二千五百九十 沙奈子編 「前提に立つ必要が」
鷲崎さんと喜緑さん自身は、お互いを必要としてるし支え合うこともできてるみたいだ。
だけど、喜緑さんの両親は、鷲崎さんとの交際を快く思っていないらしい。そのことが喜緑さんにとっては大きなプレッシャーになってるのかもしれない。そんな両親の懸念を跳ね返せるような自分になることで鷲崎さんと結人くんを守れるようになりたいって気負ってしまってるんじゃないかな。
こう言うと、喜緑さんの両親がまるで『悪役』のように思えるかもしれないけど、でも、鷲崎さんのことを喜緑さんほどは知らない両親にしてみれば、
『騙されてるんじゃないか?』
『ただ同情してるだけなんじゃないか?』
みたいに思ってしまっても無理はない気がする。
これも、
『他人の詳しい事情は分からない』
っていうことだよね。ただ表面的な印象だけで決め付けてしまっているからそんなことになるんだよね。喜緑さんの両親が鷲崎さんについてよく思っていないのも、そんな喜緑さんの両親を悪役のように感じてしまうのも、どちらも本質的には同じものなんだろうって感じるんだ。そして結局は表面的な印象でしか人間は自分以外の人について理解することができない生き物なんだって改めて思う。
さらには、喜緑さんが『彼女に釣り合う男にならなくちゃ』みたいに気負ってしまってるのも、実は鷲崎さん自身の気持ちがよく分かってないからこそのものかもしれない。鷲崎さんの気持ちがちゃんと分かってたら、そこまで気負う必要はないんだって思えるかもしれないし。
だけどそれ自体、『仕方ないこと』なんだろうな。だって自分じゃない人のすべてなんて、どう頑張ったって理解できるはずがないんだから。
でも、だからこそ、
『自分には相手のすべてが分かるわけじゃない。という現実』
を受け止めるからこそ、相手を気遣う気持ちが大事なんだろうなとも思うんだよ。分からないからこそ『自分の振る舞いが相手を傷付けてしまうこともあるかもしれない』という前提に立つ必要があるんだろうなって。
それができたら、ネットで『批判』と称して誰かを攻撃するようなこともしなくて済む気がする。
だから僕は言うんだ。
「ネットで、どこの誰かも分からない、ネットが普及する前ならそれこそ一生知ることもなかったかもしれない人を批判できるようになって、世の中は良くなったのかな?。お父さんにはそんな印象はないんだけどな。それどころか、『生き難い世の中になった』『世知辛い世の中になった』って感じてる人の方が多いような気がするんだ」




