしかできないのか。


家に着くと、すでに8時を回ってた。真っ先にお風呂を沸かすためにスイッチを入れてからすぐにノートPCを立ち上げてビデオ通話を繋げた。


「ただいま」


四人でそう挨拶を交わして、お風呂が沸くまでの間に、沙奈子は宿題の日記を書いてた。


沙奈子の日記には、玲那の事件のことは一切書かれてない。書きたくなかったのか遠慮したのか分からないけど、玲那が入院してたことも意識を取り戻した時のことも書かれてなかった。全部、事件に繋がる内容だからなのかな。海に行った後で書いた日記に絵里奈と玲那のことが全く書かれてなかったみたいに、自分にとって辛すぎると言うか認めたくないことには触れないっていうクセがついてるのかも知れないと思った。


それがどういう意味を持つのか、よく分からない。日記には書かないからってこの子が辛いこととか苦しいこととかからただ目を背けてるのかって言ったらそうでもないと思う。だって、実際に拘置所まで玲那の接見に行ったり裁判を二回とも出席したりってするくらいだから、逃げたいと思ってるわけじゃない気もする。この辺りは、この子自身が自分で説明できるようになるまで分からないのかなあ。


今日の日記には手作りハンバーグを作ったことを書いてた。それが終わると今度は莉奈の服作りを始める。30分ほどしてお風呂が沸くと、今日も二人でお風呂に入った。ゆっくりとあったまって嫌なものをお湯に流してしまいたいと思った。


波多野さんのことはこれからどうなるか、僕には全く分からない。ただ本当に、結果がどうであれ早く決着が着いてほしいと思った。でも、これからまたお兄さんを刑事告訴するとなったら、さらに時間がかかるのか…。


僕にはできそうにないことだって思った。もうすでに別の事件で逮捕されてるのに、この上なんて。だけどそれはあくまで僕の感覚だ。波多野さんは僕とは違う。そしてそれはたぶん、僕が被害者じゃないからそう思うんだというのも感じたのだった。


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