二百七十五 玲那編 「支え合い」
波多野さんは、自分もそんな目に遭いながらも、玲那がされたことで怒ってくれてた。本来なら、波多野さんの方が労わられるべきはずなのに。
本当に、どうして波多野さんみたいないい子がこんなことに巻き込まれなきゃいけないんだろう…。その理不尽さに、僕も涙が込み上げてくるほど悔しいと思った。
掃除をしながら洗濯をしながら、僕はついそんなことを考えてた。それと同時にふと頭をよぎることがあった。そう言えば今ごろ玲那は引っ越しをしてるのかな。僕も手伝いたかったけど、沙奈子を一人にはできないし、佐々本さんが念の為に立ち会ってくれるということだったから、お任せすることになったんだ。
沙奈子が午前の勉強してる間も、いろんなことが頭をよぎってた。そこに、冷凍のお惣菜を届けに来た宅配業者が来たりしつつ、沙奈子と二人きりの時間は過ぎていった。
勉強が終わって一息ついてると、また玄関のチャイムが鳴らされた。星谷さんと大希くんと千早ちゃんだった。
「沙奈ちゃ~ん」
いつものようにドアが開くなり千早ちゃんが沙奈子に抱きついてきた。笑ってるっていうほどじゃないけど、沙奈子も嬉しそうに表情が柔らかくなってるのが分かった。
そう。沙奈子は最近、あまり笑わなくなってたんだ。玲那の事件が起こったばかりの頃は当然ショックだったせいもあると思う。ただ、玲那が意識を取り戻してからも、拘留されてるのに逆に僕たちを励ましてくれるくらいに明るく振る舞ってくれるようになってからも、以前のようには笑ってくれなかった。
だからって、辛そうにしてるかって言ったらそういうのとも違う気がする。笑顔はなくても落ち着いてる感じはするし、体調が悪い訳でもない。ただやっぱり、家族が完全じゃないことで笑うことに何か遠慮みたいなものを感じてるのかなって気はしてた。はっきりした根拠がある訳じゃないけど、本当に何となくそんな気がするって言うか…。
それともう一つ、気になってることがある。玲那の事件以降、沙奈子のおねしょが止まってるってことだ。それはつまり、幸せ過ぎて逆におねしょするようになってしまったころとは違ってしまっているという何よりの証拠だと思う。もちろん、今が幸せ過ぎるくらい幸せっていう状態じゃないのは言うまでもない。そのせいでおねしょが止まってるんだとしたら皮肉としか言いようがない。
だけど、この子はしっかりと前を向いてるんだ。落ち込んで俯いたりはしてない。泣いたりすることはあっても、それでもちゃんと顔をあげてる。本当に強い子だと思う。
そして、大希くんと千早ちゃんは、そんな沙奈子とも以前と変わりなく友達でいてくれる。すごく大切にしてくれてるのを感じる。だから前を向いてられるっていうのもあるのかな。僕だけじゃなく、みんながこの子を支えてくれてるんだっていうのを実感する。ホットケーキみたいに毎週じゃないけどこれまでにも何度もやってきた手作りハンバーグ作りと同じように、三人で仲良くハンバーグのタネを作ってる姿に、僕は改めて胸がいっぱいになった。
そんな僕に、星谷さんが話し掛けてくる。
「山下さんから見て、沙奈子さんの様子はどうですか?。何か心配なこととか不安なこととかないですか?」
って、それ、もう高校生の子が聞くことじゃないよね?。児童相談員の塚崎さんあたりが聞いてきそうなことだよと驚かされながら、でもこれが星谷さんなんだなって感心もしつつ、
「今のところは大丈夫だと思います。ありがとうございます」
と応えてた。僕のその言葉に、星谷さんが少しだけホッとしたような顔をした気がした。それが年相応のあどけなさも感じさせた。いくらすごい子でも、星谷さんも本当は辛かったりするのかもしれないなって思ってしまって、頭が下がった。いつか今回の恩返しができたらとも思った。そうだな、大希くんとの恋を応援するとかっていう形ででも。
なんてね。
ただその前に現実的な話として、
「弁護士費用の立て替えの件ですけど、いくらお支払いしたらいいでしょう?」
と、せっかくだからちゃんと確認しておきたいっていうことで聞かせてもらった。すると星谷さんは間髪入れずに、
「それについては現在集計中です。最終的な金額については書類にまとめてお渡ししますが、私としては分割でお支払いしていただければと考えています」
って、その辺の営業マンよりよっぽどしっかりした返答じゃないかな。本当にすごいよ。でもそれと同時に申し訳なくなってしまって言ってしまった。
「分割で?。僕としては一括でもいいですよ。この上そこまで甘えるのは申し訳ないですし…」
けれど星谷さんは首を横に振った。
「正直に申し上げて、今回のことは決して安くない金額になってしまいました。ですから無理せず分割でいきましょう。蓄えを大きく削るのは得策ではありません。それに私は決して自分が損をするようなことはしません。なので分割でも大丈夫なんです。なお、私は業務としてやってる訳ではありませんから分割手数料や金利はいただきません」
はあ…。そうですか…。
もう本当に言葉もなかった。玲那のことはすごく丁寧に、しかも実のお父さんの遺産の相続放棄とか今回の引っ越しの立ち合いとかも併せてやってもらってるから費用が高くなるのは当然だと思った。最終的にいくらになるのかは少し不安だけど、分割にしてもらえればボーナスで少し息を吐くこともできると思うし、僕の方としても助かるのは正直なところだった。
それにしても、とにかくすごいとしか言葉が出ないよ。さすがに特許料だけで年収一千万以上稼ぐような人は次元が違うってことなのかなあ。僕なんて100年かかったって同じことができそうな気がしない。こんな人と知り合いになれるなんて、これも沙奈子が呼び寄せてくれた縁なんだろうな。
そうか、そう考えると沙奈子もすごいのか。そうだよな。僕はそんなすごい子の父親になれたんだ。これからも気を引き締めて恥ずかしくないようにしなくちゃいけないって気がした。
あとそれから、今日も夕食の後に山仁さんの家に集まることになってるけど、そこでは僕たちのこと以上に、これからは波多野さんのことが主に話し合われることになると思う。僕に何ができるかは分からないけど、そこに加わって僕も波多野さんのことを応援したいと思ってるってことを伝えたい。玲那のことを支えてもらったんだから、そのお返しがしたいんだ。
そういう点でも、玲那の件がスムーズに進んだのは本当に良かったって気がする。懸念材料が減るのはいいことだよね。これからも大変なことはあるはずだけど、それでも波多野さんに比べればきっとずっとマシだ。だから今度は僕も支えたいんだ。
ああ、そうなんだ。こうやってお互いに支え合うんだなと改めて感じたのだった。




