二百六十五 玲那編 「逮捕拘留」
実は土曜日、山仁さんのところで集まる前に玲那に会いに行った時、体力もかなり回復したし、傷についても後は通院で経過を見れば大丈夫ということで、明日にも退院できるという話が病院側からあった。それはつまり、いよいよ玲那の逮捕拘留の時が迫ったということでもある。でもそれ自体はいずれあることだって分かってたし、玲那の実のお父さんの逮捕の方がどちらかと言えば大きな衝撃だった。
それに、僕が一緒にいてあげられるときにそういうことになるのなら、その瞬間まであの子の傍にいてあげられるし。
あの子が警察に連れて行かれるところを見るなんて辛いことだと思う。頭の中で思い浮かべるだけでどうにかなりそうな気分にもなる。だけど僕はそれでも見届けてあげたい。そのことを玲那に伝えた時、彼女も嬉しそうに頷いてくれた。
しかも、玲那自身は不思議なことにそんなに不安は感じてないって言ってた。普通ならもっと取り乱してもおかしくないはずなのに、本当にすごい子だと思った。それは、あの子自身が自分の罪と向き合う覚悟を決めたというのもあるし、加えて権藤さんや権藤さんといつも一緒にくる島渕さんっていう刑事さんとも仲良くなれて、権藤さんたちに協力するためって思えてあまり怖いと感じなくなったってことだった。弁護士の佐々本さんも付き添ってくれるそうだし。
それにしても、秋嶋さんたちのこともそうだけど、玲那は人と仲良くなるのが上手いなあ。
あの子がそんな風になれたのも、本人によるとアニメのおかげもあるって言ってた。アニメのキャラの言動を参考にして辛いこととか苦しいこととか不安なことを茶化すようにしてたら少しだけど気持ちが楽になるのが分かってそうしてるうちに、自然と身に着いてしまったらしい。それが、絵里奈や香保理さんと出会ってからそんなに時間もかからずに劇的に変われた秘訣でもあったらしかった。
なるほどそういう風に参考にすることもできるのか。僕にはない発想に、あの子のすごさを改めて感じたりもした。
そして、そういう風にして自分の過去と向き合おうとした玲那を絵里奈や香保理さんが受け止めてくれたからこそそれができたというのもありそうだ。
すごいなあ。やり方は決して一つじゃないっていうのも分かる気がする。僕には僕のやり方があって、玲那には玲那のやり方があって。
だけど、玲那が言ってた。
『私が秋嶋さんたちや権藤さんと仲良くなれたのは、お父さんのおかげなんだよ』
って。そう言えば前にも言ってた。以前は男の人が怖かったけど、本当は今でも怖いけど、僕と親しくなってからは、『私が知ってるような男の人ばかりじゃないって思えるようになった』というようなことを。あの子の過去を知ってからそれを思い返すと、より一層、その言葉の重みを感じる。
自分を弄んで苦しめた男たちや大人たちを基準にしてそういうのが作ってるんだと思って見る社会と、そうじゃない人もいるんだと思って見る社会とじゃ確かに見え方も違うよね。
そしてそれは僕も同じだった。山仁さんや、沙奈子の担任の水谷先生と出会ったことで他人を信じることができるようになったっていうのは間違いなくある。そうして力を借りることができるようになったことで、僕が知ってる社会と言うか世界は大きく変わった。それと同じことが玲那にも起こったんだというのは分かった気がした。
やっぱりあの子は自分で自分を守ってる。自分の人生を切り開いていってる。大きくつまづいたかもしれないけど、あの子が抱えていたものの大きさからしたらむしろ、本当に取り返しのつかないことにならずに済んだのは幸運だった気さえする。
だから待ってる。あの子が僕たちの家に帰ってくることを待ってる。何年でも。そう思えてたからか、翌日の日曜日の昼過ぎ、僕たちが見守る前で手錠が掛けられ、権藤さんたちに連れて行かれる時も、自分でも驚くくらい冷静に見守ることができた。
何より、当の玲那自身に悲壮感みたいなものがまるでなかったし、権藤さんもすごく彼女のことを気遣ってくれてるのが感じられて、まるで本当にちょっと研修旅行か何かに行くような日常の一コマに過ぎないって印象さえあった。実際には、とても大変なことのはずだけど。
そのせいかもしれない。僕たちと一緒に玲那を見送った沙奈子も落ち着いていられたのは。
「おねえちゃん、帰ってくるもんね?」
そう問い掛ける沙奈子に対し、僕は自信を持って「もちろん」と答えることができた。それを聞いて、沙奈子も安心したように穏やかな顔になった。
ただ、玲那のことを表面的な部分でしか知らないマスコミや野次馬は、手錠をタオルで隠し、頭からジャージを被って顔を伏せて病院から出ていくあの子のことを、好奇心か何か分からないけど、とても『いい顔』とは言えない表情で見てた。本音を言わせてもらえるなら、はっきり言って醜いと思った。
惨めな女を見下して蔑んで『自分はここまで落ちぶれてない』っていう優越感に浸ろうとしてる姿に見えた気がした。もちろんそれは、玲那の親である僕の先入観がそう見せただけっていう可能性があるのは分かってる。実際、そういう部分も大きいんだと思う。でも少なくとも、決して人として美しい姿だとは思えなかった。
こうして、実に呆気ない感じで玲那の逮捕は行われたのだった。
どこか拍子抜けしたみたいな感じもしつつ家に帰った僕たちは、改めてあの子が帰ってくるまでの間、自分たちの家を、あの子が帰ってくる場所を守ることを互いに誓い合っていた。いつもは泣き虫の絵里奈も、今日は泣かなかった。最後まで泣かずに玲那を見送ることができた。これは終わりじゃない。あの子が帰ってくるのに必要な手順なんだっていうのを感じることができたらしかった。
夕食を終えてから、僕たちはまた山仁さんの家に集まって、玲那が逮捕されたことを報告した。波多野さんの方が僕たちよりもよっぽどショックを受けてた。俯いて涙を流して、「ちくしょう…、ちくしょう…」って何度も繰り返した。あの子のために泣いてくれる彼女に対して、素直に感謝の気持ちが湧いてきた。
山仁さんたちも辛そうな顔をしつつも、さすがに冷静だった。星谷さんは、
「すぐに保釈請求はされますので、認められるかどうかはまだ分かりませんが、保釈金の用意はしておいていただければと思います」
と、毅然とした態度でそう言った。でも、言い終えた後で唇を噛み締めるのを僕は見逃さなかった。星谷さんはこの場における自分の役目を演じてくれてるけど、やっぱりショックを受けてるんだなって感じた。
その後、結論としてはすぐの保釈請求は認められなかった。逃亡や証拠隠滅の可能性は低くても、事件の時に自殺を図ったことが懸念材料になったらしかった。だから警察の目の届くところに留め置くべきっていう配慮が働いたみたいだった。




