二千五百七十 沙奈子編 「事実を物語ってる」
こうして改めて彼女の体温すら感じながら言葉を交わすことで、彼女が確かに以前とは変わってきていて、『成長』してきてるのが実感できる。こんな風に『触れ合って一緒に寝る』なんてのはともかく、きちんと向き合って何気ないやり取りをするのがどれほど大切か、改めて実感できるな。
それを面倒がって避けるのは、親としては本当にマイナスだと僕は感じるんだ。
『思春期になれば子供の方が親を避けるから』
と言う人もいるだろうけど、それは結局、
『あまり関わりたくない相手』
だと子供に思われるからじゃないの?。子供を一人の人間だと認めれば、『安心して関われる相手』と『そうじゃない相手』がいるのが分かると思うんだけどな。
『親だって人間だから』
と、自分が完璧にできないことについて言い訳するなら、『子供だって人間』という事実をまず認めないと、『ただただ自分を甘やかしたい』だけにしか見えないよ。
『自らをただただ甘やかしたいだけの人』
を見て、自分はどう感じるのかな?。そんな人と積極的に関わりたいと思うのかな?。もし関わりたくないと思うのなら、『子供から見て自分にばかり甘い親』というのが、
『積極的に関わりたいと思える人』
なのかどうかも分かる気がするんだけどな。
もちろん、『親だって人間』なのは事実だから、甘えたい時もあるだろうし、自分を甘やかしたいという気持ちもあって当然だと僕だって理解してるよ。でも、だからこそ、
『子供だってそんな自分と同じ人間』
だっていう現実を認めるべきなんじゃないのかな?って思うだけなんだよ。
『自分にばかり甘くて相手には厳しい』
という人が相手からどう見えるのか、考えてみたらどうなのかな。
沙奈子がこうやって僕と言葉を交わしてくれる事実が、この子にとって僕が『関わり合いになりたくない相手』じゃないというのを表してくれてると感じて、嬉しくなる。
それは決して『子供を甘やかす』とか『子供にとってただ都合がいいだけの親でいる』とかじゃないんだ。『子供を甘やかす』というのは、
『甘やかすことで自分にとって都合のいい子供でいてもらおうとする、親の側の甘え』
だとしか僕は思わないし、それは結局、
『子供を一人の人間として認めてる』
のとは根本的に違うんじゃないかなってやっぱり思う。
このニュアンスの違いが分からない人もいると思うけど、それこそが、
『誰でも同じようにできるわけじゃない』
という事実を物語ってるよね。そしてその事実を認めるなら、
『親にとってばかり都合のいい子供なんて存在しえない』
という事実だって理解できると思うんだけどな。




