二千五百七十九 沙奈子編 「実感は大事」
「結局さ、『誰かを攻撃することで悦に入りたい人』『誰かを攻撃することで憂さを晴らしたい人』って、何より自分が優先されたいって考えてるんだとお父さんは思ってる。そんな気がする。
それで、『まず自分が同情されたい。救われたい』とかの『まず自分が』というのは、子供のうちにたっぷりと経験しておくことなんだろうなとも思うんだ。
だって子供と言うか赤ん坊って、何より自分が最優先してもらえないと生きることさえ難しいよね。お父さんも玲緒奈を育ててみて改めて実感したよ」
「あ、それは見てても思った。お父さんもお母さんもすごく大変そうで、自分のこととか後回しにしてて、玲緒奈のことばっかり見てたよね。ホント言うと少し寂しかったんだ。でも、玲緒奈が来るまではお父さんもお母さんもお姉ちゃんも、すごく私のことを見ててくれてたって実感あるし、『玲緒奈は赤ちゃんだから仕方ない』って思えたんだ」
「寂しい思いさせてるかもしれないなって思ってたけど、やっぱりそうなんだ?。ごめん」
「ううん。大丈夫。お父さんもお母さんも私のことをどうでもいいみたいに思ってないのは分かるから」
「そうだね。『実感』は大事だよね。ちゃんとそれを実感できるくらいにしっかりと受け止めてあげてないと駄目だってお父さんは思うんだ。子供がまだそれを実感できてないのに親の方が『このくらいでいい』みたいに勝手に決めてしまうから、『親が構ってくれない分を他の何かで補う』必要が出てくるんだろうなって思うんだよ。それが『承認欲求』って言われるものだって気がするし、それが満たされてないのを他の形で埋め合わせようとして攻撃的になったりするんだろうなって思う。
これも、ネットとかで発信したら『そんなことない!』って反応する人もいるんだろうけど、それを言うなら『じゃあどうして?』っていうのをちゃんと筋が通った形で説明できるはずなのに、実際にそれができてる人を僕は見た覚えがないんだ。『生まれつき』とか『本人の性格だから』とか根拠になりそうにもないもので誤魔化そうとしてる気がして仕方ない。『生まれつきの性格』なんて、玲緒奈を見てても思うけど、『なんとなく我が強い』とかその程度のものでしかないよね。そんなの本人の心掛け次第でどうにでもなるんじゃないかな。
それに千早ちゃんだって、前はすぐ感情的になって乱暴なことをする子だったのに、今はそんなことないよね。そういうことじゃないのかな」
「だよね。結人もだよね」




