エピローグ
今振り返ってみると、僕の人生はすごく幸せだったと思う。いろいろ大変なこともあったけど、そういうのも今にして思えば結局はいい方向に動いたと言える気がする。
僕は今、こんなにたくさんの家族に囲まれてる。
沙奈子、玲緒奈、航。僕の三人の子供たちと、その子供と、その孫とで、十人もいる。今ここには来られてないけど、他にもこの倍以上の家族がいる。本当にすごいことだと思う。
こうしてベッドに横になったままもう何日経ったのかな……?。いや、何週間か……?。何ヶ月…じゃないな。それが分からない程はボケてもいないはずだ。
絵里奈も玲那も、ちゃんと見送ってあげられた。二人を残していくのは嫌だったから頑張ったつもりだけど、我ながら大したものだと自分を褒めてあげたいよ。
特に玲那は、寂しがり屋で甘えん坊だったからな。僕が傍にいないとダメだったもんな。
そして絵里奈には、本当に支えてもらった。彼女がいなかったら、僕は四人も子供を育てられなかった。彼女も残していきたくなかった。
でも、ようやく僕の番が来たようだ。何故か分かる。もうすぐだって。
不思議と怖くはない。それはたぶん、こうやって家族に囲まれてるからっていうのもあると思う。だけどそれだけじゃない気もするんだ。何て言うか、僕にできることを精一杯やってこれたっていう満足感があるからかな。その上で、体ももう満足に動かせないから、
『そろそろ終わってもいいかな』
って気分にもなれてる感じかもしれない。
そんな僕を、沙奈子は優しい目で見詰めてくれてた。ずいぶんシワも増えてすっかりお婆ちゃんになっちゃったな。僕のところに来た時には、あんなに小さな女の子だったのに。ああでも、当然か。あれから六十年だもんな。沙奈子も確か70歳か。孫もいる本当のお祖母ちゃんだもんな。
ふと自分の体に意識を向けると、もう足の感覚がない。手の指先の感覚もほとんどなくなってる。だけどそれは、決して自分がなくなっていく感じじゃなかった。それよりも、何て言うか、そう、必要のなくなった部分が剥がれ落ちて、小さくなっていってるっていう感じかもしれない。体がどんどんと小さくなって、成長して大きくなって身に着けてきたものが必要じゃなくなって、幼くなっていってるような感じって気がする。
僕が身に着けてきたもの、まとってきたものはすべて、子供たちに受け継いでもらった。だからもう僕には必要ないんだ。その必要じゃなくなった部分が剥がれていって、僕は、ただ純粋に僕へと戻っていく。僕という一人の人間に、赤ん坊に、胎児に、そしてそれ以前へと戻っていこうとしてるんだ。僕として生まれてくる以前へと。
そうか…、これが<死>か。死は、必ずしも消滅じゃないんだな。こういうのって、還元って言うんだっけ……?。僕が僕になる以前だったものに戻っていくんだ。
ああ、いよいよだ……。
沙奈子…、君に会えてから、僕の本当の人生が始まった気がする。僕は君と一緒に育ってきたんだって思う。僕が君を育てたんじゃない。君が僕を育ててくれたんだ。
ありがとう…、本当にありがとう……。僕がこんなに幸せなのは君がいたからだって僕のすべてで思う。だから泣かないでほしい。いや、そうじゃないかな。泣いてもいいけど、笑っててほしい。最後に見る君の顔がつらそうな泣き顔なんて、僕もつらいよ……。
なんだか暗くなってきたな…それに眠くなってきた……。じゃあ、僕はもう寝るからね……。
おやすみ…、僕の愛しい娘…僕の大切な家族…みんな…みんな…ありがとう……。
「13時56分、ご臨終です…」
医師の言葉に、その場にいたほぼ全員が泣いていた。さすがに医師と看護師と、意味が理解できない幼い子供たちはのぞいてだけれど。でもその泣き顔は、決してつらそうなものじゃなかった。つらそうな顔で送り出したくなくて、みんな少しだけ笑っていた。笑いながら泣いていた。
「じいじ、ねちゃったの?」
三歳くらいの女の子が、そう聞いてきた。その顔は誰かに似ていた。すごくよく似ていた。その子は、山下沙奈子に瓜二つだった。でも、山下沙奈子とは、決定的に違っている部分もあった。それはその子が、とても穏やかで柔らかい表情をしていたということだ。山下沙奈子がその子と同じ頃には求めても求めても決して得られなかったものすべてを持っているのが分かる表情だった。
そんな孫を、彼女は、山下沙奈子は優しく見つめた。
「そうだね。曾祖父ちゃんは、いっぱいいっぱい頑張ってきてくれたから、ゆっくりねんねするんだよ」
彼女の言葉に、女の子は応えた。
「そっかあ。おやすみ、じいじ」
山下達が育んだそれに連なる命が、確かにそこに息づいていたのであった。
山下玲那。2073年8月7日永眠。享年82歳。
山下絵里奈。2074年11月2日永眠。享年84歳。
山下達。2076年6月23日永眠。享年89歳。
ちなみに、山下沙奈子は、それからさらに四十数年の時を生き、2119年5月12日、亡くなる直前まで孫や曾孫の養育に力を注ぎ、玄孫の誕生を見届けるかのようにして永眠。享年113歳であった。
長く生きることが必ずしも幸せだとは限らないとしても、少なくとも彼女の場合はとても満たされた人生を送れたのだろう。決して『幸せ』とは言えなかった生い立ちを補って余りある程度には。




