二千五百九十三 沙奈子編 「もはや呪い」
『最初から自分には何の責任もないどこかの誰かの振る舞いを改めさせようなんてことをしてる暇があるのなら、自分の子供の振る舞いについてちゃんと見ておくべきだとしか思わない』
とは言っても、だからって何でもかんでも口出しするのもおかしいとは思ってる。だから沙奈子や玲緒奈があくまで自分の人生を自分で生きている点に関しては口出ししないでおこうと思うんだ。だけど、誰かを傷付けたり苦しめたり悲しませたり迷惑を掛けたりしてる時には、敢えて口出しもしなきゃって。それが彼女たちを育ててきた僕の責務のはずなんだ。
沙奈子については、彼女をこの世に送り出した張本人である僕の兄が本来は負うべきものだけど、当人はそれこそ『責任』なんてものを毛嫌いして、ただただ『自由に生きたい』『自分の思い通りにしたい』だけの人だったからまったくあてにできないし、何より兄がそのまま沙奈子を育てていたらどんなことになっていたか、考えるのさえ恐ろしいよ。
今の沙奈子には決してなれてなかった気しかしない。下手をすればそれこそ兄と同じような生き方をする人になってたかもね。それか、そんな父親に反発して違う生き方をしようとはするけど、そのために必要なことを教わってないから、反発しながらも結局は似たようなことをしてしまったりというのも有り得そうだな。
だから、
『子供と引き離した方がいい親』
というのも確かにいると思う。それは否定しない。そうであってほしくはないけど。沙奈子とその実の父親や、結人くんとその実の母親の例を見てしまうと、これもまた『現実』ってものなんだと思い知らされる。
『なんだかんだ言っても親は子供を愛してる』
なんてのも、すべての事例に当てはまるわけじゃないのが分かってしまうんだ。たとえ親の側は愛してるつもりだったとしても、それが『ただの我欲』でしかない場合も確かにあるよね。
とにかく、子供もれっきとした一人の人間なんだって認めない親というのは、子供にとってはもはや『呪い』だとさえ思う。
そして、お互いに対等な一人の人間だと思えばこそ、その上で自分がずっと関わってきた相手だからこそ、たとえいくつになっても『もう自分には関係ない』は通用しないと思うんだ。
『その人を育てることで影響を与えてきた責任』
は、それこそ死ぬまで消えないと思う。
こうして沙奈子とゆっくり話し合いながら、僕は改めてそれを実感した。彼女がもし今回のことで山下典膳さんを貶めるような振る舞いをするなら、僕はそれを諫めなきゃいけないんだ。
親として。
もっとも、そんなことにはならない実感しかないけどね。
じっくりと話し合えばこそ。




