二千五百九十九 沙奈子編 「じゃなくなった」
こうして、僕とたっぷりと話をした沙奈子は、お昼前まで寝てたけど、
「おはよう」
三階から降りてきて挨拶してくれたその表情は、とても穏やかなものだったと思う。
「よく眠れた?」
僕の問い掛けにも、
「うん」
笑顔を見せてくれる。
それは、『いつもの光景』だった。大きな出来事があった後とは思えないくらいにね。
だけどそれでいいと思う。そうなってくれてよかったと思う。
『大変なイベントを経て成長する』『家族の絆が深まる』なんて、そういうのを安全なところから第三者視点で見てるだけなら面白かったりするかもしれないけど、当人にとってはとてもつらいことだったりするからね。
沙奈子は、どこかの誰かを楽しませるために生きてるんじゃない。娯楽を供するために生きてるんじゃない。彼女の命と人生は、彼女自身のものだ。彼女をこの世に送り出した親のものでも、ましてや僕のものでもないんだよ。
そんな沙奈子が再びドールのドレスを作り始めることができたのは、結局、さらに二日後だったけど、正直なところ心配もしてたけど、でも、結果としては『イップス』と言われるものじゃなかったのかもしれない。本当にそうだったらこんなにすぐには回復できてなかったかもしれない。
それがどちらにしても、これもまた彼女にとっては『経験』の一つだと思う。それを活かすことができるんだったら無駄にはならないんじゃないかな。
そしてゴールデンウイーク明け、沙奈子はいよいよ『SANAの正社員』として辞令を受け取った。
「あなたを『SANA』の社員として認めます」
「よろしくね」
家のリビングで本当にささやかなものだけど、絵里奈と玲那に改めてそう告げられて、沙奈子も、
「はい……!」
引き締まった表情で応えてくれた。絵里奈や玲那のようなスーツ姿じゃなくて、学校の制服だったけどね。彼女は『SANAの正社員』であると同時にまだ高校生だから。今はそちらを優先しつつ、デザイナー兼職人としての人生を歩みだすことになる。
僕はそんな彼女の姿を、玲緒奈を膝に抱いて見守らせてもらった。
そして、沙奈子が正社員としての給与を直接受け取ることになり、僕の扶養からも外れることになった。
まだ『成人年齢』は迎えてないけど、実質的には千早ちゃんたちよりは一足先に大人の仲間入りを果たしたことにもなるかな。
本当ならもっと盛り上げるような形にした方がいいのかもしれないけど、でもむしろこの方が『僕たちらしい』気もする。
「ご就職、おめでとうございます」
山下さんにもそう祝ってもらえたそうだ。山下典膳さんの方は、自分が原因なんじゃないかと落ち込んでいたりもしたそうだけど、そこは山下さんがフォローしてくれて事なきを得たらしい。人形作家としての仕事にも支障は出なかったって。
よかった。
沙奈子が僕のところにきて七年と少し。これから彼女は、自分の人生を自分の力で生きていくことになるんだ。
もう、
『僕の扶養家族』
じゃなくなったんだね。




